パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

興福寺放生会

2018年04月17日 | 日記
興福寺放生会が南円堂横の「竜華樹院堂」(「一言観音堂」)で執行されました。


「生命を尊び生き物を殺さないとの考えのもとに
はじめられた行事で鯉数千匹を猿沢の池に放す」

  
猿沢の池から階段を上ると「南円堂」  左右に五色の吹き流しが立てられています   鐘楼

 
「南円堂」の左右にも五色の吹き流しが立てられています

   
式衆が、本坊から五重塔を背景に進み、「観音堂」に向かいます


入堂                              法要の開式

  
読経             盥の魚も置かれています             散華             

 
盥の魚(きんぎょ)

  
放生される魚の準備                手桶には「一言願い」を記したお札も納めます

  
堂内での法要が終わり放生池に向かいます

  
南円堂前から急な石段を下りて放生池の「猿沢の池」へ
(猿沢の池は「放生会」の放生池として、天平21年(749年)に造られた人工池。ウイキデイアより)

  
猿沢の池で「般若心経」読経     放生に加わった善男善女

 
善男善女には外国人の姿も  「亀」も特別参加

  
約1800匹の金魚が猿沢の池に放生されました


放生後は手桶を持って石段を戻っていきます


ご朱印「一言観音」


(興福寺HP/「放生会」より転載)
【放生の語は中国の「列氏」に出てきます。日本では「続日本紀」の天武5年8月17日、「放生」と言う言葉が見えます。
しかし、仏事としての源流はやはりインドにあります。
仏教が生まれ育まれた大陸には、生き物を殺さない・傷つけないという思想が数千年の昔から、
人々の宗教、倫理観として、思想の底辺を流れていました。
そこから生まれた仏教も例外ではなく、守るべき行いとして、第一に不殺生をかかげます。
その影響は大乗仏教においても『梵網経』『金光明経』など様々な経典に見られます。
他人の命も・自分の命も、いえ、一切の命が大切なものであることを儀式化したものが放生会と言って良いかと思います。】


奈良では5月19日、唐招提寺で、中興忌梵網会が行われます。
鎌倉時代の中興の高僧、覚盛上人が、坐禅中に蚊にさされているのを見かねて弟子僧がたたこうとしたところ、上人は、
「不殺生を守りなさい、自分の血を与えるのも菩薩行である」と言ったと伝えられています。
その徳をたたえ、蚊を追い払うためうちわを供えるようになったのがうちわまきの始まりです。数百本といううちわが参拝者にまかれますが、うちわを授かることは、病魔退散や魔除けのご利益があるといわれています。
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可憐な…しかし…

2018年04月16日 | 日記
室生の山中にある池を見に行きました。
生憎風が強くて池に鏡面の如く映ると言う山影は見られませんでした。
池の周りを散策していると…
「かぐや姫?」「おやゆび姫?」かくあらん…と思える植物が…

      さざ波の水面      バックライトに浮かぶが如く…


浅学乍ら…「サトイモ系?」似たよな花を何処かで見たような…
苞がある…ザゼンソウ、ミズバショウ、ムサシアブミ、ウラシマソウ…

しかし茎(実は偽茎)を辿ると「ウヘ!マムシ!」かと驚きました。
 
 


帰ってから早速調べてみると、ありました。
少しは当たっていました「マムシ…」

一般名:マムシグサ(蝮草)
学名:Arisaema serratum(アリサエマ)
分類名:植物界被子植物単子葉類オモダカ目サトイモ科テンナンショウ属マムシグサ種
別名:Jack in the pulpit 、マムシソウ(蝮草)、カントウマムシグサ(関東蝮草、緑色)と、ムラサキマムシグサ(紫蝮草、紫色)
原産地:日本、北東アジア 
草丈:50~70cm 
葉数:2枚 葉形:掌状で鳥足状複葉 小葉数:7~14枚 葉幅:20~30cm 葉色:緑
花序形:肉穂花序 開花期:4~5月 花色:紫(赤紫~濃紫~黒紫)、緑 花径:15cm 
成実期:9~10月 果実色:青→赤 果実形:トウモロコシ状 

