斎藤秀俊の眼

科学技術分野と水難救助、あるいは社会全般に関する様々な事象を一個人の眼で吟味していきます。

4回目の被災地入り

2011年04月30日 10時03分15秒 | その他
2週間に1回のペースで被災地入りしています。今回は、東北南部沿岸に入りました。
今回は、常磐道船引三春で降りて、田村市をとおり国道349号線を北上しました。途中二本松から桜が満開で、しかもいろいろな花の配置がよくきれいな町並みを通ることになりました。新潟にもあるコンデンサを作っている会社の桜がきれいでした。そういえば、小学校2年生のときの担任の若くてきれいな橘先生は二本松の出身でした。



なぜこのルートを通ったかというと、東北道が郡山から福島にかけて混雑していたからです。同じ時間くらいかかるのであれば、中山間地のきれいな景色が見たかったのと、3月16日から気になっていた飯舘村を見たかったからです。

二本松市から川俣町に向かい、そこから飯舘村に東進しました。飯舘村に入るとすぐに飯舘牛の看板と森林組合の建物が見えました。このことからも、この村は牛と森林とともに暮らしていることがわかりました。とても大事な財産なのです。



地元の農業高校の実習畑もありました。農業も重要な産業なのです。放射線の被害のために計画的避難区域に指定されましたが、牛も森林も畑も動かせるものではありません。



県道12号を南相馬市に入りました。原町区と鹿島区の間の県道から見た景色です。とてもきれいでした。秋の紅葉はさぞかし立派だと思いました。ぜひ秋に東北入りするときには通りたいルートのひとつにしたいと思います。



さて、目的地に到着しました。事前の調査によれば、津波に完全に流された地区と無事だった地区の間に広がる半壊~全開地域に後片付けのニーズがあります。素人集団のボランティアにできることは、そういったお宅の庭や畑の片付けと浸水した住居の片付けとなります。

本学の学生たちがボランティアにいくことを志願しましたので、われわれ教員もボランティアで事前調査を行い、比較的作業しやすく、ニーズの高い場所を学生たちに紹介しています。写真は、そういった地区のひとつの様子で、家人から片付け依頼事項について説明を受けているところです。



こちらのお宅は1階が天井まで水に浸かりました。



作業場所のお宅の目の前は、瓦礫の海と化していました。こういった瓦礫の除去には、まだまだ時間がかかるのでしょう。学生たちは、あせることなく、まずは自分たちにできることからゆっくりはじめています。今は現場を見ることが重要です。彼らが将来のわが国のため、世界のため、どういうことを考えて行動したらよいか、きっとこの現場が彼らに大きな影響を与えていくものと思います。









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