goo blog サービス終了のお知らせ 

神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

山下れいこさんの最後の作品~「塔」11月号より

2016年11月16日 08時10分17秒 | 短歌
昨日、私の所属する短歌結社「塔」の結社誌11月号が届きました。

以前も一度ご紹介したことがありますが、山下れいこさんという、インターネット歌会の常連参加者であり、愛媛県在住だった方の最後の作品が載っていました。

8月に亡くなられて、その8月に作られた歌が、3ヵ月後の今月、11月号に掲載されるのがお約束です。

松村編集長に「11月号に山下さんの最後の作品が載ります」と教えていただいていましたが、これが最後の作品と思うと感慨深いし、同時に、最後の最後まで詠い続けた山下れいこさんの歌人魂に拍手を贈りたいような気持ちです。

すばらしい一連だと思うので、広くお読みただきたきたいと、「塔」11月号から転記させていただきます。

  やはらかく紙風船に息を入れ猫と転がす六畳和室

  横臥するわが背を撫でつつ一瞬の沈黙はあり水照りのやうな

  袖すり合ふたびに風立つ四人部屋十日を暮らす母姉妹

  枯れ枝を流して速し渓の水わたしのこゑを誰か掬って

  葉月の陽けだるく差しくる病室に額を上げてわたしは祈る

  残されし此の世の時間は幾何か見え隠れするキリストの踵

  飼ひ猫のしづかに窓の外見てをりぬ脚太き虹の立つ朝

  週末の迎へ方をばたれに聞かむベロニカの花芽ふくらみてきぬ

  メーテルはいづこへゆくのか終電はゆるく弧を引く光の箱なり

  堪えられる痛みの果ては涙(るい)となるましろく冷ゆるふろふき大根


以上です。

山下さんは確か昭和20年のお生まれでしたから、享年70歳か71歳であられましたか。

あらためて、ご冥福をお祈りさせていただきたいと思います。

  和歌山の全国大会懇親会臨席せしが最初の最後  biko

韓国の”うねり”は、どこに向かうのでしょうか?

2016年11月15日 11時38分18秒 | ニュース
アメリカより韓国のほうが凄いことになっているみたいですね。

思うに、韓国の国柄は「恨み」ともいえるのではないでしょうか?

日本に対しても、したことだけならまだしも、していないことまで、されたされたと日本に言い、諸外国にも言っていますね。

これは、韓国という国の国民が満たされていない証しだと思うんですね。

それでクネさんは国民共有の敵である日本を槍玉に挙げることで国民を宥めてきたと思うんです。

が、ここにいたっては、反日の切り札も効果なしですね。

クネさん自身、今まで、あまりにも反日を言い過ぎたという反省はないでしょうか?

私は、彼女も心の底では日本に申し訳ないと思っているところもあると思います。

彼女も、ただの馬鹿じゃありませんからね。

それに、人間、人には嘘がつけても、自分には嘘がつけないですから。

クネさんだけじゃなく、韓国の多くの人たちは、内心、反日を言いいすぎていると思っていらっしゃるかもしれないですね。特に、インテリ層の方々は。

まあ、それにしても、この韓国の異常な熱気!

正義感というより、恨みの熱気!

この大きな”うねり”はどこに向かうのでしょうか。

韓国のデモと比べると、アメリカのデモは、まだましかもしれません。

  鬱憤の溜まりてをればクネさんをかくも糾弾して韓国は  biko

  クネさんも知性のかけらのあるゆゑに反日反省してゐるやもしれず  biko

  デモできる自由はいまだ残されてデモさへできぬ国の国民  biko

  国割れて既に割れたる同胞の国もありして半島に冬  biko

  多人種が寄せ集められ大陸に、黄色人種も、黒人もゐる  biko

  白人にその都合あり黒人にその都合ありゆゑにデモあり  biko

トランプ一家は美男、美女揃いですね。ただしトランプ氏以外(^^)

2016年11月14日 17時14分22秒 | テレビ番組
昼食後、なにげにテレビを観ていると、次期アメリカ大統領、トランプ氏のご家族が紹介されていました。

一家は選挙の最中も出ていたようでしたが、その時は選挙の勝敗に気をとられていたため、私の視野に入っていませんでした。^^

改めて拝見すると、三男二女の子供さん達、皆さん、美男、美女ではありませんか!

