永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(29)

2008年04月24日 | Weblog
4/24 
【末摘花】の巻 (4)

 源氏はしかし、このように思うのでした。
「世の常なる程の、異なる事なさならば、思ひ棄てても止みぬべきを、さだかに見給ひて後は、なかなかあはれにいみじくて」
――姫君が世間並みの普通の器量だったら、この際捨てても仕舞われるはずなのだが、あの朝、ひどい器量をはっきりごらんになった後は、かえって気の毒さが増して(色恋は抜きで今後は生活上の保護者として面倒をみようと決心なさるのでした。)――

 その年も暮れて、新年に末摘花から和歌を添えて衣服が贈られてきました。元旦の晴れ着として。
歌は「からごろも君が心のつらければ袂はかくぞそぼちつつのみ」
――貴方が薄情なので、私の袂はこんなに濡れてばかりいます――

 先の命婦と源氏の歌の批評です。
源氏「さてもあさましの口つきや、これこそは、手づからの御事の限りなめれ」
――それにしてもあきれた詠み口だ。これが本人の精一杯のところと見える――

 歌を添削する気の利いた女房もいないのだろう。衣服と言えば、艶のない古めかしい仕立てで、裏表の濃淡なく、平凡な直衣だ。なぜあんな鼻の赤い女に手を触れたのだろう。命婦もあの鼻をちらと見たので、源氏の嘆きも仕方がないが、身分の高い姫君なので、貶めないで欲しいと願うのでした。

 源氏からのお返しの歌と衣服が届けられます。
うた「逢わぬ夜をへだつる中の衣手にかさねていとど見もし見よとや」
――逢わぬ夜が重なっているのに、着物など重ねて一層仲を隔てようというのですか――

 侍女、老女たちは、源氏に贈った衣服が良い出来ではなかったかしら、いやいや見劣りはしませんよ、姫君のうたも良い出来でしたよ、などとこの家の者としては、精一杯にして差し上げたのでした。

 二条院では、若紫は年頃にはなりきらぬながら、可愛い盛りです。源氏は、同じ紅でもこんなに美しい紅もあるものだ(末摘花の鼻とは大違い)。こんなに可愛い人がいるのに満足せず、自分からなんで苦労の多い恋をすることか。などと思うのでした。

 一緒に雛遊びをしたり、絵を描いたりしていたそのついでに、まあなんと、源氏は髪の長い女を描いてその鼻に紅を塗って、またつくづくと
「くれなゐの花ぞあやなくうとまるる梅の立ち枝はなつかしけれど、いでや」
――紅梅の花は訳もなくいやな気がする。枝振りは良いのだけれど(姫君は高貴な出だが、
あの鼻の色はどうにもたまらない、いやもうとんでもない話だ。――
などと、思い出しては嘆息されるのでした。

 作者のことば「この方々はその後どうなったでしょうね」これから十年後、「蓬生」の巻で、物語は展開します。
正月の行事
 ◆男踏歌(おとこたうか)=四位以下の殿上人、地下の者が催馬楽(さいばら)を謡い、舞いながら禁中をはじめ、諸院・諸宮を廻る。
 ◆白馬(あをうま)の節会=正月七日、青みがかった艶のある灰色の馬とも。この馬を拝謁すると長寿がかなうとか。
 ◆古代語の「あを」は黒と白の間を漠然と示す広い色名で、主に青、緑、藍をさした。(古語辞典)

「末摘花」の巻おわり。