パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

京都御苑の桜

2019年03月29日 | 日記

京都御苑には約1,100本の桜が植えられているそうです。
その中でも名前の付けられた桜が幾つかあります。
3月27日、天皇、皇后両陛下が平成最後の京都滞在の際、散策観桜された
「近衛邸跡の近衛枝垂れ桜」はニュースで大きく報道されました。
枝垂れ桜ですので、開花宣言の標本木とは異なり、早咲きで既に八分咲きぐらい?
知る人ぞ知る桜の名所に行ってきました。
報道された後でもあり多ぜいの人が観桜に訪れていました。
此処でも「インバウンド」が溢れ、「日本の桜」を満喫し携帯写真を…
以前は無かったのに…SNS、インスタで桜を独占?…


                                  御苑の桜
                        京都御苑では、四月になるとたくさんの花が咲きます。
                       もっとも多く見られるのがヤマザクラです。     
                       この他に枝が垂れるシダレザクラ(イトザクラ)や  
                       八重の花をつけるサトザクラがあります。      
                       このあたりは、「近衛の糸桜」の由来にちなんで、  
                       多くのシダレザクラが植えられています。     

① 近衛邸跡の枝垂れ桜
② 出水の枝垂れ桜
③ 江戸彼岸系
④ 桜松
⑤ 車返桜
⑥ 大島桜
⑦ 山桜
⑧ 霞桜
     等が案内図に紹介されています。

① 近衛邸跡の枝垂れ桜


                                  近衛邸跡
                       このあたりが近衛家の屋敷のあったところです。  
                      近衛家は五摂津家の一つで、江戸時代末までに   
                      多くの人が摂政や関白になっています。かっては、  
                      この庭園の西側に大きな屋敷があり、御所炎上の           
                      際には仮の皇居にもなりました。             
                      池のほとりは、昔から糸桜の名所で、孝明天皇も   
                      次の歌を詠まれています。
                      「昔より名にはきけども今日みれば
                               むべめかれせぬ糸さくらかな」  

 
右側は池なのですが水は無かった…

 

 
  

 
桜の花に「シジュウガラ」が…  
 

② 出水の枝垂れ桜
京都御所の南西部、出水の小川の近くにあり
早く咲き始めるのが「出水のしだれ桜」です。

 

 

③ 江戸彼岸系
御所北東部、石薬師御門近くで咲いていました

 



④ 桜松
御所建春門の向かい辺りにあります

 
学習院発祥の地

                    1779(安永8)年閑院宮家出身で皇位を継いだ光格天皇は、学問を大切にし、
                    公家の教育振興に取り組みました。次の仁孝天皇在位中の1845(弘化2)年、
                    幕府から学習所の設置が認められ、孝明天皇在位中の1847(弘化4)年、
                    この地に開講しました。公家や御所に勤める役人たちとその子弟に、漢学と
                    和学を教えることとし、1849(嘉永2)年、孝明天皇より「学習院」の額
                    (勅額)が下賜され校名が定まりました。 
                     明治に入って京都の学習院は廃止されますが、1877(明治10)年、東京に
                    開業した華族学校へ<明治天皇から改めて勅額が下賜され、学習院の名が
                    受け継がれました。現在の学校法人学習院は、このときを創立としています。


マツに生えたサクラ

                   この倒れた木は「桜松」と呼ばれ親しまれています。
                   桜松は、クロマツの樹上十数メートルの所にヤマザクラが生育し
                   ていたものです。平成8年4月17日にマツが枯れ倒れてしまいましたが、
                   サクラはマツのの空洞を通り地上まで根を下ろしていたため、今も
                   多くの花を咲かせ続けています。
                   当時、マツの樹齢は約100年、さくらは約40年と推定されていました。


 学習院発祥の地のすぐ傍に桜松 

 

 

 
未だちらほら咲き始め…

⑤ 車返桜(くるまがえしざくら)
御所宜秋門の西、中立売御門近くにありました
    

車返桜 

               「車返桜」は、サトザクラの一品種の「御所御車返し(ごしょみくるまがえし)」です。
               花は八重咲で、よく混同される「御車返(おくるまがえし)」は、
               「桐ケ谷」とも言われる別品種です。
               車返桜は、後水尾天皇が外出された時に、あまりの美しさに御車を
               返され鑑賞されたことから、この名が付けられたとされています。

 
花は未だ蕾堅し…
 

早い時期の御苑のサクラは、近衛邸跡周辺の枝垂れ桜が中心なのでしょうね。

おまけになりますが…
「御所」は「宮内庁の管轄」で「御苑」は「環境省の管轄」です。
御苑の中に「皇宮警察本部 京都護衛署」がありましたが、
そこの「平安の庭」(中には入れませんが外からは見えます)の枝垂れ桜もきれいでした。

 

 

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漢國神社

2019年03月18日 | 日記
近鉄奈良駅の近く、高天交差点を三条通り方面に向かうと
「饅頭祭」で有名な林神社を境内にもつ「漢國神社」があります。
過日、宮司さんが講師をされたセミナーの帰りに立ち寄り参拝。
何度もお参りしていたのですが…お話を聴いた後では少し感じが異なりました。

頂いた資料によると
漢國(かんごう)神社は、推古天皇の元年(593)、勅命により大神君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が
園神(ソノカミ)の神霊、大物主命(おおものぬしのみこと)をお祀りせられ、
その後元正天皇・養老元年(717)11月28日、には藤原不比等公が
韓神(カラカミ)の二座として大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を相殿として祀る。
古くは春日率川坂岡社(かすがいさがわさかおかしゃ)と称す。

大神神社、率川神社、館國神社は御祭神は異なりますが縁の神社のようです。

末社の林神社が饅頭祭で知れ渡っていますが…

ゆっくり境内を歩いてみて幾つか新たな発見がありました。
その1 狛犬の横に「左大臣・右大臣」の石像が置かれている。
その2 境内の源九郎稲荷の狐が1体しかない。
その3 境内社務所の屋根棟に鯱が、神門の屋根に狛犬が置かれている。


その1 狛犬の横に「左大臣・右大臣」の石像。

雛飾りの弓を持つ武人(年配の左近と若い右近)が内裏様を警護しているそうです。
左右二神共、弓と矢を携え剣を帯びていますが、
これはその昔、武装して貴人の護衛にあたった左右の近衛府(このえふ)の舎人(とねり)の姿。

寺院の山門や中門には「執金剛力士像(阿形、吽形の仁王像)」が、神社の神門には弓矢を持つ随身が安置されていることがあります。
神社では随神(かんながら)と言われて狛犬のようにご祭神を守護しています。
矢大神(やだいしん)・左大神(さだいしん)という俗称で呼ばれることもあります。

漢國神社の石像は…
 
矢大臣(武人?)                         左大臣(文人?)

左大臣は右手に中啓(扇に一種)を持っています
矢大臣は冠と追掛が確認できますが石像で弓を彫るのは無理?
でも左右とも背に矢入れ(胡簗:やなぐい)を付けているように見えます。  

 
矢大臣?を横、左大臣?を背後からみてみると…


その2 境内の源九郎稲荷の狐が1体しかない。

 
左右の大きな狛狐の右のお狐さんが…盗難に遭ったそうです

 
手前にお姿がなく、盗難を免れたお狐さんも尻尾が折られたそうです…


その3 境内社務所の屋根棟に鯱が、神門の屋根に狛犬が置かれている。


 
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