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「フクシマン土屋」の「イイトコ探訪 福島県!」(第7回) 真面目な番外編

2019-06-13 09:04:54 | 「フクシマン土屋」の「イイトコ福島県」&more

こんにちは!「フクシマン土屋」です。

 

今回は「福島探訪」ではなく、

とても私的な話です。

 

勝手にこんなことを書いては、

この場を提供してくれている編集長

「MASH」には申し訳ないけれど、

そういうのが苦手な人は読み飛ばしてくださいね。

 

まあ、天性のアドリブ野郎「MASH」は

気にも留めないでしょうが!(笑)

 

ところで前回

「初めてのキャンプツーリング」ということで、

「バイクツーリング」について

コダワリのようなモノを書きました。

 

実はここまで来るまでが長かったんだ。

 

バイクに興味を持ったのが中学生のころ。

特にオンロードバイクのレースが好きでね!

レース車両のレーサーレプリカ

(車体やカラーリングとかを「そっくりさん」にした市販車)に絶対乗るゾ!

って言ってたね。

 

ところが時代は世に言う

「三ない運動」中!(知ってるかな?)

チキン野郎のフクシマンは高校卒業まで免許をあきらめた...

 

高校を卒業し専門学校へ。

この時、待ちに待った免許所得を親に伝えたんだ。

 

その時の親父の言葉は今も忘れられない。

 

「何かあった時、責任とれるのか?」

 

直接反対された訳じゃなかったけれど、

自分的には高校卒業までガマンしたのだから当然肯定してもらえると思い込んでいた。

これにはあまりの予想外に正直ショックだった。

 

チキン野郎のフクシマンは

「とれる!」とは即座に答えられず、

後日「車の免許ならいいのか?」

と返すのが精いっぱいだった。

 

車の免許はすんなりとOKだった。

親父の言葉にはいろんな意味があったと思う。

 

事故でも起こしたら、

ケガしたら、

もっと大事なことになったら、

相手にケガさせたら、

もっと大事なことになったら、

自分(息子)は、家族は、相手は、

そして相手の家族は、、、、、

 

そういう覚悟があって乗るんだろうな?

ってことだったんだろう。

 

というのも高校生の間、

フクシマンは自転車でコケまくっていた(笑)

 

通学で朝、家を出てすぐの

「下りの坂道」でコケて、

「血だらけのボロボロYシャツ」

で家に戻ったり…

 

またある時は

学校帰りに前輪をロックさせてしまい

アスファルトに顔と手を打ち付け、

血をダラダラと流してしまう…

それを見てた友達が心配してくれて、

フクシマン家より手前にある友人宅へ連れて帰り

その親が即、病院へ連れて行ってくれり…

 

こんなことが二度や三度じゃあなかった。

 

当然、

親兄弟からも、友達や先輩からも、

 

「お前、バイクに乗ったら 絶対に事故るぞ!」

 

と、言われるようになっていた。

(ちなみに「スピード狂」ではありません!「スピード好」くらいです、念のため)

 

そんな人間が、卒業してすぐに

「バイクの免許取りたい!」って、

よく言えたものだと今では思う。

しかも反対されるとは一切考えもせずに。

 

深く考えない、考えの足りない人間なのです。

 

専門学校を卒業し就職。

この時も懲りずに「バイクの免許を取る」と。

 

たしか親父には同じ質問をされたなあ。

 

けれど少しは運転するようになって、

運転とはどういうものか分かった気でいた

そんなフクシマンは

「だいじょうぶ」と答えた。

 

ようやくバイクの免許を取って

念願のバイクを買った!!

車を買おうとは毛頭考えなかった。

もうすぐ21歳になる頃だった。

 

走ったね~。

 

1年で軽く1万キロオーバー!

2年目もそんなペースで日帰りツーリングを重ねて、

3年目になると、やっぱり目指したくなるのよ♡

 

ライダーの聖地、北の大地「北海道!」

(ど~ん!)