これを観ると、単純な私は、トランプ氏って、過激なことを言う品のないお爺さんと思っていたけれども、案外常識的なところもあるのかも、と思ってしまいました。

ええ、こういうふうに人を外見で判断するのはよくないと思います。

でも、人って、やっぱり外見だと私は思うんですね。

昔、イラクのフセイン大統領が極悪人のように言われていました。

それで、アメリカに連れていかれて殺されてしまうのですが、その後、日本のテレビに、フセインの娘さん達が出演していて、拝見すると、お二人とも美人で教養のありそうな感じの方達でした。

そのとき、フセインは、あれだけ悪く言われていたけれども、実は、それほど悪い人でもなかったのかも、と思えたのです。

「流布されている歴史は勝者の歴史」っていうことが、よく言われますね。

それは、現代にも通じる理屈だと思うのです。

現代は、世界の警察、アメリカの正義が世界の正義になっています。

トランプ氏は、選挙期間中、「アメリカは世界の警察を止める」というようなことを言っていましたね。

「世界の警察」というと、聞こえがいいのですが、実は、アメリカの都合で警察になっていた面もあったのではなかったでしょうか。

「日本も守ってやっていたが、これからは、それも止める」らしいですが、しかし、日本を始め極東を守っていたのは、アメリカの利害も絡んでいたからなのですね。

アメリカは、これを止めちゃってもかまわないのでしょうか?

話が脱線しました。

私が言いたかったのは、トランプ氏は案外、常識人ではないかということ。

選挙戦では偽悪家になりきっていたのではないかと。

楽観的過ぎるとお叱りを受けるかもしれませんが、私は、今後、それほど心配しないで見守らせていただきたいと思いました。

  トランプに裏も表もあることの裏のみ見せてゐたかもしれず  biko

  外見で人を見定むわが目には悪いだけでもなささうに見ゆ  biko

「降りみ降らずみ」~日本語の美しさ

2016年11月13日 16時51分31秒 | 短歌
よく読ませていただくブログに作家、井沢満氏のブログがある。

ご職業が作家であられるだけあって、無駄のない、的確な文章を書かれる。

書かれる内容も教養が溢れていて勉強させていただけるので、私にとっては一石二鳥どころか、一読三鳥か四鳥くらいの価値がある。

最近は皇室問題の勉強をさせていただくことが多い。

そんな特別な方のブログと、私のような、ご飯を作ることしか能のない主婦のブログのテンプレートが同じというのは失礼ことであるが、このテンプレートは井沢氏のブログを知る前から使用しているので許していただきたいと思う。(^^;

無精者の私が、季節ごとに変えなくてもいいテンプレートを探した結果が、この書斎のテンプレートになった次第である。

と、つまらぬ言い訳は、さておいて、

今日の井沢氏のブログ記事のタイトルは「降りみ降らずみ、利休鼠の雨」であった。

「降りみ降らずみ」は、私も短歌をするようになって知った言葉だ。

私レベルの歌詠みには、いやみなく自然に挿入することが難しいが、このフレーズを使った歌は散見する。7音なので、短歌に挿入するのに便利という理由もあるだろう。

短歌は、というより、日本語は、こういう逡巡した言い回しが好まれる傾向がある。

井沢氏は、後撰集「冬」から、

  神無月(かみなづき)ふりみふらずみ定めなき時雨(しぐれ)ぞ冬のはじめなりける

という歌を引用されていたが、

たまたま手元にある現代短歌新聞をみると、<潮音>の木村雅子氏が、永平利夫の次のような歌を紹介をされていた。

  澄みきらず濁りきらずに流れゆく川穏約のことばを奪ふ

「降りみ降らずみ」もそうだが、この「澄みきらず濁りきらずに」も曖昧な表現である。

「降りず降らずみ」は日本の初冬の雨を象徴しているし、「澄みきらず濁りきらずに」は日本の都市を流れている川を彷彿させる。

思うに、日本人の奥ゆかしさは、こういう曖昧な気候、景色から育まれたものだろう。

だから、短歌を含めた日本の文芸は、物事を曖昧に表現したほうが読者に好感されるのかもしれない。

  使いたき言葉に「降りみ降らずみ」がありて未だに使えずにゐる  biko

  井沢氏のブログにコメント残したりいつもは読ませていただくだけの  biko

(註)隠約
1 はっきりと見分けがたいこと。「―の中 (うち) 天理働く至妙の象 (しょう) をも朧気 (おぼろげ) ながら覗 (かいま) 見得て」〈露伴・いさなとり〉

