永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(恋文)

2008年04月27日 | Weblog
平安時代の恋をめぐっては、直接逢う前にまず、恋文のやりとりがありました。
思いを伝えるために、手紙には趣向を凝らしたに違いありません。
紙の選び方、色の選びかた、字の美しさ、歌のうまさ、教養の深さが重要でした。
高貴な姫君には、有能な女房がお側でその意を汲んで書いたようです。
一夫多妻のこの時代は、財力さえあれば、男性の思うまま、男女の年齢も幅広く、
自由だったと思われます。

この結び文には、桔梗が添えられています。

 しかし、藤原兼家の第二婦人であった、「蜻蛉日記」の作者は、そんな境遇の中で、女性の本心を書き上げました。「源氏物語」の書かれる約50年前でした。
(夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争、夫に次々とできる妻妾のことが書かれ、また唐崎祓、石山詣、長谷詣などの旅先でのできごと、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談など……)

話が逸れましたね。ではこの辺で。

源氏物語を読んできて(32)

2008年04月27日 | Weblog
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【紅葉賀】の巻 (3)

 2月10日ほどに、男御子(おとこみこ)がお生まれになりました。藤壺は源氏の事で辛い心の内にも、
「弘徴殿などの、うけはしげに宣ふとききしを、空しく聞きなし給はましかば人笑はれにや、と思し強りてなむ……」
――弘徴殿女御が、このお産について呪うような口吻を洩らされているときいたので、死んだと聞いたなら、さぞ物笑いになろうと、意地にも(なさって、だんだん快方に向われました)――

 源氏は人の居ない時を選んで、藤壺に子を見せて欲しいといいますが、藤壺は「むつかしげなる程なれば」――生まれたばかりで見苦しいゆえ――
(作者の筆)「と断られたのはもっとものことです。」
 
 作者の筆は続きます。「実はまったくあきれるほど、めづらしいくらい、源氏に生き写しで、どう紛らわせようがない。藤壺はあのような過失を思うにつけ良心の呵責にさいなまれます。それにもまして、ちょっとした落度を喜ぶ世間です、どんな悪評がついてまわることでしょう」と、藤壺の心中を代弁します。
 
 源氏はその後も何とか、王命婦に手引きを頼みますが、叶いません。
命婦「見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらむこの世の人の惑ふてふ闇」
――御子をご覧になる宮(藤壺)も物思いされるし、ご覧にならぬお方もどんなになげかれるでしょう。これこそ世の人の惑うという、子ゆえの闇なのでしょう――
 
「子ゆえの闇」=これからの展開に重要なことばです。

 4月になって、藤壺は内裏に戻られました。若宮はしっかりとしてきて、源氏に瓜二つのお顔でいらっしゃるのも、帝は、桐壺の更衣に似た藤壺腹で、境遇の同じさゆえ、お顔も似られるのだと、二人のことは夢にもお気づきになりません。

 藤壺は「理なくかたはらいたきに、汗も流れておはしける」
――どうにもならず、心苦しくて、汗も流れていらっしゃる――

 源氏は「なかなかなる心地の、かきみだるやうなれば、罷で給ひぬ」
――若宮をご覧になって、かえって気が咎めて、心も乱れるようなので、退出なさいました――

 自邸にての源氏は「つくづくと臥したるにも、やる方なき心地すれば、例の、なぐさめには西の対にぞ、渡り給ふ」
――もんもんとして臥せっていても、どうにもならないので、こんな折りとて、紫の上のおられる対の屋に渡られます――
ではまた。