パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

延暦寺西塔 釈迦堂

2017年10月22日 | 日記
雨の中、京都駅前から比叡山ドライブバスで延暦寺バスセンター、山内シャトルバスに乗継ぎ西塔へ。
相応和尚一千年御遠忌を記念して、「秘仏本尊釈迦如来」が、三十三年振りの御開帳とのことで拝観に。


パンフレット


内陣特別参拝のお守り散華とご朱印

散華の蓮台に置かれた種字

多聞天     持国天
(ベイ)     (ジ)
釈迦如来
(バク)
広目天     増長天
  (ビ)       (ビ)    
(増長天と広目天の種字は同じ)
堂内の仏様は、散華の種字からは護法神としての「四天王」かと思いましたが…
堂内には広目天、多聞天(毘沙門天)が居られません…。
本来は、この四天王が配置されていたのですが、国宝指定で、今は、国宝殿に置かれているとのことです。
今のこの配置は、「梵天と帝釈天」が一対、「持国天と増長天」を一対としたものとのこと。


案内のパネル(写真撮影可)


須弥壇
釈迦三尊はお厨子の中

須弥壇の後方に、不動明王
その隣には、通常は前立の
釈迦如来金像が置かれてる

神仏習合の歴史を語るように、
内陣には神仏四っの祠があります

文殊菩薩 


八所明神 
神様は通常、鏡として祀られていますが
この祠にはそれぞれのお姿(神像)です


山王七社

西本宮  大己貴神(大国主神・大物主神)
東本宮  大山咋神(山末之大主神)
宇佐宮  田心姫神
牛尾宮  大山咋神荒魂
白山宮  菊理姫神
樹下宮  鴨玉依姫神
三宮宮  鴨玉依姫神荒魂



元三大師
比叡山の十八代座主元三慈恵大師良源(元三大師・912~985)は
仏教各宗の寺院・神社で行われている「おみくじ」の創始者です。
天台宗の”中興の祖”といわれ、数々の霊験や説話が残っていて、
降魔大師、角大師、豆大師などの異名で呼ばれることもあります。

内陣特別拝観の受付、パネル前で説明を受けた後、
記念のお守り散華を手に合掌し「灑水」を受け入堂します。
灑水(しゃすい)は身や心を清め、仏性を呼び起こすので、
加持香水とも呼ばれています。

須弥壇のお厨子の、左に「般若十六善神並びに深沙大将」
右に「般若十六善神並びに玄奘三蔵」が配置されており、
内陣を幾重にも、護法神達が御本尊をお護りしています。

十六善神とは四天王と十二神将と合わせた合計十六名の
般若経を守る夜叉神とされる護法善神のことです。
四天王と十二神将のみではなく正面に
玄奘三蔵と深沙大将が左右対称で登場しています。
(Wikipediaより)

御開帳のお釈迦様とは、外陣から結縁五色紐で結ばれます。


西塔を巡ります

バスを降りて西塔釈迦堂へ


名僧となった僧達の修学の地
(南谷南上坊跡・後の真蔵院跡)


親鸞聖人ご修行之地


真盛上人修学の地

 
左に常行堂(本尊 阿弥陀如来)、右に法華堂(本尊 普賢菩薩) 
左右のお堂が中央の廊下で繋がっています。
弁慶が中央の渡り廊下を荷なったとかで「にない堂」とも言います。
ここは非公開です。
「只今、常行三昧の修行中ですので立ち入り禁止」の掲示


西塔 政所
延暦寺学問所
「止観道場」


参道を下ると釈迦堂が見えます

 
駒札によると、転法輪堂が正式の名前で、園城寺金堂が移築されたもの

 
「止観道場」、「常行三昧」、「法華三昧」の場所に相応しい、静寂な杉木立

 