マムシグサ(蝮草)とは、晩春~初夏、林の木陰で、直立した茎から葉の鞘に抱かれた花柄を伸ばし
仏炎苞に包まれた肉穂花序を付ける
サトイモ目サトイモ科テンナンショウ属マムシグサ種の耐寒性・非耐乾性・多年草(宿根性)の野草です。
芋状の地下茎をはじめ全草が有毒です。 茎に見える部分は葉柄の鞘で偽茎と呼ばれるものです。
仏炎包の色の違いで、緑色のものはカントウマムシグサ(関東蝮草)、紫色のものはムラサキマムシグサ(紫蝮草)と呼ばれます。
仏炎包の中には肉穂花序があり、肉穂花序は多数のシベから出来ています。
雌雄別株なので、雄花は雄蕊だけ、雌花は雌蕊だけから作られ、どちらにも花弁はありません
2枚の鳥足状複葉が付き、小葉は7~14枚で光沢があります。
秋に赤い粒々の実を付けます。有毒植物で、民間療法では、コウライテンナンショウ(高麗天南星)という漢方薬となります。

マムシグサとウラシマソウの違い
同属同科の ウラシマソウ(浦島草) と似ていますが、 浦島草には花序先端から出る長い紐状突起物があるのに対し、
このマムシグサには突起物はありせん。
ナンテンショウは現在ではマムシグサとして扱われています。
(「かぎけん花図鑑」より転載)

この写真だけでは、花?中央の「肉茎」「肉穂花序」が未だ開いていないので雄蕊か雌蕊かは分りません?
解説されているところでは、仏炎苞が緑色だから「カントウマムシグサ」?
もう少し日時が経過してから観に行けば変化がよく分かるのでしょうが…
秋に行けばトウモロコシ状の赤い実が見られるのかも…。
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平野神社桜花祭

2018年04月10日 | 日記
平野神社へ観桜にはよく出かけていたものの、
「桜花祭」のことは、知りませんでした。

平野神社の桜花祭の起源は、寛和元年(985年)4月10日、花山天皇が後裔繁栄を祈るため、
神社へ行幸、臨時の勅祭が行われたことが起源と言われています。
この起源から毎年4月10日に斎行され、
今では、桜花祭は午前10時から「本殿祭」があり、
お祓いや祝詞の後、平野神社の御祭神の御霊(みたま)を拝殿に置かれた御鳳輦(ごほうれん・神輿)に移します。

  




拝殿に奉安された御鳳輦

【御祭神の御鳳輦への御霊移し】
  


 

   

   

 
御霊は宮司の手により、白衣に覆われ本殿から拝殿の御鳳輦に遷されました。
御鳳輦に移されるまでの間、警蹕(けいひつ)「於(お)ーーー」が発せながら進みました。


11時から花山天皇陵参拝
「花山天皇紙屋川上陵」に宮司が、桜花祭の斎行の報告と、無事を祈願し参拝されました。


  

 

  

 


      

 
参拝を終えられ神社に戻られました。

宮司さんは参拝の際「しのび手」を打っておられました…。
天皇の御陵はお墓ですから…?
(ことば事典には「葬儀以外に墓前での式年祭などでもしのび手を行う。」とあります。)


12時から「神幸列発輿祭」
 
御鳳輦は中門前に奉安されています

 
時代行列の皆様も参列

 

 

 

 

 
発輿祭の後、退座
(発輿祭から宮司以下神職の白色の装束(斎服)が赤、紺色などの装束(正服)に変わりました。)
(神職の装束については調べ直す必要があるかも…)


発進までの一時…

 
「真榊」「花車」            参道に立てられた幟

  
吹き流しや時代行列を示す幟 
「参議西洞院時慶卿」「源満仲社参列」「東遊」「曲水の遊列」
「山陽花見列」「染色列」「鏑馬列」などの幟

*西洞院時慶は、江戸時代宮司として衰退した平野神社を再興しました。
*源満仲は平野神社に社参して御祭神を「多太神社」に勧請したと伝わっています。「多田源氏」の祖


  
供奉する人の頭には「桜」の枝が付けられています  甲冑姿の武者

  
染色列、織姫列、東遊など様々な衣装・装束の女人達


午後1時から神幸祭「発輦(はつれん)祭」
「平野皇大神」の神號額のかかった鳥居から、時代行列が氏子の地域を巡行していきました。
    
神幸祭発進を参道で待つ人々    神幸祭奉行の日輪の扇子が上げられ発進

   
ふれ太鼓の車両に続き邪気を払う赤鬼、青鬼      真榊       花山天皇敬仰御花車         稚児行列


    
織姫列            御鳳輦

   
鳳輦・参議西洞院卿供奉車        染色列            曲水の遊列

  
頼山陽母花見駕籠列                    騎馬武者
          

殿(しんがり)の神職

神幸祭の行列は氏子神域を巡った後、神社に戻り
還幸祭、遷座祭が斎行されて「桜花祭」が終わります。
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水谷神社・鎮花祭(みずやじんじゃ・ちんかさい)