2 言葉は簡単でも意味が奥深いこと。また、あからさまに表現しないこと。「しかし『コロンバ』は―の間 (かん) に彼自身を語ってはいないであろうか」〈芥川・侏儒の言葉〉

出典:デジタル大辞泉

ボランティアや保護司をしている人が必ずしも人格者とは限らない

2016年11月12日 17時26分31秒 | 私の意見
社会的に成功した人あるいはインテリは、定年退職後しばしばボランティアや保護司に身を投じる。

そのこと事態は、非常にすばらしいことだが、しかし、そういう人たちが必ずしも人格者とは限らない。

身近な人に横柄だったり、弱いもの苛めしているにも関わらず、そういう社会的に評価される役職についているというケースも散見される。

これは、私が実際に、そういう人たちを知っているからいえることだ。

その人たちは定年後も社会的な箔がほしいのだ。

現役のとき、人からちやほやされた快感が忘れられないから、退職後も、そういう味を味わえる役職につきたがるのだ。

経済的には十分潤っている彼らがほしいのは栄誉である。

われわれは、こういう人たちに騙されてはいけない。

彼らがほしいのは自分の栄誉だけなのである。

もちろん、純粋な気持ちでやっておられる人が大半ではあるが、中には、こういうイカガワシイ人たちもいるということを忘れないようにしよう。

ボランティアはステータスでも人から崇められるためのものでもない。

やる以上は下心なしで謙虚な気持ちでやっていただきたいと、私は一部の不心得の人たちに申し上げたい。

これを読んで、反省してくれる人ならいいのだが、はたして?

昔、夫の伯母さんがよく言っていた。

正月になると善男善女が初詣するが、胡散臭いと。

私も伯母さんの言っていたことが何となくわかるようになってきた。

これも年をとった証しだろうか?

  わたくしは善人ですとボランティア始める人のいかわしさよ  biko

ファミリーヒストリー〜斉藤由貴の母方祖父母は聾唖であった

2016年11月11日 11時30分41秒 | テレビ番組
毎週木曜日に放映されるNHK「ファミリーヒストリー」を録画して、時間のあるときに観るようにしている。

昨日はドラマ等で活躍中の女優(歌手?)斉藤由貴さんのファミリーストーリーだった。

この番組では心打たれることが多いが、昨日のは特に、由貴さんの母方のお祖父様、お祖母様が聾唖であられたということに注目した。

私は、聾唖でこそないが、難聴である。

聾唖であられたのは、由貴さんの母方祖父母の水島吉男さん夫妻だ。

由貴さんのお母様、淳さんは吉男さんの次女であられる。


2歳のときジフテリアの高熱のため聴力を失ってしまった吉男さんは、11歳で東京聾唖学校に入学をする。


吉男さんは将来のことを考えて裁縫科で学んだ。


卒業して裁縫所で働き始めるが、27歳のときに聾唖学校の後輩の君子さんと結婚をする。


生まれた子供の最初と二番目の子は、自分達が聾唖であるため、言葉の習得などを心配して、よそに預けて育ててもらうことにした。

が、三番目の子供である、由貴さんのお母様の淳さんからは手元で育てることにした。

淳さんには、親が聾唖であることの苦労はいっぱいあったという。

「唖の子だ、唖の子だ」といわれて、挙句の果てには「うつるから逃げろ」などとも。

昔とはいえ、何と理不尽なことを言うものだろう。(怒)

