パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

松尾大社茅の輪神事

2016年06月30日 | 日記
 
6月末は半年の穢れを祓う神事が各神社で行われます。
松尾大社では、それに先立ち28日、
茅の輪のくぐり初めの神事がありました。
  

  
 
松尾大社では、彼方此方で「亀」をよくみかけますが
松尾山の谷から不思議な亀が現れ、天皇は「嘉瑞なり」と
「和銅」から「霊亀」へと元号を改めたといわれているように、
亀は松尾大社の「神使」とされているからだそうです。
   

 
13時になると、いよいよ「茅の輪くぐり初め」神事。
お祓いの後、茅の輪くぐりが始まると八の字を描くように
左・右・左と神職さんに続いて回って本殿の参拝に向かいます。
   

   

本殿の少し横の辺りに「カギカズラ」の木がありました。
(タケダ薬品の薬用植物園HPの説明)
アカネ科(Rubiaceae)生薬名:チョウトウコウ(釣藤鉤) 薬用部位:とげ
本州の房総半島以南の山林に自生するつる性植物です。
枝はつる状になって水平に伸び、葉は長楕円形で長さ5~12cmで、
その葉腋には側枝が変形した太く曲がった鋭いかぎがあり、他の植物などに絡みつきます。
属名は、ラテン語の鉤(uncus)に由来し、その「棘」のつき方に特徴があり、左右に2個出るものと1個出るものが交互につきます。
生薬「釣藤鉤」は、かぎ状の棘(とげ)を伴った短い茎からなり、
成分としてリンコフィリン(インドールアルカロイド)などを含み、鎮痛、鎮痙などの作用を有します。
一般用漢方製剤294処方の抑肝散(よくかんさん)など6処方に配合されています。
その他、末梢血管を拡張して血圧を降下させる作用がされています。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イベント

2016年06月21日 | 日記
ショッピングセンターに行くと駐車場が一杯で…
一画に何と「ドリームクルーザーⅢ」が駐車していました。
「ディズニー・シー15周年」のプロモーションのようでした。
残念ながら、生憎の雨空の下での撮影会。
因みにキャストは来ていないとのこと。


   
夢の国からのドライバーはミッキーマウス、助手席にはミニーマウス

   

   

 
ブレーキランプはミッキーの顔、ウインカーランプは耳 

  
イベントが終わると出立。市街地走行なのでドライバーは交代、ナンバープレイトも。

  
かくして、何処かの夢の国の市街へと旅立って行きました。
ミッキー&ミニーはおやすみーかも(^o^)ノ <

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常光寺大歓喜双身天尊ご開帳

2016年06月07日 | 日記

  
駐車場入口の石標      参道入口の案内        道案内の幟

 
山門への階段        開門前の山門         寺号「常光寺」扁額


寺紋「丸に九枚笹」門幕              案内掲示


夏椿(沙羅)

家の近くの旧村落に古刹があり、以前散策の際偶然見つけました。
6月6日は、年一度の秘仏のご開帳があるとのことで参拝に。
お寺ですから8時から9時までには開門されていると思いましたが、
開門受付は、9時30分。9時に着いたときには既に3名待っていました。
観光タクシーで来られており、運転手さんの説明を一緒に聴かせてもらいながら待つこと30分。
その間、続々と参拝者が増えて、いよいよ開門。

お寺の案内書です



(クリックすると拡大)


(クリックすると拡大)


お寺は延宝元年(1673年)替え地により小庵が建てられ 、江戸時代は生駒宝山寺の奥の院、塔頭として栄えた.
明治になって排仏棄釈により廃寺となったが、昭和28年(1953年)真言律宗の単立寺院として中興。
本尊は大聖不動明王。
毘沙門天、地蔵菩薩、弁財天、十一面観音像などが、仮本堂仏間にぎっしりと安置されています。
今日のメインは特別開扉の「秘仏 大聖歓喜双身天」。
30㎝位の小さな金銅の歓喜双身天がお厨子におられました。
御本尊とともに「宝山湛海律師」作と言われています。
歓喜天には浴油(よくゆ)称される修法があるそうで、お厨子の中の仏様は油受けの盤の上に立っておられました。

 浴油;油で歓喜天を沐浴させる。
    銅器に清浄な油を入れて適温(人肌)に暖めて、その油を 柄杓などで汲んで、歓喜天の像に注ぐそうです。

さて、大聖歓喜双身天像ですが…日本仏教では珍しく、歓喜仏を連想させるような男天・女天が抱擁し合う表現を含むため、双身歓喜天像は秘仏とされて一般には公開されないのが普通のようです。