2018年04月06日 | 日記
4月5日、春日大社の境内にある摂社・水谷神社で無病息災、
夏季にに多い疫病の流行を鎮める祭りです。
この時期には、彼方此方の神社で鎮花祭が斎行されます。
大神神社の鎮花祭、京都の今宮神社やその周辺のやすらい祭などが有名です。
ここ水谷神社の祭礼には祭礼の巡行はなく、狂言が奉納されます。
神楽や室町時代(1288年・正応元年に創始)から受け継がれ「水谷狂言」と呼ばれています。
残念ながら朝10時からの神事、神楽には間に合いませんでしたが、狂言は観覧できました。
この狂言は、大蔵流狂言家元の大藏彌太郎師指導のもと、春日大社の神職等30数名で組織される
「禰宜座狂言会」によって、狂言と小舞が各数奉納されます。


奉納社殿神楽と狂言の番付

 
「左 春日御本社道」   東大寺二月堂方面「水谷道」


駒札「御祭神・素戔嗚命様 大己貴命様 奇名田姫命様」


 
社殿
 
正面              桜の献花

  
側面からは社殿狛犬や階段に「剣頭三つ巴」の模様が見える

 
社殿横に設けられた舞台

小舞


  

「膏薬煉」
 

 
鎌倉と上方の膏薬練り(薬屋)が膏薬の効能比べをするが、勝負がつかず、
双方の鼻の頭に薬をつけて吸い比べをして上方が勝つ。

「清水」
 

  
茶の水をくみに行かされた太郎冠者が、鬼に手桶を取られたと偽って帰り、
手桶をさがしにいった主人を鬼に化けて脅すが、声で見破られる。

「六地蔵」
 

  

 


詐欺師が六地蔵を求める田舎者をだまそうと偽仏師となり、
三人の仲間を地蔵に仕立て、居所を変えて六体に見せかけるが見破られる。

「花鎮」
 

 

  

 
花祭に合わせて創作された「花鎮(はなしずめ)」では、
酒を飲む花見客の酔った姿や宴会のにぎやかな様子を表現

二十五世宗家大蔵彌右衛門・小舞「幼けしたる物」
 

 

   


 



木立に囲まれた神域に設けられた舞台での狂言、小舞は、能楽堂の舞台で鑑賞するのとは、また違った空気が漂い、
若宮おん祭の御旅所で篝火のもとで演じられる狂言とともに、芸能の本質に触れた感じがしてとても素晴らしかった。

出番を終えられた方が、神職の衣装に着替えておられたのを見て、「禰宜座狂言」であることをより実感しました。
舞台は「春日御本社道」にあり、参拝者、観光客が舞台前を通りすがりに横目で見て行く光景も面白く感じました。

(春日大社HP、観光協会HPなどを参考に記載)

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三つ葉アケビの花

2018年04月04日 | 日記
昨年は沢山実が付いた「三つ葉アケビ」
今年も花が付きました。

雌雄同株、雌雄異花で、
花の色はアケビよりも濃い暗紫色。
新葉の腋から総状花序を下垂または下曲させ、
花序の先端に十数個の小型の雄花を付け、
基部に大型の雌花を数個付けます。

 


下に垂れ下がってきた花序 上が雌花で下に雄花 

 
雌   花 
雌花は3㎝前後の花柄を持ち
濃暗紫色で15mm程、
花弁状の萼片は7〜10mmで3枚、
円柱状の雌蕊が3〜6本、
花に花弁はありません。


雄   花
雄花は濃暗紫色で経4〜5mm程
反り返った花弁状の萼片は長さ2mmで3枚、
6本の雄蕊が球状に集まっています。

下垂した花序には雌花が落ちてしまったのか
雄花だけのものも幾つかありました。
これには実が付きませんね…。
雌花には、綿棒で受粉させたのですが…。
上手く実が付けばいいのですが…。

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