四女だった、淳さんの妹の清さんが覚えていることは、

吉男さんが当時住んでいた横浜駅に運賃割引の手続きに行くと、「唖が来たよ、聾が来たよ」といわれて追っ払われてしまったという。

吉男さんは当時小学1年生くらいだった清さんに「また来ればいい」と、にっこり笑ったと。

えらい人だと思う。

この清さんは、現在NHK手話番組のキャスターをしていられるから、ご存知の方もいるかもしれない。私も、どこかでお見かけしたお顔だと思いながら見ていたくらいだから。

吉男さんの帯作りの腕は確かなものだったが、しかし、戦時中は仕事がなかった。

それで駅で靴磨きとかしていたらしいが、その頃も、いつも笑顔を絶やさず明るかったという。

その笑顔が気に入られて、戦後、進駐軍の購買部の仕事に就くこともできたと。

その後、昭和25年に「水島帯裁縫所」を再開するが、聴覚に障害のある人を雇って、事業を大きくしていったらしい。

事業に力を注ぎながら、同時に、当時は、聴覚障害者が選挙演説を聴くことができないことに問題を感じて、選挙演説に手話をつける運動にも力を注いだ。昭和11年には、日本聾唖協会横浜部会も発足させている。

そんな生活の中で、一番誇らしかったのは、昭和33年の皇太子ご成婚に伴って正田美智子さんから帯の製作の注文があったことだったという。


番組中の斉藤由貴さんも、「自慢のおじいちゃんでした」といわれていた。

由貴さんのお父様の斎藤家の家系も紹介された。

お父さんの勉さんも、お母様の淳さんに負けないくらい苦労されている。

もともと秋田県の素封家だった由貴さんの曽祖父、斎藤巳之助は事業に失敗して息子の巳一郎をほったらかして雲隠れしてしまったらしい。巳一郎は貰い乳で成長するが、のち専売公社に勤めて高給取りになる。その後専売公社で一番の美人といわれていたキヨさんと結婚するが、キヨさんが由貴さんのお父さんの勉さん達を生んだあと離婚してしまう。最初お父さんに引き取られていた勉さんであったが、後に母親のキヨさんに引き取られて雪が布団に積もるような粗末な家に暮らしたという。

勉さん、淳さん、苦労した者同士は、一生懸命、由貴さんを育て上げたと。

また母方のお祖父さんの話に戻るが、斉藤由貴さんの活躍を誰よりも喜んでいたのが吉男さんだったという。

由貴さんが、初めて「徹子の部屋」に出演したときは、由貴さんは、聾唖の祖父母さんたちのために、特別にお願いして手話を付けてもらったらしい。

が、その番組が放映される3日前に吉男さんは大腸癌で亡くなり、その葬式の最中に由貴さんの出演した「徹子の部屋」は放映されたと。

だから皆ゆっくりテレビなど観ていられなかったと由貴さんの叔母さんが言っておられたが、でも、亡くなられたお祖父さんは、きっと見ていられたと思う。その魂はまだ地上に彷徨っていられたと思うから。

  今よりも差別はげしき世を生きし聾唖の人らの物語観る  biko

  華やかな斎藤由貴の影にゐる聾唖の祖父母のその一生よ  biko

  障碍者差別解消法といふ法ができても差別は続く  biko

  心無い言葉浴びせる人はまだ此の世にありて夢浅きかな  biko

しかし、吉男さんのお母様が障碍児を生んだという理由で離縁されたとは今の時代には考えられないことです。

吉男さんが聾唖になったのはお母さんのせいではなく、ジフテリアによる高熱が原因であったのに・・・。
 
  高熱でその子がつんぼになりしかばその母親は離婚をされし  biko

吉男さんは聾唖になった上に母親まで失って、どれだけ辛い思いをされたでしょう。

今はなき姑が、私の難聴を嫌って、私を苛めたことと多少は通じるかもしれません。

  難聴は忌み嫌われて苛めらるなりたくてなりし難聴ならねど  biko

「つんぼ」は差別語と言われていますが、差別語というのは、言葉にあるのではなくて、その心にあるものです。

「つんぼ」も、差別の心がなければ使っていいのです。「めくら」も?

