パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

興福寺中金堂

2018年09月30日 | 日記
27日、28日と中部公民館でのセミナーの帰路、興福寺境内を散策すると、
10月7日落慶法要の行われる「中金堂」が姿を現していました。
工事中は覆われていましたが、覆屋が取り払われ容姿が太陽の光を浴びていました。
以前、特別公開の工事現場で、大屋根の傍まで昇り完成を楽しみにしていました。
二度と観ることのできない大屋根からの五重塔が目に浮かびます。
また、堂内の「法相柱」の興福寺会館の展覧会では、完成後は見えなくなる十四祖師の絵も観に行きました。
再度訪れた大阪高島屋での展覧会会場では、制作された畠中光亨画伯とお話しできる機会もありました。




27日の写真  鴟尾は未だ覆われていました


中金堂と仮金堂(現仮講堂)


南円堂と中金堂 (中央の木の辺りが西金堂跡)


中金堂、東金堂と五重塔、回廊柱跡


28日の写真  鴟尾が姿を見せました

 
左右の鴟尾
落慶法要では白布の除幕が行われるのでしょう…

 
正面扉が開き、式典準備の関係者が出這入りされいました
仮金堂から移された「本尊 釈迦如来」のお姿が…




「中金堂再建落慶法要」が待ち遠しい (27日の写真)

江戸時代1717年焼失以来、創建時の天平基壇跡に、301年振り8度目の再建です。
一般公開は10月20日9時から、一番乗り拝観を目指そう!


H25.4.8 中金堂再建工事現場特別公開時の際、大屋根より撮影

東金堂&五重塔



南円堂&北円堂





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霊光殿天満宮

2018年09月24日 | 日記
京都市内散策、今回は、御所西の武者小路通りを、堀川通りに向けて散策しました。

先ず新町と交差したところにあったのが、「霊光殿天満宮」…あまり聞きなれない天満宮。
天満宮だから、「菅原道真」が御祭神…と、想像ができます。
加えて、「徳川家康」!

駒札によると
『霊光殿天満宮ト申シ奉ル
後一條院天皇ノ御宇天神六世ノ神孫贈従一位菅原義郷
天皇ノ勅ヲ奉ジ天皇ノ御領地河内若江郡ニ神殿御建造
アラセ給ヒテ御崇敬アリ爾来神威益々盛ナルニ至リ
御神告ニヨリ今ノ京ニ遷シ奉リ後宇多天皇ノ御宇蒙古ノ
賊襲来ス天皇側チ当社ニ於夷賊退治ノ祭事アリ
神威赫然トシテ忽賊船悉ク亡滅ス叡感アラセ給
天下無敵必勝利運ノ御宸翰ノ御額ヲ御進納アリ
今尚宝存ス然カノミナラズ御寄附ノ神領若干アリ
歴朝の御崇敬ハ至レリ應仁ノ大乱ニ御殿幷ニ御神領荒廃ス
徳川家康公当社ニ参拝アリ天下太平ノ祈願アリ
又寄付ノモノアリ其後屡々火災アリテ朝廷ヨリ内侍所御進納アリ
今尚仮殿タルハ実ニ恐粛ニ堪ヘズ有志ノ甘心セザラン哉
神徳之廣大ナルハ他社ノ比ニ非ズ其ノ詳別由来記ニ有』

その扁額に吃驚!
  
正面                     扁額                   駒札              


蒙古襲来の時には後宇多天皇が当社にて夷賊退治の祈祷を行わせたところ元の船がことごとく沈んでしまったので
『天下無敵必勝利運』の額を天皇より賜った。

 

福岡の筥崎宮楼門(伏敵門)に掲げられた扁額には亀山上皇御宸筆の『敵邦降伏』とあります。これも驚いた扁額でした…。
(この四文字については醍醐天皇の宸筆の謹書拡大との説もあるようです。)

元寇の役、蒙古襲来が如何に強烈なインパクトを日本に与えたかが分かります。

次いで在りました、「武者小路千家官休庵」。

  


三千家、「裏千家今日庵」、「表千家不審庵」とともに日本の茶道を代表する家元。
その少し東には、千家十職の一つ塗師、中村家「中村宗哲」宅が…現在は13代目だそうです。

