パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

石清水八幡宮の「鬼やらい神事」

2017年01月30日 | 日記
毎年、節分直前の日曜日に節分行事「鬼やらい神事」が斎行されるとのことで行ってきました。
13時と14時の2回、本社前で宮中に伝わる古式に則り行われます。
鬼やらい人が、四方と恵方を邪鬼を祓うとされる桃の枝で飾りつけられた弓矢で射抜き、
次に同じく桃の枝で作られた桃剣で四方と恵方を打つ。
その後、太鼓の囃子の中、赤鬼と青鬼の四匹が参道から境内に登場。
幼い子どもたちが泣き叫ぶなか、本殿に向かった。
鬼やらい人をはじめ、年男、年女が鬼たちに、「鬼やろう」の掛け声と共に、
「福豆」を撒き、本殿前のスロープを何度も転げ落ちて暴れる鬼を退散させます。
最後に、参拝者に「福豆」が振る舞われます(豆撒き)。(HP参考)

  
神事の始まる前       鬼やらい人、福男、福女がお社前に進みます

  
古来より、桃で作られた弓矢を射ることは悪鬼除けの、
桃の枝を畑に挿すことは虫除けのまじないになるとの言い伝え。

  
 
先ず、桃の枝を付けた弓で、四方の天地を祓います。 

  
桃の枝の剣で天地を祓います。



 
参道を威嚇しながら本殿に向いますが、彼方此方で幼児の鳴き声が…

  
本殿前のスロープで豆を撒かれ転がる赤鬼、青鬼      退散する鬼たち


おまけ
石清水八幡宮は、都の裏鬼門(西南の方角)を守護する王城鎮護の神として尊崇されてきましたが、
京都御所の鬼門、北東角に「猿が辻」として切り込みがあるのは知っていましたが、ここにもありました。

 

 
社殿の鬼門にあたる石垣の角が切り取られていました。(猿は居なかったけど…)


  
京都御所の鬼門「猿が辻」

他にも、鬼門が設けられた建物として、西本願寺、東本願寺などの北東角は切り取られているそうです。
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「諫鼓鶏」を見つけました!

2017年01月30日 | 日記
今年の干支に因んで話題になった天寧寺の「諫鼓鶏」石像ですが、他でも見つけました。
間違いなく「石燈籠」として…。
鬼やらいの神事を見に、八幡の「石清水八幡宮」に行ってきました。
境内を散策していると、「東総門」近くに寄進された「石燈籠」が博物館のように並んでいました。



眺めていてビックリ、あの「諫鼓鶏」の燈籠が…
鶏の頭部は欠けていますが間違いありません。

  
石清水八幡宮の「諫鼓鶏」

 
天寧寺の「諫鼓鶏」


違いもあります。
鶏の向きが左右異なるところ、三つ巴も左右異なります(時計回り、反時計回り)。
石清水八幡宮の御神紋は「流れ左三つ巴」ですから燈籠と一致しています。

『巴は橘とともに当宮の御神紋であり、御本殿の彫刻を始め軒瓦など各所に見られます。
当宮の巴は「流れ左三つ巴」であり、いつの時代に何故御神紋になったのか定かではありませんが、
尾が長い文様ほど古いとされています。
幣殿の蟇股には4つの巴紋の彫刻が施されていますが、実は1つだけ右巴があります。
これは、社殿を完成させてしまうと、あとは朽ちるのを待つことになり、
あえて未完成の箇所、間違いの箇所を造ることにより、
まだその社殿が未完成であり、益々の発展を遂げるという願いと縁起が込められているとされています』
                                           (HPより)


古さでは石清水八幡宮の燈籠だと思いますが…頭部がなくて残念です。
燈籠と言えば「春日大社」の様々な形状の燈籠を思い浮かべますが、ここでの有無には気が付いていません。