バスを待っていると、目の前の山に「弁慶杉」が見えました。
「弁慶水」、「にない堂」、「弁慶杉」など弁慶に纏わる伝説が
多くありますね。

東塔の大講堂を参拝し、「天台三総本山合同法要」で唱えられる
「法華三昧」を聴聞しました。
天台宗総本山延暦寺、
天台寺門宗総本山三井寺(園城寺)、
天台真盛宗総本山西教寺
の大津市にある天台宗三総本山による合同法要です。
一つのお経を三本山で分担しそれぞれの特徴を出しながら唱えるという、
珍しい合同法要です。
延暦寺のオーソドックスな唱え方、三井寺の独特の節回し、
特に西教寺による、経本を両手で持ち、歩みながら
強弱に唱える「行道」は初めて拝見しました。

「行道」とは
列を作って念仏や経本を読経しながら本尊や仏堂の周りを右に回って
供養礼拝すること。

「右に回る」のは
仏教語では、右に回る事を右遶(うにょう)と言い、順転と言います。
左に回る事は左遶・逆転で、「やってはいけない事」とされました。

古来、インドでは、右手を「浄」・左手を「不浄」とみなす宗教観があります。
キリスト教でも「左手を悪魔の手」と言うそうです。

以前、元興寺の堂内で
『佛教は、「右優位」が基本です。「右巡」とか「右進左退」といいます。
つまり「右回り(時計回り)」で「右足」からです。
合掌は右手仏と左手衆生の合体です。』と貼紙されていました。


法要の次第

次第には「法華三昧之攸」とありますが…
天台宗の法要儀礼では、法華三昧(ほっけざんまい。法華経を読誦し、懺悔し、滅罪生善の規範とする)と
常行三昧(じょうぎょうざんまい。阿弥陀経を読誦し、往生極楽の指南とする)の二法が常用されます。
釈迦堂への参道に修行の場として、にない堂(常行堂、法華堂)がありました…。

少し調べてみました
叡山で最も歴史の古い、基本的な修行に「四種三昧(ししゅざんまい)」。
①常坐三昧・②常行三昧・③半行半坐三昧・④非行非坐三昧の四種があります。

①常坐三昧は、静寂な堂内に一人で入堂し、坐禅に没頭
②常行三昧は、念仏をとなえながら、本尊阿弥陀仏の周囲をまわり続ける
③半行半坐三昧には、方等三昧と法華三昧があり、比叡山では法華三昧が行なわれています。
 五体投地や法華経の読誦からなり、歩いたり坐ったりしながら行をする
④非行非坐三昧は、毎日の生活そのものが修行となります。
 期間や行法が定まっていないので、かたちを超えた本質に通じなければならず、必ずしも容易とはいえません。



撒かれた記念の散華とご朱印。
合同法要なので、三本山の散華が纏めて撒かれました。
奉納された「おはら風の盆」の途中で帰途についたので、
残念ながら、各本山の散華は、いただけませんでした…。

(仏教には門外漢であり、説明記載は各種HPからの寄せ集めになりました。)


通草・木通 (あけび)

2017年10月20日 | 日記
昨年、庭のアケビに実が1つ付きましたが、
葉に隠れていたため、気が付いた時は既に中が抜け落ちていました。
今年は、当初からマークしていたら大きく成長し裂けてきました。


H28.10.10 中が抜け落ちた初成りのアケビ 


H29.10.17 合計12個の実ができました




玄関先に飾ってみました


大きく裂けた中には、ゼリー状にくるまれた種がぎっしり
切り採ってからも、時間とともに裂け目が広がりました


ここでアケビの蘊蓄を
アケビを漢字で書くと、タイトルのように「通草」と言う字を当てます。
その理由は、アケビのツルにあります。アケビのツルを切り取り、
片方の端から息を吹き込むと、もう片方に空気が通り抜けることから、
「通草」の漢字が当てられたとか。

漢字の語源としては、漢語から「木通」「通草」と当てて書くとされています。
また難読語辞典によれば「山女」とも書くそうです…。
何れも「アケビ」で「難読」。

何故アケビと言うのか…
① 熟すと、実がパカっと縦に裂けたように開くことから「開け実(あけみ)」と呼ばれるようになり、それが訛って「あけび」になったという説。
② 赤い実をつけることから、「赤実」「朱実」(=あかみ)が訛って「あけび」になった説。
③ 実が熟して、割れた様子が、人間のあくびをしている姿ににているため
「あくび」→「あけび」と呼ばれるようになったという説。