「聴覚障害者」と言葉を変えても、差別の心のある場合は使用禁止語です。視覚障害者も。

予想通りというか、予想外というか、トランプ氏が勝ちそうですね

2016年11月09日 16時51分45秒 | ニュース
トランプ氏が大統領になれば、ずいぶん日本、いや世界が変わるでしょうね。

まず、日本には、たちまち国防の問題が起こります。

トランプ氏は「なぜアメリカが外国の治安まで守ってやる必要があるのか」と言っている人らしいですから。

日本の平和は、戦争を放棄した憲法があるからと思っていらっしゃる方がいるようですが、そうでないということが明らかになってくると思います。

虎視眈々と日本の国土の一部(島)を狙っている国が近くにいるということも、これから思い知ることになると思います。

平和ボケした日本人には、よいショック療法になるかもしれません。

  トランプも囲碁も将棋も勝負には必ず勝ち負けありて終了  biko

  戦争は仕掛けられたら負けること許されぬゆゑ軍備必要  biko

いまクリントン氏が敗北宣言をしたとテロップが。

  七十を目前にして大統領にならずに済みし人に乾杯  biko

災害復興におけるアートの力

2016年11月08日 12時12分21秒 | お出かけ
朝の記事の続きを書きます。

昨日の演目のテーマは、「災害復興におけるアートの力」

副題は、<美術・音楽・芸能の社会的意味>だった。

まずトップバッターは「和太鼓松村組のパフォーマンス」

太鼓の音は高度難聴の私にも体に響くから楽しめる。

次に、佐渡裕氏(指揮者)の映像メッセージ。

その次が、スーパーキッズ・オーケストラだった。


実は、私は、これがお目当てであった。

なぜなら、私の東京の孫(小学生)が最近、本人の希望でバイオリンを始めたとかで、小学生の弾くバイオリンに興味があったのだ。

感動的な演奏であった。ヴァイオリンの演奏も、補聴器をしていれば、案外聞こえる。

「花は咲く」の演奏もあって、会場の観客も一緒に歌った。

難聴の進んだ私は最近の歌は歌わないことにしている。音程的にあっているかどうか、自信がもてないから。

ヴィオラのほうの撮影をしていなかったので、こちらも、


その後、二部のパネルディスカッションが始まる前に私は退席した。


聴きたいのは山々だったが、聞き取れないことはわかっているから、夫にあとで内容を聞かせてもらうことを期待して、受付でアンケートを渡して募金箱にいくばくかのお金を入れた封筒を入れてから、先に帰った。

思ったとおり、なかなかよいお話が聞かせてもらえたようだった。

が、叶わないことを望むより、私の楽しませていただける範囲のものを楽しませてもらうだけで満足しなければならない。

  赤と黒たすきにかけて青き頭(づ)が太鼓に向かひ叩くとき湯気  biko

  押し寄せてくる振動に共鳴すわが心底にたまる怒りが  biko

  わたくしの怒り代弁するごとく大太鼓の音(ね)が腑に沁みわたる  biko

昨日は新梅田シティへ行っておりました

2016年11月08日 06時18分43秒 | お出かけ
昨日は、新梅田シティで開催される演奏会、ならびにパネルディスカッションを聞くため夕方電車で梅田に行きました。

新梅田シティというのは梅田北側の再開発地域に一番最初に建設されたノッポの双子ビルです。最上階には空中庭園が設けられていることで有名です。

これが新梅田シティの入り口近くに呈示されてある地図です。



行ったついでに、高速バスの好きな私は、新しくできている高速バス乗り場も見学しました。

この赤いドアがWILLERという会社のバス乗り場待合室入り口です。


これが待合室です。


実際のバス乗り場も観にいってみました。

バスを見ていると、このままどこかに行ってしまいたいような気持ちになりました(笑)。

バス乗り場のそばには、こんな軽食を食べられる喫茶室がありました。

今までは、阪急高速バスかJR高速バスしか利用したことがなかったのですが、今後はこの会社のバスも利用してみたいと思いました。

バス乗り場から見上げると、新梅田シティの空中庭園が見えました。


また建物の中に入ると、新梅田シティのレプリカが飾られてありました。


その後、新梅田シティのステラホールで開催されるパネルディスカッション会場へ。

広い会場に、ぎっしりの人でした。


本日のパネルディスカッションのテーマは「災害復興におけるアートの力」


ーーーーーーーーーー

この記事は、昨日帰宅後書いたのでしたが、どういうわけか消えてしまったので、今朝書き直しました。

ショッピングセンターの電飾&ユニバーサルスタジオはお爺さん、お婆さんが行っても楽しいですか?

