神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

先生という職業の適性は?

2016年04月25日 23時08分27秒 | 友人
昨日帰った友人Nさんは、大学卒業後、中学校の英語の先生をしていたらしい。

そのころは、私自身が、自分の就職、結婚などで忙しく、このNさんとも、あまり会ってはいなかったから、そのことは知らなかった。

昨日聞いたところによると、Nさんは、先生になって半年後くらいに、教務主任のような先生に、「あなたは先生に向いていません」と宣告されたそう。

それで転職しなければと、また保育士の資格などとって、幼稚園の先生もしたらしいが、これも向いてないと止めたと。

その後、いろいろな仕事をしたらしいが、OLだけはしたくなかったという。

一方、一昨日来ていた、もう一人の友人Mさんは、地元の国立大学教育学部を出て、地元の小学校の先生を1年したらしいが、自分で、自分は先生に向いていないと自覚したそう。

二人の話を聞いていて、それでは、いったいどんな人が先生には向いているのだろうと考えた。

Nさんは、確かにちょっと頼りない感じのするところがあり、それが私には長所に見えるのだが、先生には、あるいは向いていなかったかなとも思える。

が、Mさんのほうは典型的な優等生タイプだったから、どこが不向きだったのか分からない。

先生に向いたタイプって、どういう人だろう?

これは、自慢でも何でもなく、白状をするが、私は、どういうわけか、短大時代、教授に先生タイプだといわれたことがある。

が、私自身は、ぜんぜん先生をする気などなかった。

というより、当時から難聴だったから、できるはずもなかった。

が、教授にそういわれたのは、なぜだったろうと、時々考えることがある。

教えること自体は好きかもしれない。

短大時代は、休日になると、叔母の家に行って、当時中学生だった従弟の勉強をみてやって、叔母から家庭教師代をいただいていた。

従弟の家庭教師は、私が短大を卒業した年、すなわち従弟が中学2年までした。

従弟は、私などが教えなくても、もともと勉強のできる子だったから、成績がよかったのであるが、その後、塾にもいかずに学区のトップ公立高校に合格して、それは私のお陰だと、叔母にはお礼を言われた。

しかし、従弟の合格は私のお陰でないことは私が一番よく知っている。が、教えることが楽しかったことは確かだ。

私は、希望の大学も受からなかった劣等性だったが、しかし、優秀だった従弟は、私が教えても、教えなくてもできる子だったのだ。

それにしても、先生に向いている人とは、どういうタイプの人のことを言うのだろう?

一昨日、昨日と、先生に向いていないといわれた、あるいは、そう自分で思った友人たちのことを思い浮かべながら、思案している。

  先生に向いた人とはどのやうな人をいふのか答へよ先生  biko

友人と24時間一緒にいて、話し続けて精魂尽き果てた(笑)

2016年04月25日 21時04分45秒 | 友人
友人は、昨日のお昼ご飯を食べてから帰途についたが、延べ24時間余りを一緒にいて、目覚めている間、喋り続けたので、精根尽き果てた。

私は、昨日友人を送ってから、一日以上、呆けたままだ(笑)。

まだまだ話したいことはいっぱいあったが、友人は名古屋に住んでいる妹さんに昼過ぎに行くと言ってあったらしく、妹さんから電話が入って、別れざるを得なくなったのだ。

友人は数年前に医師だったお父さんを亡くしてからは高知に帰ってないと言っていた。

高知にはお姉さんがいるけれど、それほど仲がいいわけでもないから、帰省するより、私とか、一昨日来ていたMさんと会うほうがよっぽど楽しいと。

そんなものかもしれない。

私も、母が亡くなれば、高知に帰ることはなくなるだろう。

ふるさとは親があってのふるさとで、親のいないふるさとなんてという感じなのであろう。

  ふるさとはすなはち父母であるゆゑに父母なくなればふるさともなし  biko

それにしても、疲れた。

友人は、しゃべるだけでよかったが、私は、しゃべるのと平行して三度の食事の支度もしなければならなかったから。

外食をすればよさそうなものだが、私は補聴器をつけているので、静かな自宅内でなら何とか会話ができるが、レストランなどのような、他の人たちの会話が入るところだと、全然聞き取れなくなる。

補聴器は、音を選別せずに、友人の声も、その他の人たちの声も、等しく私に聞かせるから。

それでも、補聴器をつけていれば、条件つきではあるが、なんとか会話ができるから、文明の恩恵を蒙っているといえるだろう。

友人には、私が両方の耳に補聴器をつけてからのほうが以前の片耳の補聴器のときより、ずっと聞こえているように思うと言われた。

私自身は、ここ数年、聴力が目だって落ちたと自覚しているだけに、友人の感想は意外だった。

その意味では、両方の耳に補聴器をつけたことは、大正解だったのだろう。

  右ひだり補聴器つけてゐるわれの耳は頑張る右も左も  biko

友人とは今度いつ会えるか分からないが、別れるときに、「今度は、私の家に来てね」と何度も言われたから、今度、娘のところに行くときは寄らせてもらおうと思う。

昔の友達というものは、本当にいいものだ。

会えば、一気に、中学時代、高校時代に戻れる。

  旧友に会へば昔のわたくしが現れあなたに語りてゐたる  biko

夫は、一昨日の夜行バスで広島に行き、宮島、江田島などを見て回り、昨夜遅く帰ってきた。宮島ではロープウエイに乗らずに徒歩で弥山に登ったから疲れたと。

今回の広島行きは、夫は前から計画していたのだったが、友人は、自分が来たせいで夫が気を利かせて出かけたのではないかと気にしていた。

そうではなかったが、しかし、夫が留守だったから、心置きなく語り合えたのは事実だ。