 


そして面白いことに、地名掲示に「武者小路新町西無車小路町」とありました。「無車小路町」何か意味有りそうな町名。


「西無車小路町」


堀川に突き当たり、一条戻橋へ。ここでも新しい発見が?
正しくは、武者小路通りは南北の烏丸通りから小川通り迄。
油小路通りを越えると堀川に突き当たります。
戻橋公園の辺りの堀川が…一段と落下しています。

   
森の小川の雰囲気から急な段差で流れ落ちます…

  
一条通り戻橋から南は、整備されて川底が遊歩道になっています。


地図は元誓願寺通り元誓願寺橋から始まっています…

予備知識もなく、ぶらぶら歩き、私には未知との遭遇「犬も歩けば棒に当たる」楽しいものです。
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石清水祭の神饌

2018年09月17日 | 日記
三勅祭の一つ「石清水祭」に行ってきました。
春日祭では祓戸神社までの参道、賀茂祭でも参道を歩まれる勅使のお姿を遠望することができましたが、
石清水祭では時間のこともあり、お姿は見ることができませんでした。

  


石清水祭次第

15日午前時から神幸祭が始まり、三基の御鳳輦を中心に、御本殿から約500名の行列が山を降り、山麓の頓宮に向かいます。
次第に従い様々な神事が行われ、奉幣の儀では勅使(上卿)が御祭文を奏上します。御祭文の料紙は古来黄色の鳥の子紙。
春日祭の御祭文は黄、賀茂祭は紅。因みに伊勢の神宮は縹(はなだ)

三基の御鳳輦
•中御前:誉田別命  (ほんだわけのみこと) 第15代応神天皇の本名。
•西御前:比咩大神  (ひめおおかみ)宗像三女神の多紀理毘売命(たぎりびめ)・市寸島姫命(いちきしまひめ)・多岐津比売命(たぎつひめ)
•東御前:息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)神功皇后の本名。


御神霊が頓宮に入後の後、後方に置かれた御鳳輦 など  


より道 …「縹(はなだ)」
色名の一つ。花田色とも書き、花色ともいう。JISの色彩規格では「つよい青」としている。
一般に、タデ科アイだけを用いた染色の色で、ややくすんだ青のこと。
純粋な藍あい染の色。藍色はアイとミカン科キハダの樹皮を合わせた色をさす。
『延喜式えんぎしき』では深こき縹、中なかの縹、次つぎの縹、浅うすき縹の4種類にわけており、
紺色が深縹に相当し、中縹が「つよい青」の縹色とされる。
また、藍染めは中国から伝わったもので、古来から行われていた青の染色はツユクサ科ツユクサによるものとの説がある。
縹色の別名「花田色」の「花」はツユクサの花の意味とされる。
                                          (「色名がわかる辞典」より)

石清水祭で興味を持ったのが神饌

本祭の神饌は当宮に古来伝承されてきた特殊神饌で、3種に大別されます。
1.熟饌(じゅくせん/火を通したもの) 御飯(おんいい)・焼鳥・兎餅(ぶと)など
2.生饌(せいせん/火を通さないもの) 鮭・葡萄・茄子等
3.供花(きょうか)

各々古規に従って切り揃えられ、盛り方にも定めがあり、それらの中には、
鶏冠菜(とさかのり)・三島海苔(みしまのり)・海松(みる)・山葵(わさび)
・河骨(こうぼね)・榧実(かやのみ)・金海鼠(きんこ)
など珍しい品々も含まれています。

有名な供花神饌は、四季を表した和紙造りの伝統工芸で、
古来は皇室からの特別なお供えでした。
御花神饌、造花(つくりばな)とも言われ、毎年12台新調してお供えされるそうです。
今日では、古代染めで著名な染司・吉岡幸雄氏しの匠技により、男山から採取した各樹種の枝や、
化学染料を一切使用しない古代染の技法で染色された和紙を用いて調製されています。
因みに、東大寺お水取り(修二会)の椿の造り花の紅花染和紙、薬師寺花会式の造り花の紫根
染和紙等植物染で奉納されているのが、吉岡幸雄氏。