どれも一度見たら忘れられない印象的な外見から付けられた名前のようですね。

食物としてのアケビ
実の中にあるゼリー状の半透明の果肉を食べます。
ほんのり甘さがあります。黒くて固い種は食べることができません。
子供のころ、アケビを種ごと果肉を口に含み、後で種だけを吹き出して食べた記憶がある人も多いのではないでしょうか。
全国生産量1位の山形県では、昔から中の果肉部分だけでなく皮の部分も料理して食べる習慣があるそうです。
肉詰め、炒め物、天ぷら、素揚げ・・・など料理方法は様々です。
ほんのり甘い実とは違い、皮の部分はまろやかなほろ苦さがあり、大人の味といった感じです。

また、アケビの芽ですが、春の山菜としても親しまれています。
一般に「木の芽」というと「サンショウの新芽」のことを指すのですが、
東北や信越地方では「木の芽」というと「アケビの若芽」のことを指すそうです。
テレビ番組で山形県の代表珍味として紹介されました。「あけびの芽のおひたし」は絶品だそうです。
(丸果石川青果さんのHPを参考にしました)

果肉の部分は天婦羅にしてもらって食べました。ほんのりとした苦味…まさに「山菜」の味。
ゼリー状の種の部分、甘味を感じますが殆ど種です。「甜瓜」「メロン」と同じように吹き出しました。
今どきの子供は食べないでしょうね…孫に食べさせてみようかな…。
子供の頃、山に行って口の周りをべとべとにして食べたのを思い出しました。

奥蓼科「御射鹿池」

2017年10月12日 | 日記
蓼科、奥蓼科をドライブしてきました。
最近、人気のスポット、特に趣味のカメラマンに人気があるそうです。
そのせいか、観光資源として道路、駐車場なども整備されて来たそうです。
「御射鹿池」ってどんなところ?
日本画の巨匠、東山 魁夷の作品で、白馬が水辺を駆ける『緑響く』のモデル地が「御射鹿池」。
 
東山魁夷作品『緑響く』


コンパクトデジカメで朝日で逆光の下、挑戦

腕とカメラの限界? 


翠色の池に水鳥…作品の色のイメージ?


『緑響く』は、テレビCMにも登場して話題となった、東山魁夷の代表作のひとつ。
白樺湖と同様、農業用のため池としてつくられた「御射鹿池(みしゃかいけ)」が
モチーフです。
八ヶ岳中心高原国定公園のなかにあり、2010年には農林水産省により、ため池百選に選定されました。
その幻想的な美しさから多くのカメラマンが撮影に訪れ賑わうときもありますが、
人がいないときの湖面に映り込む自然の美しさは絵画に写し込まれたそのもの。
木陰から白馬が出てきても不思議ではないような、そんな思いに駆られます。
酸性が強く、生き物が棲息することができません。
絵画のなかの凛とした空気感が、まるでその事実を伝えるようです。
酸性を好むチャツボミゴケが湖底に繁茂しているために、
青緑に光る湖面に木々が美しく映るのだそうです。

『東山魁夷館所蔵作品集』(1991)で、東山魁夷は次にように記しています。
一頭の白い馬が緑の樹々に覆われた山裾の池畔に現れ、
画面を右から左へと歩いて消え去った――
そんな空想が私の心のなかに浮かびました。
私はその時、なんとなくモーツアルトのピアノ協奏曲の第二楽章の旋律が響いているのを感じました。
おだやかで、ひかえ目がちな主題がまず、ピアノの独奏で奏でられ、
深い底から立ち昇る嘆きとも祈りとも感じられるオーケストラの調べが
慰めるかのようにそれに答えます。
白い馬はピアノの旋律で、木々の繁る背景はオーケストラです。
               (白樺リゾート観光協会HPより)