 

あこがれたね~

北海道をキャンプツーリングで旅するライダー。

 

マップを買い、雑誌で情報を集め

(インターネットはまだ普及してない時代ね)

道具を少しずつ揃え始めた時、

それは起こった。

 

「交通事故」だ。

 

気が付いた時、自分のいる場所や状況が全く飲み込めなかった。

 

見たことのない天井?

ここどこ?

なんで知らない所で横になってんだ?

 

???

 

看護婦さん?が、顔を覗き込むようにして名前を呼ぶ。

 

???

 

身体動かない?

 

なんか「事故にあったんだよ」とか言ってるようだけど、理解できない。

 

そこは県北地域

(前回話した「中通り地方」の北部域のこと。いずれ詳しく説明するかも)

有数の病院のICU(集中治療室)のベッドの上。

 

バイク直進、車は右折のいわゆる「右直事故」で運ばれて来たのだった。

 

ベッドの空きの問題でICUを予定より早く追い出され、通常病室へ。

まだ麻酔をしていたので、幻覚は見るし思考も鈍い。

ただ、自分は

「命にかかわるような大事故」

にあったということは、ぼんやりと分かってきた。

だが、麻酔が効いていて痛みも感じないので実感は無かった。

 

この時は知らなかったが、

「心破裂」「肺挫傷」「脾破裂」

の大手術後であった。

 

結局、23歳の誕生日はベッドの上で迎えることとなった。

 

最初の処置が適切であって、病気ではなくてケガなので、回復し始めると早かった。

5週間で退院した。

その時、退院したらまたバイクに乗るものだと当然のように考えていた。

 

退院してから少しずつ、周りからの話で、あの時はあぶなかったんだと、親たちの落ち込みようは大変なものだったんだと聞かされた。

 

友達や先輩は、俺がヤバそうだったのと同時に

ご両親が気丈に振舞っていてすごいねと、

口をそろえて言っていた。

 

家族には「最悪の事態もある」

と医師から告げられていたことも…。

それなりの対応として、親戚や友人、会社にも連絡してくれていたことも。

 

自分が「まったく自覚のないところ」で、

自分の危機的状況に対して

「たいへんなこと」が起こっていた。

 

さすがに、またバイクに乗るとは言えなくなった。

 

そんなことがあってから約20年。

今、こうしてバイクに乗っている。

 

バカ息子がまたバイクに乗っていると聞かされた時、両親はどんな思いだったのか。

 

事故の数分前からICUのベッドの上で目を覚ますまでの約1週間の記憶は今も、無い。

 

いちばんひどい時、

たいへんだった時のことを、

自分は知らない。

 

そして今、こうしてバイクに乗っている。

 

申し訳ないという気持ちはある。

 

両親からは「気を付けて乗るように」

とだけ言われている。

 

ありがとうございます。

ありがたく、

これからも「自分の人生」を生きます。

 

今回も「イイトコ探訪 福島県!」を読んでくれて、ありがとうございました。

 

バイク復活を「MASH」に話した時も、

随分と驚かれたね。

滅多に動じないヤツが驚くってのは

やっぱり相当なコトなのかもな!(笑)

 

さあて、次はどこへ行こうか!

( 編集・校正・加筆リライト「Mash」)
https://mrh.crayonsite.com
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ゲスト・ライター陣紹介
〈フクシマン土屋〉
俺「Mash」とは小学5年生時から!
という長い付き合い。
 
彼が福島県に移る中3の夏まで
毎日登下校をする仲であった。
ちなみにここ時の彼への餞別には
ビートルズ「ホワイトアルバム」の
「ミュージックテープ(国内盤2本組み)」
(当時はカセットテープも売られていた)
を贈った。
 
以後、お互いの結婚式に出掛けたり…
と関係を保ち続けながら、
「震災後」頻繁に手紙のやりとりを続け
現在に至る。
 
俺にとっては数少ない
「友人」と呼べる人物。
である。