現在の供花神饌
南天(兎二疋・寒菊)、牡丹(蜻蛉二疋・若竹)、紅葉(鹿二疋・小菊・桔梗)
菊(鶴二羽・秋海棠)、松(鳩二羽・巣籠子二羽・藤・躑躅)、杜若(鴫二羽・河骨)
梅(鶯二羽・福寿草)、水仙(雉子二羽・藪柑子)、桜(蝶二疋・山吹)
雪持竹(鳳凰一羽・山茶花)、椿(鶺鴒二羽・根笹)、橘(鷹一羽・薔薇)

 
(観光案内所で貰ったパンフレット複写)


頓宮殿の御神前の供花



 
拡大すると紅葉に鹿の姿が見えます。


鹿、蝶(クローズアップ写真は「Japaaan magazine」からの転用)

供花神饌に、花に加えて鶴、鳩、鶯…また鹿、兎が配せられているのは、
「放生会」に因んでいるのでしょうか?
また、献饌の際には供える場所が決められているようですが
供花の台の場所も決まっツているのでしょうか…。
写した写真の場所が、所定の位置なのかもしれませんが…。
パンフレットには、
『明治維新前には、本社12台のほか、高良社に2台(霧島躑躅・桃)、
後朝祭で4台(皐月・姫百合・石竹・薄)、合わせて18台の供花が供されていました。
また、本社12台の中には、「蓮の台」が含まれていましたが、いわゆる明治初年の
「神仏分離」以降は、これが「椿の台」に代わり現在に至ります。』と記されています。
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ヒマワリの脇芽から…

2018年09月05日 | 日記
大きく咲いたヒマワリも花が終わり、種ができるのを楽しみにしていたところ、
朝、脇芽からミニヒマワリが咲いているのに気が付きました。
花茎も細く今にも折れそうです…昼前後来襲の台風21号の風に耐えられるか心配です。

 
花茎の太さの違いが分かります。
脇芽から花が咲くことはよくあるらしいです。
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こんな仏様も…

2018年09月01日 | 日記
諏訪大社上宮参拝、八ヶ岳山麓ドライブ、綺麗になった清泉寮でソフトクリーム、やまねミュージアムで生態のお勉強。
翌日は、甲府経由で富士山麓の本栖湖、朝霧高原をドライブして東名高速、湾岸、東名阪道で奈良に戻りました。
総走行距離900Km!
朝霧高原で途中「富士ミルクランド」に立ち寄ると、「みるく菩薩」が祀られてました。
「弥勒菩薩」から創作されたのでしょうか…






ミルク菩薩
巨乳願望のあなた、一触即益!
成長期の君、カルシュウム増強!
妊婦の方、母体健康!
ついでに、恋愛成就、家内安全、商売繁盛、地域活性など
みるく菩薩は、富士山の恵み、地域愛のけしいです

女性の守護仏のようですね。

残念ながら雲で富士山は眺められませんでしたが、
天気が良ければ…写真が掲示されていましたので転載します。


  
           富士ミルクランドにはふれあい動物園もあります。 


道の駅小淵沢の農産物販売所で、最近の「天声人語」で取り上げられていた、
富士見町を中心に栽培されている「ルバーブ」を見かけました。
ジャムは、ホテルの朝食でパンにつけて食べました…独特の風味でした。



『 ルバーブ(英: Rhubarb [ˈruːbɑrb])』
分類:タデ科カラダイオウ属 和名はショクヨウダイオウ(食用大黄)
ルバーブは、特有の香りと酸味を持つタデ科の野菜です。     
見た目はフキのようですが、加熱すると短時間で溶けてしまうため、
一般的な料理にはあまり使われず、おもにジャムやお菓子作りなどに使われます。

食用にするのは30~40cmほどの葉柄(軸)の部分のみ。
実際はフキのように大きな葉がついていますが、   
ルバーブの葉には毒性があるため食べられません。  
そのため店頭では軸の部分だけで売られています。  
ちなみにフキはキク科で、ルバーブはタデ科なので両者は仲間ではありません。

北海道や長野県など涼しい地域で栽培されているほか、
オランダなどからも輸入されています。      
国内産のものは5月から9月頃が収穫時期で、     
初夏のものは酸味が強く、秋になると酸味がやわらいできます。
                       (野菜ナビより)


 
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