手向山八幡宮御例大祭・転害会

2017年10月06日 | 日記
10月5日は先ず手向山八幡宮で御例大祭が行われ、次いで「東大寺転害門」で、「転害会」が執り行われます。
転害門は、天平勝宝元年(749)東大寺建立のため、九州豊前国宇佐八幡宮より、分祀した八幡宮神を載せた神輿の御旅所となりました。
そして、平安時代には「八幡宮祭」と呼ばれ、転害門が祭礼のお旅所になり、鳳輦(ほうれん)と神輿の三基が門の中央に安置され、門の西面に長い大きな注連縄が結わえられます。手向山八幡宮の祭礼の時に神輿遷座の門となり、祭礼の行列はここから出発し、手向山八幡宮に向かいます。この八幡宮祭が転害会と呼ばれるようになったのは、この門の位置が大仏殿の西北にあり、吉祥の位置で害を転ずる意から転害門とも呼ばれ、祭礼の名前にもなりました。
転害門には、今でも「〆の子を5っ下げた10mの大きな注連縄」が飾られています。東大寺と注連縄…神仏習合…ですが、八幡宮の注連縄なんだったのですね。
4年に一度の架け替えで、今年新しくなりました。注連縄の藁は、地元と大分宇佐小学校の生徒が育てた藁が使用されたそうです。
因みに、注連縄ですが、縄の部分は「縄」と、下に下がっている藁の部分は「〆の子」と、白い紙は「紙垂」と言います。それぞれには意味があり「縄=雲」「〆の子=雨」「紙垂=雷」で、農耕社会での豊作を願うものとも言われています。

門の中央に神輿(みこし)と獅子頭(ししがしら)2体などを安置されますが、地元の方が言われるには、門の中央に鎮座している神輿は、以前は大きな神輿だったが今は小さな鳳輦が置かれている…と。鳳輦は天子の乗り物だから「御祭神の八幡神 応神天皇」になるのかな?
11月25日には、15年ぶりに、宇佐神宮の神輿が来寧するとのことですから、古の再現を見てみたいものです。
転害会では、修祓の後、宮司が祝詞を奏上、宮司に続いて東大寺の僧や氏子らが玉串を捧げた。
僧侶が玉串を捧げ、柏手を打ち拝礼される姿を見ると、「神仏習合」が生きている…と。奈良では、興福寺と春日大社等でも行われています。


転害門と中央に神輿


獅子頭               神輿(鳳輦)


宮司拝礼

 
僧侶拝礼

神事が終わると舞楽が奉納されました。
演目は「散手(さんじゅ)」
鼻高の面で、鉾を持って勇壮に舞う。艶やかな装束が目を引きます。
この曲は左方武舞の名作で、序と破からなる代表的な走り舞です。「陵王(りょうおう)」とも呼ばれます。
この舞楽は、神社や演奏会などでよく演じられる曲です。
一人舞の武ノ舞。正式には《散手破陣楽》,別名《主皇(しゆこう)破陣楽》ともいう。番舞(つがいまい)は《貴徳》。裲襠(りようとう)装束に竜甲(たつかぶと)(《貴徳》も同種)をかぶり,威厳のある面をつけ,太刀を腰に手に鉾をもって舞う。「釈迦が生まれたときに作られた」とか,「神功皇后が朝鮮を攻めたとき,率川(いさかわ)明神が兵士たちを指揮した姿を舞にしたもの」とか言われています。
我が国への伝来は不詳です。(ウイキぺデイアなど参照)
「舞楽」には唐楽と高麗楽の2種類がありますが、唐楽による「舞楽」を左方(さほう)、高麗楽による「舞楽」を右方(うほう)と呼んでいることから、散手が左方舞ということは唐楽に類し「釈迦が…」説が起源で「神功皇后の三韓征伐…」は、我が国でのアレンジかな?
 




 

 

  
威厳のある武人面       竜甲(たつかぶと)

 
鳳輦の左右の獅子頭

16世紀はじめ、
伊勢の国(三重県)で飢饉や疫病除けに獅子頭を作り、
正月に獅子舞を舞ったのが発祥と言われていますが、
神輿渡御の際には、露払いの役を果たしています。

おまけ…
東大寺勧進所八幡殿にある木造僧形八幡神像(快慶作、国宝)は、もと手向山八幡宮にあり、明治の神仏分離の際に東大寺に移されたものだそうです。10月5日に公開されるのは、手向山八幡宮で御例大祭・転害会に因んでいるのでしょう。