パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

四天王寺・太子会

2019年01月24日 | 日記
四天王寺では、21日が大師会、22日は太子会の法要があります。
特に、1月22日の太子会では、聖霊院(太子殿)奥殿が、
年に一度の開扉があるとのことで、参拝に行ってきました。

 
神仏習合時代の名残の石鳥居(重要文化財)

 

扁額「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」


西大門


HPによれば

(法要写真は四天王寺HP、聖徳太子摂政像はじゃらんより転載)


9時から胎蔵界曼荼羅供の法要が行われ、秘仏「聖徳太子四十九歳摂政像」が御開扉され、
1時から太子奥殿奉安の太子六観音像の開眼法要並びに奉安各家の総供養を行ないますとありました。

 
前殿、奥殿は共に工事中


前殿から奥殿への渡り廊下より五重塔、金堂


何度か聖霊院に参拝しましたが前殿でしか手を合わせることができませんでした。
この院の建物は木造建築で、主要な建物は、前殿と奥殿とで構成されています。
室戸台風や大阪大空襲で壊滅的に被災した四天王寺伽藍、聖霊院は甦り、
前殿は1945年の建立で入母屋造妻入。『聖徳太子孝養像』(十六歳像、秘仏)が祀られています。
また奥殿は、1979年の完成で、聖徳太子摂政像(仏師松久朋琳・宗琳、秘仏)が祀られています。

1時を目指して行くと、奥殿の開扉された秘仏『聖徳太子四十九歳摂政像』がガラスの扉越しに拝観できました。
奥殿には永代供養をされている方しか入堂、法要に加わることができませんので、外からの聴聞となりました。
微かに読経がきこえてきました…。
外の聴聞者には「延命十句観音經」を配布していただきました。
法要が終わり、僧侶が、奥殿から前殿に移られる時、ガラス扉が開き、聖徳太子像を直接拝観が出来感激。



奥殿での法要の次は、前殿での法要です。
これには、一般の参拝者も加わることができました。
「聖徳太子和讃」、「摩訶般若波羅密多心経」をいただき外陣に着座し唱和。

般若心経


聖徳太子和讃 










般若心経は、大体唱えられますが、薄暗い堂内での和讃は苦労しました。
法要後の、ごあいさつの中では「心眼」でお読みください…と。
また、秘仏のお厨子には紐が付いていて、難事が生じたときは、
背中に背負い、縛り付けて持ち出せるようになっているとお話しがありました。

この聖霊院の西側の塀には、中心伽藍東門から通じる「猫之門」と中門に通じる「寅之門」が有名です。

 

 

「寅之門」

  

「猫の門」


聖霊院の境内後方に「物部守屋祠」があり、「物部守屋・弓削小連・中臣勝海」の鎮魂の御札が祀られています。
物部守屋といえば、蘇我入鹿と「丁未の乱・崇仏廃仏の合戦」で、蘇我氏の軍に加わった聖徳太子に敗北した相手。
この頃から既に「怨霊鎮魂信仰」があったのでしょうか…。

守屋祠は守屋の御霊が、この扱いに感激し「未来永劫この寺を守護し、訪れる庶人の願いを成就し円満せん」と誓ったことから
「願成就宮」ともいわれています。



別に、聖徳太子が創建した際、四天王寺の外護すとして造営された神社群として「四天王寺七宮」があります。
 ①大江神社(②上之宮神社・③小儀神社・④土塔神社を合祀)、⑤宇保神社、⑥河堀稲生神社、⑦堀越神社


また、毎年4月22日に催される聖霊会舞楽大法要では、重要無形民俗文化財の天王寺舞楽が披露されますが、
がここ聖霊院(太子殿)でも、10月22日に、日本にお経が伝来したことを記念して始められた経供養、舞楽法要が行われます。
この舞楽は昔は非公開で「見えない」の意味と太子殿の椽の下の庭で舞うところから“椽の下の舞”の別名がありますが、
今は誰でも拝観できるとのこと。


コメント
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