2012. 12/19 1193
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その33
「この御許は、いみじきわざかな、御几帳をさへあらはに引きなしてけるよ、右の大殿の君たちならむ、うとき人はた、ここまで来べきにもあらず、ものの聞こえあらば、誰か障子は開けたりし、と、必ず出で来なむ、単も袴も、生絹なめりと見えつる人の御姿なれば、え人も聞きつけ給はぬならむかし、と思ひ困じて居り」
――この女房は、これは大変なことをしてしまった。御几帳さえ、奥が見通せるように立てて置いたままだった、夕霧のご子息たちだろうか、御縁のない人が、こんなところまで来る筈がない、これが知れたら、誰が襖を開けたのかと、必ず詮議立てになるだろう、単衣も袴も生絹(すずし)らしく見えたお姿だったから、誰も衣ずれの音を聞きつけはなさらなかったのだろうと思いながら、すっかり困り果てています――
「かの人は、やうやう聖になりし心を、ひとふし違へそめて、さまざまなるもの思ふ人ともなるかな、そのかみ世をそむきなましかば、今は深き山に住み果てて、かく心乱らましや、など思しつづくるも、安からず。などて年ごろ見たてまつらばや、と思ひつらむ、なかなか苦しう、かひなかるべきわざにこそ、と思ふ」
――かの人(薫)は、ようやく自分も道心が固まってきたものを、大君(おおいぎみ)のことで一度道を踏み迷ってしまってからこの方、さまざまな物思いをする身になってしまったことだ。
大君が亡くなったときに出家していたならば、今は深い山に住みついて、このようなことで心を乱すことはなかったろうに、と、心が落ち着かない。どうして女一の宮を長年お見上げしたいと思っていたのだろう、拝したところで却って苦しく、今更何の甲斐もないのに、とお考えになるのでした――
「つとめて、起き給へる女宮の御容貌、いとをかしげなめるは、これより必ずまさるべきことかは、と見えながら、さらに似給はずこそありけれ、あさましきまであてにかをり、えも言はざりし御さまかな、かたへは思ひなしか、折からか、と思して、『いと暑しや。これより薄き御衣たてまつれ。女は例ならぬもの着たるこそ、時々につけてをかしけれ』とて、『あなたに参りて、大弐に、うすものの単衣の御衣、縫いて参れと言へ』とのたまふ」
――その翌朝、お目覚めになられた妻(女二の宮)のお顔かたちが、たいそう美しくいらっしゃるので、この方より女一の宮が必ずしもご立派であるとは限らないと、薫は思っていましたが、
どうして、あちらの方は似てもおられず、驚くほど上品でお美しく、何とも言えないご様子だったなあ、それは時と場所柄のせいかとお思いになって、「ひどく暑い日ですね。これよりも薄いお召し物を召される方がよいでしょう。女は目先の変わった物を着るのが、その時々につけて風情があるものです」とおっしゃって、「母上(女三宮=薫の母)のところへ参って、大弐のおもとに、羅(うすもの)の単衣の御衣を仕立てて参るように申せ」とお言い付けになります――
「御前なる人は、この御容貌のいみじき盛りにおはしますを、もてはやしきこえ給ふ、と、をかしう思へり」
――お前の女房達は、女二の宮の御容姿が、今を盛りにお美しいのを、殿が賞美申されていらっしゃるのだと、うれしく思うのでした――
では12/21に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その33
「この御許は、いみじきわざかな、御几帳をさへあらはに引きなしてけるよ、右の大殿の君たちならむ、うとき人はた、ここまで来べきにもあらず、ものの聞こえあらば、誰か障子は開けたりし、と、必ず出で来なむ、単も袴も、生絹なめりと見えつる人の御姿なれば、え人も聞きつけ給はぬならむかし、と思ひ困じて居り」
――この女房は、これは大変なことをしてしまった。御几帳さえ、奥が見通せるように立てて置いたままだった、夕霧のご子息たちだろうか、御縁のない人が、こんなところまで来る筈がない、これが知れたら、誰が襖を開けたのかと、必ず詮議立てになるだろう、単衣も袴も生絹(すずし)らしく見えたお姿だったから、誰も衣ずれの音を聞きつけはなさらなかったのだろうと思いながら、すっかり困り果てています――
「かの人は、やうやう聖になりし心を、ひとふし違へそめて、さまざまなるもの思ふ人ともなるかな、そのかみ世をそむきなましかば、今は深き山に住み果てて、かく心乱らましや、など思しつづくるも、安からず。などて年ごろ見たてまつらばや、と思ひつらむ、なかなか苦しう、かひなかるべきわざにこそ、と思ふ」
――かの人(薫)は、ようやく自分も道心が固まってきたものを、大君(おおいぎみ)のことで一度道を踏み迷ってしまってからこの方、さまざまな物思いをする身になってしまったことだ。
大君が亡くなったときに出家していたならば、今は深い山に住みついて、このようなことで心を乱すことはなかったろうに、と、心が落ち着かない。どうして女一の宮を長年お見上げしたいと思っていたのだろう、拝したところで却って苦しく、今更何の甲斐もないのに、とお考えになるのでした――
「つとめて、起き給へる女宮の御容貌、いとをかしげなめるは、これより必ずまさるべきことかは、と見えながら、さらに似給はずこそありけれ、あさましきまであてにかをり、えも言はざりし御さまかな、かたへは思ひなしか、折からか、と思して、『いと暑しや。これより薄き御衣たてまつれ。女は例ならぬもの着たるこそ、時々につけてをかしけれ』とて、『あなたに参りて、大弐に、うすものの単衣の御衣、縫いて参れと言へ』とのたまふ」
――その翌朝、お目覚めになられた妻(女二の宮)のお顔かたちが、たいそう美しくいらっしゃるので、この方より女一の宮が必ずしもご立派であるとは限らないと、薫は思っていましたが、
どうして、あちらの方は似てもおられず、驚くほど上品でお美しく、何とも言えないご様子だったなあ、それは時と場所柄のせいかとお思いになって、「ひどく暑い日ですね。これよりも薄いお召し物を召される方がよいでしょう。女は目先の変わった物を着るのが、その時々につけて風情があるものです」とおっしゃって、「母上(女三宮=薫の母)のところへ参って、大弐のおもとに、羅(うすもの)の単衣の御衣を仕立てて参るように申せ」とお言い付けになります――
「御前なる人は、この御容貌のいみじき盛りにおはしますを、もてはやしきこえ給ふ、と、をかしう思へり」
――お前の女房達は、女二の宮の御容姿が、今を盛りにお美しいのを、殿が賞美申されていらっしゃるのだと、うれしく思うのでした――
では12/21に。