2016年11月06日 13時50分22秒 | 日記
美容院で染髪とカットをしてもらい、少し女を上げてきた。(^^)

帰途、駅前のショッピングセンターに回って、図書館にも行った。

こちらは、商売柄、早々と電飾がなされている。


図書館では、ユニバーサルスタジオジャパン本を借りてきた。

私達は、10年前まで大阪に暮らしていたのに、一度も行ったことがない。

今年のクリスマスあたりに行ってみようかと計画しているのだが、皆さんに質問です。

ユニバーサルスタジオはお爺さん、お婆さんが行っても面白いですか?

本当は今年の夏休みに孫を連れていってやりたいと思っていたのだが、中学生の孫の宿題がたまっていたから、行く時間が取れなかった。

なので、来年の春休みか夏休みの予行演習として、われわれだけで行ってみようと思うのだが、行かれたことのある高齢者の皆さんにお聞きしたい。

「USJは、われわれ高齢者にも面白いところでしょうか?^^」

  クリスマスに行かむか夢の遊園地ユニバーサルスタジオジャパン biko

選歌について・・・『現代短歌新聞』10月号より

2016年11月06日 02時16分30秒 | 短歌
                (「塔」の松村編集長の↑お顔が(^^)

新聞ではなく旧聞になるが、『現代短歌新聞』10月号に平山良明氏が次のようなことを書かれている。

現代の知識人は自分の目で見ないでも、インターネットで調べたりできますし、それで書くものがまちがっているかといえば正しいかもしれない。しかし、その人が本当に物書きか、本当に歌人かというと、どうでしょうかね。しかと自分の眼で見よ、そして、自分の言葉を紡げ、と言いたい。

いろんな人たちがその人自身の言葉で五七五七七を詠んで、残していく。われわれは今、いろんな立場の作品を自由に作ってもらって、収集する時期じゃないかと思うんです。いい、悪いよりもね。選者が評価して取捨選択するのではなくて、悠久の時の神様がふるい落として、いいものを残していくと思います。


まったく同感である。

結社に入ると、選者が選をする。

いったい何を基準に選をするのかと思うときも多い。

個人的な恣意で選をしているのでは?と思うときもある。

現代短歌では、基本的に、万葉時代のような歌は受け入れられない。

万葉歌のように、心のままに詠った歌は、しばしば「ベタな歌」という評価をされる。

つまり技術が未熟だといわれるのである。

もともと歌は「訴う」という言葉からから来ていると聴いたことがある。

それなら、なぜ心のままに詠った歌が「ベタな歌」になるのだろう。

技術が優れていても心のこもっていない歌にどれほどの価値があるというのであろうか。

また、選は、基本的に人生経験の少ない者にさせてはいけないと思う。

なぜなら、年配の歌人の詠った人生の慨嘆の歌などが若い選者にわかるとも思えないから。

若い選者に選をさせるのはその歌に対する冒涜になるのではないかと思うときもある。

少なくとも、私は、若すぎる選者には選をしてほしくない。

  選者こそ亀の甲より年の功なるべし歌の上手さなどより  biko

ーーーーーーーー

「心の花」には、今年、例の連合赤軍事件の坂口弘死刑因が入会した。

坂口死刑因は昭和21年生まれの69歳である。

罪は犯したが、彼には彼の人権がある。

死刑因だからといっても、彼も、年若い選者に選をされるのは嬉しくないのではないかと推測するが、どうだろう?

