幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

四国順拝道中記

2016-02-06 15:41:51 | Weblog


写真は「四国順拝道中記」です。書かれた年号も記した人も分かりませんが、何となく幕末の匂いがしましたので、
購入いたしました。 
しるした人は分かりませんが、年号が分かればと思い調べてみました。

中身を読んで見ますと、享和三年の事が書かれていますので、享和三年(1803年)以降の道中記であることは確実です。
二月二十日小浜から書き始め四国巡礼を終え、四月八日京都の記事で終わっています。
まず、月の大小を見て見ますと、二月は二十九日までで、三月は三十日まであります。
本棚から「三正綜覧」をだしてきて、享和三年以降で二月が小、三月が大の月の年をみますと、


文化元年、十年、十一年、十四年、文政六年、八年、九年、十年、十一年、天保元年、三年、八年、十二年、弘化三年、
四年、嘉永二年、三年、六年、安政三年、六年、万延元年、文久二年、元治元年、慶応二年、明治六年、あたりになります。

あとは、道中記に記された日々の天気で年号を調べるしかありません。
ただ、小生の天気デ-タは天保二年から明治五年までしかなく、道中記が
文化元年、十年、十一年、十四年、文政六年、八年、九年、十年、十一年、天保元年、明治六年、
のいづれかだった場合は、分からず、「残念でした」となります。

道中記の中で特徴的な天気を見ますと、三月二十五日 風雨也 とあります。


そこで、三月二十五日に四国で、風雨だった日をデ-タからしらべますと、
まず、天保三年は、
    快晴【土佐】、晴【小倉】、天キ【池田】
となっていて、違うようです。同様に四国付近の天気に当たってゆきますと、
三月二十五日が雨となっている年は、天保八年、弘化三年、嘉永六年、安政六年、文久二年です。

もう少し詳しく天気を見て行きますと、紀州田辺市付近で
         二月二十一日、四時より雨ふり、二十二日一日雨ふり、二十三日上天気
とありますので、合わせて見ますと、弘化三年、安政六年、文久二年がのこります。

また、四国で、巡礼中の三月九日、十日も雨となっておりますので、この天気から、
文久二年または、弘化三年、または残念賞となります。


もう少し楽しんでから答えを出したいと思います。
        

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