
つい先日のこと。
職場での休憩中、スマホを開くと編集長から「緊急!」とだけ表題が書かれたメールの着信が。
すわ何事か、事件でもあったか、まさか知人でも死んだかとメールを開くと当ブログのサービス提供元であるGooブログサービス終了に慌てている様子の編集長。
ホッと胸を撫で下ろしつつ、(そんなに慌てることかい)と内心毒づきながらメールをしたためたのが先日編集長が書いた記事(https://blog.goo.ne.jp/12mash/e/6f7f0b821fe18771acf0fb5fbb34fc2a)の顛末であります。
さて、そうは毒づいたものの、慌てる気持ちも分からんではない。
何しろ編集長の個人ブログ時代(ジェリーズ時代とでも言おうか)から勘定すれば20年ほど続けてきたブログが引っ越しを余儀なくされるのだから、「こりゃ参った!」となるのは当然といえば当然(ここ最近、この手のWebサービス終了のニュースが増えてきた。5月5日にはIP通話アプリのSkypeが終了するし、FC2WEBも6月末で終了。gooはブログだけではなくニュースや質問掲示板も終了するとのことで、ポータルサイトというものの在り方自体を見直しに入ったといっていいだろう)。
今回のようにWebサービスが終了すると問題になるのが、そこにあった情報の消滅だ。
何年か前にYahoo!ジオシティーズが終了した際も盛り上がった話題だが、Web上の情報というものはそれがどれだけ貴重な情報だろうが、珍しいデータだろうが、そこにアクセス出来なくなれば二度と見ることは出来ない(個人でバックアップを取っていれば別だが。音楽配信や電子書籍のサブスクライブサービスも同様であり(データ買い切り式のものは除く)、サービス提供元がそこへのアクセスを封じてしまえばそれは失われたも同然なのである。だからこそ私は盤を買ったり紙の本を買ったりしているのだが)。
これらのデータの消失を問題視する人もいるだろう。Web上の情報というのは玉石混交といえど、そこに貴重な情報があるのは確かであり、それらに簡単に触れることができるというのは間違いなく有益なことだ(私自身、様々なサイトの情報を参考にさせてもらっている)。
が、敢えて私の見解を述べるならば、消失したっていいのである。
石に刻まれた文字とて、風雨に曝されれば削れ消えゆくし、そもそもその文字が書かれた言語自体が失われてしまえばそれは文字ですらなく、ただの紋様と化す。
だが、それはそこに刻まれた言葉の消失を意味するのだろうか。
今や石に刻まれた文字は誰も読めず、ただの紋様となったとしても、過去、それがまだ読めた時代にそれを読んだ人がその言葉を誰かに伝えていたならば。その意味を新たな媒体に書き起こして伝えていたならばどうだろうか。
その石に自体に刻まれた文字は失われたとて、その石に刻まれた言葉と意味は残っているといえないか。
Web上に在り、消えてしまったデータは初めから失われていたわけではなく、そこに存在し、誰かがアクセスできたものの筈だ。
例えそのデータそのものは消え、アクセス出来なくなったとして、それを過去に読んだ人間がそれをまたどこかに書いたなら?誰かに伝えたなら?
重要なのはデータ自体ではない。
データをキャッチアップした人間がそれを己の血肉とし、また別の人間へと伝えていくことが重要なのだ。
永遠に残るものなどないが、延々と伝えられていくものはある。
そういうつもりで今日も私はあなた方にこの雑文をガチャガチャと書いているし、gooブログが終了したとて形を変えて伝え続ける所存なのであります。
さーて、どう動いたものか。
別のブログにお引っ越し?それとも違うシステムへ移行?
何に移ろうとやることは同じだ!お楽しみに!
<ハウリンメガネ筆>
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その通り!!!
私も同じことを思っております。
なんですが、このブログを知らなければ、ハウリンメガネさんとも編集長とも出会わなかったわけでして。
そう思うと、複雑っす。
良い1日でありますように(^^)/