3日続きの冷たい雨、昼には道の駅に入り休養日とする。
写真の整理でもしようと思ったが、そんな気持ちにもなれずにしばらくの間のんびりしていた。
さて、今日からブログは京都に入る。最初に選んだ寺は「大原三千院」だ。
何年前になるか忘れるくらい前に一度訪れたことがある。
今回、三千院を選んだのは「女ひとり」に出てくる三寺のうち二寺を今年の5月の旅で廻ったため、残る一寺が気になっていたためだ。
観光客の多いお寺だけに、人のいないこの門を撮すのに10分位待った。
拝観料を納め順路にしたがって移動する。
客殿だと思うが縁側に座り庭を見る場所がある。
庭には興味はないが写真を撮るために腰を下ろす。
正直、庭のよさは「きれいだな」程度でまったく理解できない。
靴に履き替え前を見ると写真などでもよく見かける光景が広がってくる
往生極楽院阿弥陀堂(重要文化財)
往生極楽院は、平安時代末期の12世紀から大原の地にあった阿弥陀堂であり、1871年に三千院の本坊がこの地に移転してきてから、その境内に取り込まれた
阿弥陀三尊坐像(国宝)
阿弥陀堂を撮していたら偶然写り込んでいた三尊像だが、内部は船底天井として、中尊の像高2.3メートルの阿弥陀三尊像を堂内の空間一杯に安置している
阿弥陀堂内で三千院の歴史や仏像についての説明を15分程度あるが、この僧侶の話がわかりやすく、面白く、時間があったら是非聞くと参考になる。
さて、この小さなお堂だが写真を撮っていて飽きない
その場所、その場所で違った顔を見せる
往生極楽院側から客殿方向
朱雀門
妙音神寿大弁財天(京の七福神)
草木供養塔
観音堂
慈眼の庭
不動堂
石仏(阿弥陀如来座像)
鎌倉時代のもの
道端で発見した切り株も自然の力に飲み込まれていくようだ
さて、往生極楽院周辺の庭園にある石仏。注視しなければわからないくらいだ
望遠レンズにてアップで撮影
一番有名な石仏らしいが、やさしい顔に撮れるかがポイントだそうだ
反対側からも
一番好きな石仏がこれだ
もう一度、往生極楽院を
京都と古寺といったら和服。
少し古いが若い頃の、五月みどりに似ている和服美人に写真を撮らせて下さいと依頼すると、後ろ姿ならと快諾してくれた。
カメラには望遠レンズ、短いレンズだったら周囲の風景とあったと思うと残念。今日の最後の一枚。
撮影 平成25年11月6日
写真の整理でもしようと思ったが、そんな気持ちにもなれずにしばらくの間のんびりしていた。
さて、今日からブログは京都に入る。最初に選んだ寺は「大原三千院」だ。
何年前になるか忘れるくらい前に一度訪れたことがある。
今回、三千院を選んだのは「女ひとり」に出てくる三寺のうち二寺を今年の5月の旅で廻ったため、残る一寺が気になっていたためだ。
観光客の多いお寺だけに、人のいないこの門を撮すのに10分位待った。
拝観料を納め順路にしたがって移動する。
客殿だと思うが縁側に座り庭を見る場所がある。
庭には興味はないが写真を撮るために腰を下ろす。
正直、庭のよさは「きれいだな」程度でまったく理解できない。
靴に履き替え前を見ると写真などでもよく見かける光景が広がってくる
往生極楽院阿弥陀堂(重要文化財)
往生極楽院は、平安時代末期の12世紀から大原の地にあった阿弥陀堂であり、1871年に三千院の本坊がこの地に移転してきてから、その境内に取り込まれた
阿弥陀三尊坐像(国宝)
阿弥陀堂を撮していたら偶然写り込んでいた三尊像だが、内部は船底天井として、中尊の像高2.3メートルの阿弥陀三尊像を堂内の空間一杯に安置している
阿弥陀堂内で三千院の歴史や仏像についての説明を15分程度あるが、この僧侶の話がわかりやすく、面白く、時間があったら是非聞くと参考になる。
さて、この小さなお堂だが写真を撮っていて飽きない
その場所、その場所で違った顔を見せる
往生極楽院側から客殿方向
朱雀門
妙音神寿大弁財天(京の七福神)
草木供養塔
観音堂
慈眼の庭
不動堂
石仏(阿弥陀如来座像)
鎌倉時代のもの
道端で発見した切り株も自然の力に飲み込まれていくようだ
さて、往生極楽院周辺の庭園にある石仏。注視しなければわからないくらいだ
望遠レンズにてアップで撮影
一番有名な石仏らしいが、やさしい顔に撮れるかがポイントだそうだ
反対側からも
一番好きな石仏がこれだ
もう一度、往生極楽院を
京都と古寺といったら和服。
少し古いが若い頃の、五月みどりに似ている和服美人に写真を撮らせて下さいと依頼すると、後ろ姿ならと快諾してくれた。
カメラには望遠レンズ、短いレンズだったら周囲の風景とあったと思うと残念。今日の最後の一枚。
撮影 平成25年11月6日