神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

母校の会員名簿が届いて読み耽ってしまう

2016年04月29日 11時35分33秒 | 日記
朝一番に母校の会員名簿が届いた。

このプライバシー保護の厳しい昨今、よく出してくれたと感謝する。

前回から8年ぶりの出版だとか。

現校長先生の挨拶文に今年113回目の卒業生を出したとある、歴史ある母校である。

もちろん、これは旧制女学校の卒業生を含めての回数である。

私の在学中に挙行されたのが確か60周年式典だったから、私達も旧い会員になったものだ。

        校庭の向こうに
        高知城が見える
          ↓    


見ているとというか、読んでいるとというか、とにかく眺めていると、つい時間を過ごしてしまう。

私の従姉妹達は全員、この母校を卒業しているから、いま従姉がどこに住んでいるかの確認ができるだけでなく、眺めていると、友人のお姉さんと私の従姉が同級生だったことなど、新たに発見することも多くて、読んでいるうちに時間が経つのを忘れるのだ。

私達の母校は、勉強一点張りの進学校ではなかった。

それより、女らしい上品さを躾けられたと思う。

私自身がその母校の意図したふうに育ったかどうかはさておいて、友人達を見ていると、そのことが納得できる。

先週末に我が家に集ってくれた友人2人も例外でなく、集まると華やぐ。

同窓会などに行っても、往年の乙女チックな雰囲気がそこここに漂っていて、私も昔の乙女に戻れるのである。

兄の通っていた高校は県下一の進学校であったが、その兄の友人達も、われわれの母校の制服は憧れの象徴だったと、今でも言ってくれる。

こうして母校の名簿を見ていると、母校よ永遠なれと祈りたくなる。

  プライドをもつこと教へたまひしは故木戸耕作校長先生  biko

ここ数年いろいろいやなこともあったが、また昔を思い出して、新規まき直しを図ろう。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
bikoさんへ (くりまんじゅう)
2016-04-29 16:44:47
↑の写真は懐かしいです。私は昭和43年の卒業生です。
私が卒業して8年後に 歳の離れた妹が卒業しました。
木戸耕作校長先生 優しい笑顔でダンボちゃんでしたね。
桑原先生は私が在学中は若々しい先生で その後校長
先生になり天国へ行かれましたね。懐かしい思い出が
一杯の母校 思い出させてくださりありがとうございます。
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くりまんじゅうさんへ (biko)
2016-04-29 17:27:29
私達は素晴らしい学校に学んだと思います。

当時の木戸校長先生がよかったですね。そう、耳が大きくて私達にダンボちゃんと呼ばれていましたね。

桑原先生も好きな先生でした。私たちが教えていただいたころは、まだお若い先生でしたよね。10年あまり前、私達の学年が当番だった関西地区の同窓会に来てくださって、私達と一緒に校歌を歌ってくださいました。私、舞台で先生と並んで歌ったんですよ^^。当時桑原先生が校長先生だったと記憶しています。松山先生、中内先生も来てくださっていました。会場は京都駅前のホテルでした。ほんのこの間のように思い出すのですが、その後、桑原先生は亡くなられたのですね。中内先生も?

私は、くりまんじゅうさんの2年先輩になります。
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