しかし、寄進者の意が反映しているのなら、燈籠のパターンの一つとして他にもあるかもしれません。
少し燈籠について調べてみると面白いかも…。

おまけ
石清水八幡宮の燈籠の背景の壁ですが、「信長塀」と言うそうです。
本殿を取り巻く塀ですが、『織田信長公寄進と伝わり、
瓦と土を幾重にも重ねることにより、銃撃や耐火性、耐久性に優れていたとされている。』(パンフレットより)
耐火、耐久性は確かでしょうが、何故「銃撃」が想定されているのか…?
過去に南朝・北朝の合戦である「八幡の戦い」が起こっているが、
信長公寄進なるが故に、要衝として山城転用?の意があったと思い巡らすのは罰当たり!
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天寧寺の「諫鼓鶏」

2017年01月18日 | 日記
今年は酉年で、酉に縁の神社のことをラジオで聞きました。
何と言っても「神鶏」のお伊勢さん、奈良では「石上神社」…
珍しいのが、お寺になりますが「京都・天寧寺の鶏の石像」とのことでした。
あまり耳にしたことのない寺院でしたので、興味深々。

天寧寺
天寧寺は、南北朝時代に傑堂能勝(けつどうのうしょう)が福島県の会津に創建したのが始まり。
天正年間(1573~1592年)に天台宗松陰坊の遺跡とされる当地に移転し、
直江兼続や板倉勝重の援助で諸堂建立。
その後、天明の大火(1788年)で焼失するが、文化9年(1813年)に本堂が再建された。
また、天保14年(1842年)には書院も再建されている。

宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来、
山号 萬松山(ばんしょうざん)
寺号 天寧寺(てんねいじ)

 
天寧寺由来  (小さい写真をクリックすると文字拡大)

 
山門        松陰坊遺跡

  
「諫鼓(かんこ)鶏」
これが話題の太鼓の上に止まっている「諫鼓鶏」の石像
太鼓面は反時計回りの三つ巴、縁には模様がありましたが判りません。
ブログの中には、これを「灯籠」とされてる方もありましたが…。

中国の伝説上の聖天子堯、舜、禹が、その施政について諌言しようとする人民に打ち鳴らさせるために、
朝廷の門外に太鼓を設けました。これを諌鼓(かんこ)と呼びます。
しかし、善政を行ったので太鼓は鳴ることもなく永年の間に苔むし、鶏の格好の遊び場となっていた
と言います。つまり諌鼓に鶏が止まっているのは善政が行われて世の中がうまく治まっているということで、
まさに「天下泰平の象徴」であると言われています。
鶏とは、鶏鳴によって君主に善政を促し、人々を警醒する想像上の鶏とも言われています。

「閑古鳥」と、同じ読み方をする字があります。
  ①閑古鳥とは「郭公(かっこう)」の異称
  ②昔からカッコウの鳴き声は、人里離れた山の情景を思わせ、寂しいものとされたことから、
   人の訪れがなく、ひっそりと静まり返っているさま、とくに商売がはやらないさまを
   「閑古鳥が鳴く」というようになった。

この二つは逆の意味になりますが、文字の違いだけでなく、意味も全く異なるものです。
諫鼓鶏が鳴かない(太鼓が鳴らない)のは国民に不平、不満がなく善政の証し。
閑古鳥が鳴くのは、客が来ずさびれた情景の表現とでも解釈しておきましょう。



比叡山を背景にした山門は、「額縁門」と呼ばれている。

 
額縁仕様にすると…比叡山が雪化粧のため見難いですが…額縁の中から撮ると

 
     榧の大木を背にした観音堂 榧の大木(京都市天然記念物・樹高16m)
観音堂には、後水尾天皇の念持仏・聖観音像と       
後水尾天皇の中宮・東福門院の念持仏・薬師薬師如来像を祀る。

 

  
本堂                  鐘楼
本堂には、南都の春日仏師作と伝える本尊釈迦如来像を祀る。
本堂は山門を入って左手にあり、山門の正面は広く空けられています。
そのため、ちょうど正面に比叡山を眺めることができます。

