今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

長等山 園城寺<三井寺>その3(滋賀県大津市園城寺町)

2013年12月16日 | 神社・仏閣
「一切経蔵」で雨宿りをしていたが、止む気配がないので次に進むことにした。



唐院(重要文化財)
灌頂堂(重文)、唐門(重文)、大師堂(重文)、長日護摩堂などがある。



智証大師円珍が唐から帰国後、請来した経巻法具などを納めたところ



現在は、宗祖円珍の廟所ならびに灌頂(密教の儀式)の道場として寺内でも最も神聖な場所



潅頂堂(重要文化財) 
五面五間 側面五間 一重 入母屋造 桧皮葺 桃山時代
大師堂と四脚門にはさまれて建ち、大師堂の拝殿としての役割を備えている
内部は前室と後室に分けられ、密教を伝承する道場



長日護摩堂 



潅頂堂と長日護摩堂の奥に大師堂(重要文化財)があり、智証大師像(国宝)と黄不動尊立像(重文)が祀られているが、立入禁止となっているため建物も見ることができない

潅頂堂の右側には三重塔がある



三重塔(重要文化財)
三間三重塔婆 本瓦葺 室町時代



奈良県の比曽寺にあった塔を豊臣秀吉が伏見城に移築したものを、慶長6年(1601年)、徳川家康が再度移築させた



 


村雲橋
開祖円珍がこの橋を渡っているとき、中国の青龍寺が焼けている事を聞いた。閼伽井の水をまくと橋の下から村雲が湧き起こり中国に向かって飛び去った。
翌年、青龍寺から鎮火のお礼の使者が来たという



微妙寺(三井寺別所)
本尊は十一面観音(重文)<土・日・祝日のみ開扉>



参拝人が多数押しかけて 人々の笠が破れたことから俗に「笠ぬげの観音」と呼ばれて信仰された



毘沙門堂(重要文化財)
正面一間 側面二間 一重 宝形造 桧皮葺 江戸時代(元和二年 1616)



明治以降に三尾社の下に移築、戦後の修理に際して現在地に移った



内部には文様などが彩色で描かれており、桃山建築の系譜を受け継いでいる



観音堂(滋賀県指定文化財)
貞享三年(1686)に火災にあい、元禄二年に再建された。本尊は如意輪観音(重文)<秘仏>



観月舞台(滋賀県指定文化財)



百体堂(滋賀県指定文化財)



手水舎(大津市指定文化財)



衆宝観音
衆宝とは衆生が求めてやまない財宝のこと、この観音様を信仰すると財宝が貯まり、福徳を授けられ出世が叶うという



もちろん念入りに祈願したが、信仰心がないので期待はできない。しかし、右手を岩に置き、左手を立て膝の上に置くという、この観音様の特異な姿形はすばらしい



朝から石山寺から三井寺と廻り随分歩いた。昼食も摂らず雨にもあたり体力も消耗してきた。
案内によるとあと2つ(水観寺と護法善神堂)残っていたが戻ることにした。

本堂裏にある石仏を撮るために移動した












本堂裏にあるこの小さなお堂だが記憶から消えている



本堂と奥に見えるのは三井の晩鐘



最後に、三井寺で働いている人たちの対応が素晴らしいところも、この寺の魅力のひとつだ。
歴史ある大寺にもかかわらず大変親切で謙虚だ。
三井寺で働かせてもらっているという誇りがひしひしと伝わってくる。 




撮影 平成25年11月12日

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