パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

12月21日は「終い弘法」

2016年12月22日 | 日記
京都では、毎月21日は「弘法さん」、25日は「天神さん」で賑わいます。
特に、12月は「終い」と冠され、歳末の風物詩となっています。
終い弘法には、毎月の露店に加え、お正月用品の店も見られます。
時々、縁日に出かけ、諸堂の参拝もするのですが、
今回は、初めて「御影供」にお参りしてきました。

通常ですと、御影堂(大師堂)で法要が行われ、一般の者もお参りできるのです。
現在は、修復工事中で、向いの仮御影堂として「大日堂」で行われました。
堂内には、大日如来座像と弘法大師座像が祀られていました。
僧侶は二班編成?多くは大日如来像、五名が弘法大師像。(御影堂での法要は知りませんので…)
10時から小一時間の読経が行われ、「理趣経?」分ったのは最後の「般若心経」だけ…。

その前に…東寺の正式名称って知っていたつもり…「教王護国寺」…。違いました。
正式名称は「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院
あるいは「弥勒八幡山総持普賢院」とされ、
宗教法人としての名称は「教王護国寺」です。
創建当初の名称は「東寺」
通常は、真言宗総本山 東寺〔教王護国寺〕と言ってますが…知りませんでした。

 
山門の正面に金堂      金堂 
 

上の小窓、大仏殿では観想窓… 
   
『東寺は、平安京が開かれた後、796年創建金堂から諸堂が建てられた、朝廷が造営した官寺。
1486年文明の土一揆で焼失。桃山時代になって100年振りに再建。
宋の様式を取り入れ、天竺様と和様を合わせた桃山時代の代表的な建物。
屋根の中央の切り上げは、東大寺大仏殿や平等院鳳凰堂にも見られる形。
小屋根の下にある南開の扉は、法会の時開けられ、散華したとも言われています』(東寺HP参考)


  
大日堂

   
修復工事の為、覆われた御影堂                  柱のご宝印

 
工事用の足場は、伝統的な「丸太に鉄線」で組まれていました。

  
毘沙門堂    扁額「元羅城門本尊 兜跋毘沙門天王」   毘沙門天の真言

 
本尊毘沙門天像(横の障子が開いていたので…)
国宝に指定されているこの兜跋毘沙門天像は、
かつて羅城門の楼上に安置されていたという。

兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)と呼ばれる特殊な像容です。
金鎖甲(きんさこう)という鎖を編んで作った鎧を着し、      
腕には海老籠手(えびごて)と呼ぶ防具を着け筒状の宝冠を被る。  
持物は左手に宝塔、右手に宝棒または戟で、見るからに異国風の像。 
また、邪鬼ではなく地天女及び二鬼(尼藍婆、毘藍婆)の     
上に立つ姿だそうですが、見えません。              
(右のウイキペディアの写真は持物の戟もなく、異なっていると思えますが…)

午後からフォーラム「羅城門〜未来への遺産を考える〜」に行くので、本尊を拝観し元気が出ました。

法要の後、11時から法話がありましたので拝聴してきました。
講師は、教学部長の山田忍良氏で、講座プロジェクト・法話の第24回をかぞえるそうです。


12月の「お大師さまのおことば」No73
『難信のことは 諸仏の境界(きょうがい)である』(付法伝第二)
信が難しいのは、仏の世界の問題だからである


《 法話の資料 》
  
『難信のことは 諸仏の境界(きょうがい)である』

 
『南無大師遍照金剛』 

 
『成道会』
 
 
『仏説摩訶般若波羅観蜜多心経』

講師のお話しはとても分かりやすく「これぞ法話」と耳を傾けました。
資料も解りやすく作成されていますので添付しました。
(小さい写真をクリックすると拡大しますので読みやすいかと…)
来年は、時間が取れれば、引き続き聴聞したいと思います。

おまけ(法話の一部)
名古屋製酪株式会社・めいらくの「褐色の恋人・スジャータ」の
命名は薬師寺管長の故高田好胤さんだったんですか…
苦行の末、断食で倒れていたお釈迦さまに乳粥を与えた、村の娘「スジャータ」のお陰。
その結果、元気を回復し、遂に成道に至ることができた。
お釈迦さまの命を救った「乳粥」の主人公スジャータ?が、商品に因んで付けられたと言う、
奥の深い話もありました。





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