幸い、心の花の主宰は佐佐木幸綱氏であるから、坂口死刑因よりも年長である。

佐佐木氏が坂口の歌を評価したから、彼も入会したのであろうが、年齢の点でも彼にとってよかったと私は思う。

  罪びとの作る短歌の真実を認め選する佐佐木幸綱  biko

イルミネーションその2と私の星の王子様(笑)

2016年11月05日 07時25分13秒 | 短歌
調子に乗って、こちらも飾ってしまいました。(笑)

ところで、イルミネーションは夜空の星を模しているわけですが、私は石垣島天文台の所長さんが友人です。

彼が俵万智さんの短歌がお好きというので、「心の花」という短歌結社を紹介しました。

するとその当時宮城県に暮らしていられた憧れの俵万智さんが東北大震災をきっかけに石垣島まで引越してこられました。

(俵さんは、現在は、またそのお子さんの教育の関係で宮崎県に移られたようですが)

それで、俵万智さんに石垣島天文台の行事に参加していただくことがあると、お手紙にありました。

私は、嬉しくて、嬉しくて・・・(笑)

今月も、彼は、その「心の花」に次のような歌を出されて、

  スコールが通り過ぎたる夕空にしずくのように宵の明星

特選になり、主宰者の佐佐木幸綱氏に、

洗われたような宵の明星。「しずくのように」がメルヘン調でうれしい。天文台におられる作者。「夕空に宵の明星輝けば寄り添うように木星もあり」という作もある。もっと星の歌、天体の歌を発表してほしい。

という評をいただいています。

私は、自分のことのように嬉しいです。(*^_^*)

自分のことなど、もうどうでもいいくらいです。(笑)

それで、ご紹介させていただきました。

  わがことのやうに嬉しく読みてをりわれよりずつと上手くなりしを  biko

  星よりも綺麗な君の心にて詠はれし歌わが心打つ  biko

”はっけよい残った残った!”というふうに、アメリカ大統領選挙

2016年11月04日 07時18分40秒 | ニュース
終盤まで接線の続くアメリカ大統領選挙。

年齢的に、私達、団塊の世代に近い大統領候補者たちと思えば関心はある。

が、お互い、悪口の言い合い合戦では興ざめである。

一方の欠点が顕わになって負けそうになると、今度は相手方の欠点が顕かにされ、また持ち直すということの繰り返しのようである。

これが相撲なら、「はっけよい、残った、残った」となって名勝負になるのだろうが、こと大統領選挙となると、そうは言っていられない。

どちらが選ばれるかによって、今後の日本に大きく関係するとあれば、余計だ。

その選挙の決着が、泣いても笑っても、あと数日でつく。

  ヒラリーがひらりと勝つかトランプがカードひつくり返して勝つか  biko

はやばやとイルミネーションを

2016年11月04日 05時04分17秒 | 日記
寒くなったのと、夜が長くなってきたのとで、昨夜は早々とイルミネーションを出して点灯しました。

これを出すのは何年ぶりでしょうか。

子供じみているけれども、私はイルミネーションが大好きです。

玄関のドアを飾ったあと、夫の自転車にも巻き付けてやりました(笑)


  星見えぬ街に暮らせば豆電球またたかせつつ真夜を楽しむ  biko

  楽しみは自ら作るものなれば自ら飾るイルミネーション  biko

  ささやかなイルミネーションこそよけれ夜の長きを慰めむとす  biko

忙しい、忙しいと言いながら毎日遊びに出かける夫

2016年11月03日 12時07分10秒 | 家族
夫は仕事が立て込んで忙しいようだ。

家にいる間は、ずっと仕事をしている。

その割りに、よく遊びにも出かける。

昨日も同級生(女性)のシャンソンを趣味にしている女性にカラオケでレッスンを受けたあと、夕食もして帰宅した。

今日は、昼前からテニスに出かけた。

以前は昼食を摂ってから出かけていたが、向こうで仲間と一緒に食べると言って出かけた。

毎日疲れ果てて帰宅するので、ろくに話もできない。

が、私も自由な時間が増えたと喜ぶべきなのだろう。

何でも考え方いかんだ。

  よく遊びよく仕事する男なり七十二歳になりし夫は  biko

上の写真は、急に寒くなったので、家に入れてやった植物達です。たいしたものはないけれども、枯らすと可哀想なので。

  初冬(はつふゆ)と思へるほどの寒さ来て俄かに家に入れる植物  biko