絡み合った「双身」ですが男天と女天、実はインドを起源とする男天障害神ガネーシャが、仏教において慈悲の仏と尊ばれる十一面観音の
やさしく麗しいお心に感化されて、その持っている威力をもっぱら仏教守護のために発揮することを、十一面観音の化身である女天にお誓いし、
そのことを女天も認めて一体になったとのいわれによるものです。
よく見えなかったのですが、女天が男天の足を踏んでいるそうです…。

ご住職の解説を聴きながら興味がわいたことが2つありました。
一つは、「如来、菩薩は蓮の花」への座像、立像であるが、「天は蓮の葉」に立っている。
一つは、お供物です。お酒、大根(二股大根)、木の実(榧の実と…?)、巾着の形の揚げ菓子(団喜・歓喜団)。
  
 団喜(だんき);歓喜天に供えることに因み、この名前が付いた菓子である。主に歓喜団(かんぎだん)歓喜丸(かんぎがん)、または略称で団喜などと呼ぶ。形状は、単体多臂像の歓喜天(男天)が巾着袋(砂金袋)を手にしているため、その巾着袋を模したものといわれています。

本来はモーダカ(modakam)と呼ばれるインド料理とされ、日本では歓喜天・双身毘沙門天への定番の供物になっている。経典中には歓喜団の名が記され、材料や作り方についてはさまざま示されています。
平安時代中期成立の『和名類聚抄』の飯餅類では「歓喜団、一名団喜」と記し、八種唐菓子の一種として紹介している。江戸時代中期の公卿近衛家熙は著書で歓喜天の祭り日にある餅を包んで揚げた料理は歓喜団であると載せ、京都の菓子屋では飴を包み油で揚げた菓子を歓喜天への供物として売っていたことから、これは清浄歓喜団のことだとという。現在でも京都市の「亀屋清永」が通年菓子にて清浄歓喜団を販売し、今日に遺風を伝えている。
 ・蘇、蜜、麵、干薑、クルミ、石榴、苺など11種の材料を混ぜて作るとされ、また、調伏・息災など祈願の目的によっても種類が違うという説が  ある。今では、米粉を水で混ぜて、平たい餅にして、中に小豆粉、切った串柿、薬種を入れて油で揚げる。形は、端をひねって、石榴(ざくろ)の形に模す。
 ・吉祥果の実を表し、白米の粉を練って、小豆の餡を包んで、上を八弁の花にようにして、巾着にように絞り、油で揚げる。福徳を包み込んでい  る巾着を表しているという。小豆の餡は愛念を表し、白米の衣は純浄の智光を意味する。上の八弁は八苦を除いて、八福に浴し、その利益を表  す。
 ・『倭名類聚抄』では歓喜団の食材に「涅槃経云」と、酥、蜜、薑、胡椒、蓽、茇、葡萄、胡桃、石橊(ザクロ)、などを挙げ、これを「和合(調合)」すると経典からの記述がある。
 
今も売られている歓喜団


このお菓子を今も作っているのは、京都の菓子司老舗「亀屋清永」。
創業は江戸時代のはじめ、元和3年(1617年)。この店は天台宗・比叡山延暦寺の阿闇梨(あじゃり)から唐菓子・歓喜団の製法を学び、秘法は一子相伝で、毎月、歓喜天(聖天さん)の祭日の1日(陽)と15日(陰)に調製される。
京都にある聖天さんでは、毎月2回、亀屋清永で作られた「歓喜団」を「お華足さん(おけそくさん・供物)」として供えます。
遣唐使によってもたらされた唐菓子は種類が豊富で、大部分は神社の神饌菓子となっています。
奈良県・春日大社では「ぶと」というあん入りの饅頭が唐菓子の神饌菓子として有名です。
唐菓子の中で、「歓喜団」だけが「寺の供物」として残りました。

  
6月6日の貴重な御朱印「大聖不動明王」と「大聖歓喜天尊」

豪華な、立派な伽藍はありませんが、境内にいると、常光寺案内書の末尾に記載されている『此処は、一触以て都塵を洗う絶好の地として、自然を愛する(篤信)の老若を、心ゆく迄に偶する事であろう。』を実感します。


< 追加記載 >
後日、京都に行った際、亀屋清永で「清浄歓喜団」と神社で使われる唐菓子「餢飳(ぶと)」を購入しました。
「清浄歓喜団」
   

「餢飳(ぶと)」
  
(小さい画像をクリックすると拡大)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする