今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

普門山 松尾寺(滋賀県米原市上丹生)、姉川古戦場(長浜市野村町)、瑞塔山 雲樹寺(島根県安来市清井町)

2013年11月28日 | 神社・仏閣
重要文化財を持つ寺院を廻る旅でも、肝心の重文に巡り会うことができないこともある。
一番多いのは、道路幅が狭くて車の通行ができない。この旅では7つの寺院がそれに該当する。
もう一つは、そこに居ても重要文化財とは気付かず見逃してしまうことだ。
今日はそういう憂き目にあった2つの寺とこれがそうなのと驚いた古戦場を紹介する。

普門山 松尾寺(滋賀県米原市)
滋賀県米原市上丹生にある天台宗の寺院。山号は普門山。院号は定光院。
本尊は十一面観音菩薩(飛行観音)<秘仏>



創建はかなり古く、奈良時代後期に役行者の開基、平安時代前期の伊吹山寺三修の高弟、松尾童子の中輿と伝えられている。
2012年6月現在、醒井楼の少し上に松尾寺新本堂が復興再建された。



この日は台風26号の被害の復旧のため、住職が重機を操り作業をしていたときにおじゃました。
本堂は最新の建物となり歴史的価値はないが、小さな堂内にはかなりの数の仏像が安置している。



人里離れた山中にあったため兵火を免れ多くの仏像が残ったのではないかと説明してくれた。
隣の資料館には本堂よりも数多くの寺宝を所有しているらしい。

 

資料館というより収蔵庫という感じであるが、館内には所狭しとお宝が置かれている。
そのなかでも、特に驚いたのは、鎌倉末期の「絹本著色浄土曼茶羅図」(県指定文化財)だ。
一度も修復の手が入っていないようだが、色も鮮やかで知識のない私でさえ「これは県の文化財レベルではない」と強く感じた。



写真中央下が霊仙三蔵記念堂
幼くして仏門に入り、金勝寺別院霊山寺(霊山七カ寺ー松尾寺、安養寺他)から奈良の大寺興福寺に入山、得度、804年、最澄や空海と共に当時の世界文化の中心地、唐の長安に仏教求法の為、渡唐。
最澄や空海は帰国したが、霊仙は梵語を修得していたので、当時の大唐国憲宗皇帝に認められ、石山寺で発見された『大乗本生心地観経』の筆受並びに訳語の重責を果したことで『三蔵』の称号(世界で8名)を贈られた。



さて、この寺に来た目的である、「石造九重の塔(重要文化財)」は松尾寺山の山頂付近にある。
旧本堂跡地の脇に立っているそうで、道路幅が狭い上に、台風で地盤が緩んでいるので歩いていくしかない。
往復2時間近くかかるようなのであっさりとあきらめ帰ることにした。
住職は比叡山で修行したということもあり、比叡山参拝を薦めてくれた。

撮影 平成25年11月8日

史跡 姉川古戦場(滋賀県長浜市) 
道路地図上では比較的大きく扱われている古戦場だが、二度ほど通り過ぎてしまった。
看板が立っているところに車を駐めると、ここが目的地だということがわかった。
この合戦は、浅井・朝倉軍約1万8千人と織田・徳川軍約2万8千人が、姉川を挟んで軍を敷き、徳川方の攻撃により戦いが始まった。 



姉川に架かる橋。手前が浅井・朝倉、奥に織田・徳川軍が位置していた



最初、浅井・朝倉軍が優勢で、織田方は、13段構えの陣を11段まで突破されたが、徳川軍の力戦によって朝倉軍が後退したため、浅井軍は右翼から崩れはじめた。
これに力を得た織田軍も総攻撃に転じ、浅井・朝倉軍は小谷城へ敗走することになった。



この戦いによる戦死者は両軍で2500人とみられ、この3倍におよぶ負傷者が出、姉川は血で真っ赤に染まったといわれている。
血原(ちはら)、血川橋(ちかわばし)という地名が、当時の惨状を伝えている。 






この合戦の後も、長政は本願寺などの反信長勢と協力して抵抗を続けたが、姉川の戦いから3年後に、小谷城を包囲され、28歳で自刃した。









私のほかに東京から観光客が1名。やはり、一度通り過ぎたが私の車が駐まっていたので、もしやと思い止まったようだ。



今は歩いて渡ることができる川幅だが、当時はどうだったのかなど、しばらく会話を楽しんで別れた。
帰り際に数回深呼吸して歴史を体内に取り込んだ。 


撮影 平成25年11月8日


次の寺は足立美術館や安来節演芸館の近く。
重要文化財は目にしていたのだが、自分の価値判断で重要視せず山門(重文だと思いこんでいた)の写真ばかり撮っていた。
訪れた時期は遡るが由緒あるお寺である。

瑞塔山 雲樹寺(島根県安来市)
島根県安来市にある臨済宗妙心寺派の寺。
本尊釈迦如来。1322年地頭牧氏が開山孤峰覚明(三光国師)を招いて開創という。

山門



元禄8年(1695)再建。楼上に釈迦牟尼佛、十六羅漢を安置。額は後醍醐天皇親筆



観音堂



仏殿 












この山門が重文だと思い、この周囲を何周したことか。次回訪れるきっかけができた。



撮影 平成25年11月1日
コメント
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