12月16日、開山堂 良弁僧正座像、俊乗堂 重源上人座像、法華堂 執金剛神立像が
一度に拝観できる秘仏開扉がありました。
併せて、行基堂、念仏堂も拝観してきました。
今回の秘仏開扉で、「?」
同じ東大寺で高名な僧侶なのに…良弁僧正、行基菩薩、重源上人、公慶上人、實忠和尚などと
呼称が異なるのか?
Wikipediaなどで調べました。
律令制では、僧綱として僧正、僧都、律師の3つがあり、僧正と僧都の2つには大・少の別がある。
また後年にはそれぞれに権官が設置され、十の位が成立した。
僧正には大僧正、権大僧正、僧正、権僧正の4つがあり大僧正が僧官制の頂点に位置づけられた。
上人(しょうにん)とは、「仏教における高僧への敬称であり称号」。
諸国を回って民衆教化にあたった僧に対して「上人」あるいは「聖人」と呼ぶようになった。
和尚(おしょう、わしょう、かしょう)とは、「仏教の僧の敬称」。
また、「御僧」を表現するのに、特定の宗派で「わじょう」と言われているのを僧のことだと思い、
それが一般化して「おしょう」と言われるようになったという説がある 。
呼称が異なるのは、表示系統が異なっているのですね。
上人、和尚は僧の敬称であり、それぞれ僧位、僧階と統一した表現ではないと解りました。
僧のそれぞれの事績に応じた呼称で表示されているのかもしれません。
因みに、行基菩薩の「菩薩は諡名」で、僧位は「大僧正」(日本で最初)。
今でも、東大寺管長の層位は、「大僧正」だそうです。
調べたついでに…
和上(わじょう) 律宗・浄土真宗(儀式指導者に対してのみ)
和尚(わじょう) 法相宗・真言宗など
和尚(かしょう) 華厳宗・天台宗など
和尚(おしょう) 禅宗・浄土宗・天台宗など
和闍(わじゃ)
天台宗では遷化(亡くなること)された時は和尚(おしょう)から和尚(かしょう)へと呼び方が変わる。
東大寺の「四聖(ししょう)」
東大寺建立における,本願の聖武天皇,開基の良弁(ろうべん),勧進の行基,導師の婆羅門僧正菩提僊那の総称。
当然、堂内、仏像撮影は禁止ですので、拝観の手引を貼り付けました。
小さな窓は字が読めるように、クリックすると拡大します。
一度に拝観できる秘仏開扉がありました。
併せて、行基堂、念仏堂も拝観してきました。
「開山堂 良弁僧正座像」
良弁僧正座像の厨子には種字「大日如来」が掲げてありました。
また、背面には良弁の弟子「實忠和尚」の像が安置されていました。
そこで気が付いたのですが…
座像の前には水の入った多くの皿状の容器に、五枚の樒が供えてありました。
その横にも、葉の付いた樒の枝が沢山置かれていました…
意味はよく解りませんが、樒は一枚ずつにして「散華」にするとか…。
「枝散華」といい、右手で葉を摘み取り、右前方へ散らす作法とか…。
二月堂のお茶所の掲示です。お水取りでも五枚樒が毎日取り換えて供えられると…
開山堂入口 火の粉を散らした後の「お松明」
お堂入口
開山堂傍の「糊こぼし」の銘椿
お水取りの二月堂、不空羂索観音の法華堂(三月堂)に面し、三昧堂(四月堂)に隣接しています。
良弁僧正座像の厨子には種字「大日如来」が掲げてありました。
また、背面には良弁の弟子「實忠和尚」の像が安置されていました。
そこで気が付いたのですが…
座像の前には水の入った多くの皿状の容器に、五枚の樒が供えてありました。
その横にも、葉の付いた樒の枝が沢山置かれていました…
意味はよく解りませんが、樒は一枚ずつにして「散華」にするとか…。
「枝散華」といい、右手で葉を摘み取り、右前方へ散らす作法とか…。
二月堂のお茶所の掲示です。お水取りでも五枚樒が毎日取り換えて供えられると…
開山堂入口 火の粉を散らした後の「お松明」
お堂入口
開山堂傍の「糊こぼし」の銘椿
お水取りの二月堂、不空羂索観音の法華堂(三月堂)に面し、三昧堂(四月堂)に隣接しています。
「糊こぼし」と名付けられた奈良三銘椿の一つが開山堂の傍に植わっています。
○東大寺開山堂「糊こぼし椿」… 紅色に白い絞りを入れた大輪。別名「良弁椿(ろうべんつばき)」
○白亳寺「五色椿」… 紅・白・桃・絞り・大絞り等に咲きわける。
○伝香寺「散り椿」… 花が若いうちから一枚づつ花びらを散らす。別名「武士椿(もののふつばき)」
○東大寺開山堂「糊こぼし椿」… 紅色に白い絞りを入れた大輪。別名「良弁椿(ろうべんつばき)」
○白亳寺「五色椿」… 紅・白・桃・絞り・大絞り等に咲きわける。
○伝香寺「散り椿」… 花が若いうちから一枚づつ花びらを散らす。別名「武士椿(もののふつばき)」
通称「鐘楼の丘」には、「鐘楼」を囲むように「俊乗堂」、「行基堂」、「念仏堂」があります。
「俊乗堂 重源上人座像」
