平安時代の恋をめぐっては、直接逢う前にまず、恋文のやりとりがありました。
思いを伝えるために、手紙には趣向を凝らしたに違いありません。
紙の選び方、色の選びかた、字の美しさ、歌のうまさ、教養の深さが重要でした。
高貴な姫君には、有能な女房がお側でその意を汲んで書いたようです。
一夫多妻のこの時代は、財力さえあれば、男性の思うまま、男女の年齢も幅広く、
自由だったと思われます。
この結び文には、桔梗が添えられています。
しかし、藤原兼家の第二婦人であった、「蜻蛉日記」の作者は、そんな境遇の中で、女性の本心を書き上げました。「源氏物語」の書かれる約50年前でした。
(夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争、夫に次々とできる妻妾のことが書かれ、また唐崎祓、石山詣、長谷詣などの旅先でのできごと、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談など……)
話が逸れましたね。ではこの辺で。
思いを伝えるために、手紙には趣向を凝らしたに違いありません。
紙の選び方、色の選びかた、字の美しさ、歌のうまさ、教養の深さが重要でした。
高貴な姫君には、有能な女房がお側でその意を汲んで書いたようです。
一夫多妻のこの時代は、財力さえあれば、男性の思うまま、男女の年齢も幅広く、
自由だったと思われます。
この結び文には、桔梗が添えられています。
しかし、藤原兼家の第二婦人であった、「蜻蛉日記」の作者は、そんな境遇の中で、女性の本心を書き上げました。「源氏物語」の書かれる約50年前でした。
(夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争、夫に次々とできる妻妾のことが書かれ、また唐崎祓、石山詣、長谷詣などの旅先でのできごと、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談など……)
話が逸れましたね。ではこの辺で。