 
五輪塔と九重塔          九重塔と明智光秀報恩塔
平成10年から始まった修復工事で、本堂の天井裏に隠されたていた明智光秀の位牌が見つかました。
これまで明智光秀は、このお寺にまったく縁がないと思われていただけに謎のようです…。


出雲路橋西北詰     出雲路橋西畔より川上を望む    出雲路橋西南詰


出雲路橋南から松ヶ崎西山「妙」、比叡山、如意ヶ岳(大文字山)「大」を一望


雪の大文字

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京都ゑびす(恵比寿)神社と十日戎(初ゑびす)

2017年01月13日 | 日記

西日本を中心に毎年異様な盛り上がりを見せる「十日戎(えびす)」が1月9日~11日にかけて開催されました。
七福神の一人でもあるエビス様に商売繁盛を祈願するお祭りですが、関西ではお正月以上の盛り上がりを見せるます。

「日本三大えびす神社」とは…
・西宮神社 (兵庫県西宮市) 全国に三千社あるえびす神を祭る神社の総本社
・今宮戎神社 (大阪市)   大阪市民に商売繁盛の神様「えべっさん」として親しまれています
・京都ゑびす神社 (京都市) 建仁2年(1202)に臨済宗の祖といわれる栄西禅師が建仁寺の建立にあたり、
               その鎮守として最初に建てられた神社

               京都ゑびす神社は、前二社の規模、賑やかさ、
               100万人と言われる参詣者数ではかないませんが、
               ゑびす信仰の象徴とも言える笹は、元来京都ゑびす神社独自の「御札」の
               形態が広まったものだそうです。
               また、「のこり福」をはじめられたのは、京都ゑびす神社とのこと。          
               ちなみに、地元では、三大えびすに大阪北の「堀川戎」、
               泉州貝塚の「脇浜戎大社」を入れることもあるそうです…。


京阪清水五条駅から京都ゑびす神社に向かうと、
宮川町の舞妓さんを見かけました…      

   
一之鳥居            本 殿            神 楽 殿

 


  
西宮えびすの奉納マグロには「運が付く」ようにと、賽銭の硬貨を体にはりつけますが
京都のマグロは、網でガードされ、お金が触れないようになってます。       

 
神楽殿では、福笹が巫女さんにより祈祷され手渡されます。

 
タレントさんが華を添えます

  


福笹には、えびす様の絵馬や鈴、大判小判、鯛、米俵などの
吉兆と呼ばれる小物(縁起物)を付けてもらいます。    

  
何故か二之鳥居の中央に白布が…
  

福熊手・福箕のえびす様だったんですね
(賽銭など投じないための覆い?)


 
大和大路通りの菓子司「鍵甚良房」の祭礼特別に売り出す「ゑびす焼」



ゑびす神社からさほど離れていない祇園にも蛭子社

 
八坂神社の摂社「蛭子社」

   
階段を上がり、楼門を潜り鳥居の手前に「蛭子社」があります。

 
祇園えべっさん像       近くに狛犬


  
福箕            御祭神            福熊手

  
盥にいる「鯛」を釣り上げる「おみくじ」
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西院春日神社・若菜節句祭

2017年01月09日 | 日記
以前住んでいた近くに「西院」と言う地名がありました。
地理的には「西大路四条」周辺にあたります。
地元の人は、「さい」と言っていましたが、最近は「さいいん」が一般的?
ややこしくなったのは、京福電気鉄道嵐山本線の駅が「西院・さい」で、
阪急京都本線の駅が「西院・さいいん」と呼び方が異なることに起因しています。
「さいいん」という発音が普及したのは、
1928年(昭和3年)に開業した新京阪鉄道(阪急京都本線の前身)が
一般的な読み方の「さいいん」を採用して以後とのことです。
今でも、高齢者の多くは「さい」と言います。
京福電気鉄道の前身の開通が、1910年(明治43年)と、古くから「さい」と呼んでいたからかも…。