俊乗堂には、愛染明王座像、阿弥陀如来立像も安置されています。
「行基堂 行基菩薩座像」
元は俊乗上人の御影堂。元禄時代に上人像を、俊乗堂に移したので、
仏師賢慶の造った、東大寺創建に貢献した行基菩薩坐像を安置。
「念仏堂 地蔵菩薩立像」
念仏堂は、元は地蔵堂と言われ、ゆるやかな勾配の屋根をもち、
朱の柱と扉、黒い格子戸、白壁の美しい姿の建物である。
鎌倉期の建築であるが、創建の由来は不明。
本尊の地蔵菩薩像と同じ時期に建てられたと考えられている。
本尊の大きな地蔵菩薩が一体安置されているだけのお堂です。
「鐘楼」・「梵鐘 (別名;奈良太郎)」
「俊乗堂 重源上人座像」
俊乗堂には、愛染明王座像、阿弥陀如来立像も安置されています。
「行基堂 行基菩薩座像」
元は俊乗上人の御影堂。元禄時代に上人像を、俊乗堂に移したので、
仏師賢慶の造った、東大寺創建に貢献した行基菩薩坐像を安置。
「念仏堂 地蔵菩薩立像」
念仏堂は、元は地蔵堂と言われ、ゆるやかな勾配の屋根をもち、
朱の柱と扉、黒い格子戸、白壁の美しい姿の建物である。
鎌倉期の建築であるが、創建の由来は不明。
本尊の地蔵菩薩像と同じ時期に建てられたと考えられている。
本尊の大きな地蔵菩薩が一体安置されているだけのお堂です。
「鐘楼」・「梵鐘 (別名;奈良太郎)」
東大寺の鐘は、宇治の平等院の鐘、大津の園城寺の鐘と共に
「日本三名鐘」の一つに数えられます。
「形の平等院、声の園城寺、勢いの東大寺」とも形容されています。
また、京都の知恩院、京都の方広寺の梵鐘と共に
「日本三大梵鐘」の一つでもあります。
さらに、「奈良太郎」と称され、高野山の根本大塔の「高野次郎」,吉野の世尊寺跡の「吉野三郎」と共に
「日本三古鐘」の一つです。
「日本三名鐘」の一つに数えられます。
「形の平等院、声の園城寺、勢いの東大寺」とも形容されています。
また、京都の知恩院、京都の方広寺の梵鐘と共に
「日本三大梵鐘」の一つでもあります。
さらに、「奈良太郎」と称され、高野山の根本大塔の「高野次郎」,吉野の世尊寺跡の「吉野三郎」と共に
「日本三古鐘」の一つです。
「法華堂 執金剛神立像」
執金剛神立像は不空羂索観音像背後の厨子内に北面して安置されている。
神像だからでしょうか狛犬、鏡も飾られていました。
北壁に拝観用に段が設けられ、目線が変わるとまたその厳しい顔が一層感じられます。
執金剛神立像は不空羂索観音像背後の厨子内に北面して安置されている。
神像だからでしょうか狛犬、鏡も飾られていました。
北壁に拝観用に段が設けられ、目線が変わるとまたその厳しい顔が一層感じられます。
今回の秘仏開扉で、「?」
同じ東大寺で高名な僧侶なのに…良弁僧正、行基菩薩、重源上人、公慶上人、實忠和尚などと
呼称が異なるのか?
Wikipediaなどで調べました。
律令制では、僧綱として僧正、僧都、律師の3つがあり、僧正と僧都の2つには大・少の別がある。
また後年にはそれぞれに権官が設置され、十の位が成立した。
僧正には大僧正、権大僧正、僧正、権僧正の4つがあり大僧正が僧官制の頂点に位置づけられた。
上人(しょうにん)とは、「仏教における高僧への敬称であり称号」。
諸国を回って民衆教化にあたった僧に対して「上人」あるいは「聖人」と呼ぶようになった。
和尚(おしょう、わしょう、かしょう)とは、「仏教の僧の敬称」。
また、「御僧」を表現するのに、特定の宗派で「わじょう」と言われているのを僧のことだと思い、
それが一般化して「おしょう」と言われるようになったという説がある 。
呼称が異なるのは、表示系統が異なっているのですね。
上人、和尚は僧の敬称であり、それぞれ僧位、僧階と統一した表現ではないと解りました。
僧のそれぞれの事績に応じた呼称で表示されているのかもしれません。
因みに、行基菩薩の「菩薩は諡名」で、僧位は「大僧正」(日本で最初)。
今でも、東大寺管長の層位は、「大僧正」だそうです。
調べたついでに…
和上(わじょう) 律宗・浄土真宗(儀式指導者に対してのみ)
和尚(わじょう) 法相宗・真言宗など
和尚(かしょう) 華厳宗・天台宗など
和尚(おしょう) 禅宗・浄土宗・天台宗など
和闍(わじゃ)
天台宗では遷化(亡くなること)された時は和尚(おしょう)から和尚(かしょう)へと呼び方が変わる。
東大寺の「四聖(ししょう)」
東大寺建立における,本願の聖武天皇,開基の良弁(ろうべん),勧進の行基,導師の婆羅門僧正菩提僊那の総称。
当然、堂内、仏像撮影は禁止ですので、拝観の手引を貼り付けました。
小さな窓は字が読めるように、クリックすると拡大します。
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