何故、「西院」と言う地名のことは知りませんでした…。

西院の西には、春日通り(別称佐井通り)がありますが、
これは平安京ができたときには佐比大路(道祖大路)です。
この大路に沿って流れていたのが佐井川で、
この川では淳和天皇の禊祓いが行われていました。
この川は平安中期には、川幅は4メートルから7メートルぐらいで、
広いところでは30メートルにもなる大きな川でした。
この川では、淳和天皇が河原で禊祓いが行われていて、
また佐比大路と四条通の東北付近には
淳和天皇の離宮(離宮淳和院)がありました。(跡地は高山寺)
この離宮が御所から見て西の方角にあったので、淳和院が「西院」と呼ぶようになり、
そしてこの地域も「西院」と呼ぶようになり、現在に至ります。(ウイキペディア等参照)
淳和天皇の縁の地が「西院」です。
  
高山寺(こうさんじ)石標 淳和院跡地の石標

  
西院春日神社境内には、淳和院南池院跡地の碑と発掘された礎石などがあります


前置きが長くなりましたが、「西院春日神社」です。
神社の由緒によれば、
『天長十年(西暦833年)2月28日、淳和天皇が仁明天皇に位をお譲りになり、
淳和院(西院)にお移 りになったとき、勅諚により奈良の春日四座大神を勧請し、
守護神とされたのに始まります。
淳和天皇の皇女、崇子(たかこ)内親王の疱瘡が、春日大神様のご威光で快復されてより、
皇室から病気平癒や災難厄除けの守護の神と崇められてまいりました。』とあります。

従って、御祭神は春日大社と同じく四座ですが、二座の表記は異なります。(別名表記)
 第一殿 建御賀豆智命(春日大社・武甕槌命)
 第二殿 伊波比主命 (春日大社・経津主命) 
 第三殿 天児屋根命 (天児屋根命)
 第四殿 比売神   (比売神)

神社の参拝の栞(小さい写真をクリックすると拡大)
  

 

 

 


 
春日(佐井)通りから正面一之鳥居    二之鳥居

 
本殿中門を左右から

 
中門の中央には春の七草のお供えと「若菜節句祭の白馬(あおうま)飾り」 

 
「若菜節句祭」の説明 

  
鑽火神事の行われる拝殿        能舞台

鑽火神事(きりびのしんじ)
  
舞錐式による発火法で火を熾します(忌火・浄火)
「火鑽り杵」と「火鑽り臼」によって鑽り出されます。
忌火(いみび)とは、神道で「清浄な火」のこと。
火鑽(ひき)りで熾し、神様への供物の煮炊きなどの神事に用いる。

  
発火するまでには、かなりの力作業になります… 

  
発火すると箱に納められ、古神札の積み上げられた場所に移動 

   
古神札焼納祭

 
発火に使われた御火鑽具(みひきりぐ)がまとめられています


   
11時から「若菜粥」の受付 長蛇の列が続きます         席で待ちます       

   
番号札を机に               巫女さんが席まで配膳

 
「若菜粥」膳には、若菜のお粥・煮た子芋・梅干しと塩昆布・お茶 「酉」朱印の捺した箸紙に入った箸 



ご朱印「京都西院春日神社」

    
境外社「鏡の御印の京都西院野々宮神社」、摂社「京都西院還来神社」も頂けます


なお、野々宮(野宮)は「嵯峨野」の地名として有名ですが、斎王の住まいを「野々宮」と呼ぶようになった発祥が「西四条」だそうです。
 
西院野々宮神社の由緒


西院春日神社神社の社紋 『十五花 蔓 下がり藤』(しゅうごか つる さがりふじ)』
             春日大社の神紋と異なるところは、
             ①下がり藤に花が咲いているところ
             ②蔓が中央に下がっているところ

春日大社パンフレットより 西院春日神社パンフレットより ご朱印帖の間紙
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