落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

観よ!

2007年07月21日 | movie
『ブラインドサイト〜小さな登山者たち〜』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000XFGIEO&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

ぐりは今ちょうど目の具合がよくなくて通院中だけど、もしこれが日本じゃなくてどこかもっと貧しい国で起きたことなら、とっくの昔に盲目になってたかもしれないと思う。
コンタクトレンズやメガネがなければ裸眼では外を歩けないくらい極端に視力が低いということもあるけど、なにより、日本に住んでいれば、何かあれば適切な治療を受けることができるし、目にいい食べ物もあるし、目をきれいにしておくことも簡単だからだ。
世界中のすべての盲人のうちの9割は途上国の貧しい地域に暮していて、その多くは教育も受けられず仕事もなく社会から孤立した生涯を送っているという。彼らが視力を失う原因は栄養不足や衛生状態の悪さ、医療設備の不足にある。同じ病気や怪我でも、豊かな国でなら失明しなくて済むのに、貧しい国の人たちはなすすべもなく暗闇に突き落とされてしまう。

なかでもこの映画の舞台チベットでは、盲人は前世に悪事をはたらいた罪人として忌み嫌われ、家族からさえも疎まれる。ある者は親の手で地下組織に売り飛ばされて物乞いになり、ある者は自室に監禁される。
作中なんども、彼らを指して「役立たず」という表現が出てくる。だが実際には、目の見えない彼らも、自ら家畜の世話をし農作業をし、台所仕事も当り前にできる。
ドイツ人活動家サブリエ・テンバーケンによって設立された盲人のための教育機関「国境なき点字」の生徒たちは北京語とチベット語と英語ができる。この辺境にあって立派なインテリである。卒業生の中には、起業して家族を養っている者や、海外留学して組織の運営に参加している若き活動家もいる。決して役立たずなんかではない。
そこは途上国だろうが先進国だろうがかわりない。身障者を役立たずなどと決めつけたり、一方的に同情したりするのはほんとうに情けないし悲しいし、まったく意味がないことだと思う。

彼らが受けている差別、チベット社会における盲人の置かれた環境の厳しさは、たえずヒマラヤ登頂に臨む一行を激しく責め苛む。
盲人として世界で初めてエベレスト登頂に成功したエリック・ヴァイエンマイヤーは、子どもたちとそのよろこびをわかちあいたくて旅を提案する。彼は盲人登山家としてはエキスパートだが、チベット社会で盲人が生きることの難しさについては何も知らない。
登山の楽しさは下界の現実世界から遠く離れて自由になることにもあるのだが、この一行は違う。登山が終わっても、子どもたちはチベットで生きていかなくてはならない。そのことが、エリック率いる欧米人登山家たちと、サブリエ率いる子どもたちとの意識の溝となり、道中はひっきりなしの議論の連続となる。
だから、この映画はスポーツドキュメンタリーでありながら、目が見えないとは一体どういうことなのか、山を登るとはどういうことなのかを、かなりグローバルかつミニマムな観点で同時に描いている。彼らのしていることは確かにのっぴきならないほどチャレンジングだが、そこには単なる挑戦以上の大きな意味がある。

序盤で女生徒たちが口ずさみ、クレジットでも「国境なき点字」の幼い生徒がアカペラで独唱するのはThe Turtlesの「Happy Together」。アジア映画ファンにとっては『ブエノスアイレス』のエンディングテーマ曲としても親しみのある曲だが、これをチベット族の小さな男の子が直立して熱唱するパフォーマンスは実に胸を打つ。

Imagine me and you, I do
I think about you day and night, it's only right
To think about the girl you love and hold her tight
So happy together

If I should call you up, invest a dime
And you say you belong to me and ease my mind
Imagine how the world could be, so very fine
So happy together

I can't see me lovin' nobody but you
For all my life
When you're with me, baby the skies'll be blue
For all my life

Me and you and you and me
No matter how they toss the dice, it has to be
The only one for me is you, and you for me
So happy together

I can't see me lovin' nobody but you
For all my life
When you're with me, baby the skies'll be blue
For all my life

Me and you and you and me
No matter how they toss the dice, it has to be
The only one for me is you, and you for me
So happy together

Me and you and you and me
No matter how they toss the dice, it has to be
The only one for me is you, and you for me
So happy together

So happy together
How is the weather
So happy together
We're happy together
So happy together
Happy together
So happy together
So happy together
(By Garry Bonner and Alan Gordon)

監督はアーミッシュの若者たちに密着したドキュメンタリー『Devil's Playground』を監督して世界中の絶賛を浴びたルーシー・ウォーカー。『Devil's〜』は日本未公開でぐりも未見なのだが、これを機会に観られるようになってほしいと思う。

読め!

2007年07月18日 | book
『エイズ感染爆発とSAFE SEXについて話します』 本田美和子著
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4255003238&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

ここでは何度かHIV/エイズについてのネタを書いてますが、実をいうとまとまった資料となる専門書はこれまできちんと読んだことがない。
というか、一般読者向けのHIV/エイズの専門書というのは、日本では近年ほとんど刊行されていないのだ。出ていても海外の翻訳書だったり薬害エイズについての本だったりして、日本に住んでいるごく一般の日本人が、自分の問題として読むべき本はとても少ない。
この本は去年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭の会場で販売されていて、いつか読もうと思って放置していたのを今年の映画祭で思いだしてやっと読んだ。1年越し。遅過ぎ。

これはもう、とりあえず日本全国の高校の図書館に一校につき一冊ずつ常備して、夏休みの課題に指定すべき本です。大学では学生全員に読ませてレポートを書かせるべし。
著者は東京でHIV/エイズの専門病院に勤務する女性内科医で、メインとなる前半の座談会では4人の一般女性とHIV/エイズについて詳しく語りあい、後半のインタビューでは実際に彼女が担当している若い女性患者に感染者としての生活について訊いている。
だから基本は「ごくふつうの日本の女性」向けの本になっています。だからものすごく読みやすい。やさしい。わかりやすい。
HIVはどんなウィルスで、どんなことをすれば感染するのか、感染したらどうなるのか、検査するにはどうすればよいか、もし陽性だったらどうすべきか、どんな治療があるのか、お金がどれだけかかって、生活はどうなるのか、そんなごく日常的なレベルの話が、疑問も含めて微にいり細にわたってこまかく書かれている。

この本にも出てくる「カレシの元カノの元カレを、知っていますか。」という公共広告機構によるエイズ検査促進キャンペーンのコピーだが、現実に毎日患者と向きあっている医師にとってはいい広告なのだそうだが、ぐりはあのぼんやりしたデザインのせいもあってさほどリアリティを感じなかった。
だが、最近になってこのコピーを思いだした出来事があった。
何度か触れたドラマ『Queer as Folk』の一場面を観ていたときだった。
主人公たちがベッドで戯れながら、以下のような会話を交わす。少し長いが引用する。

Justin:We're lucky.
Brian:What ? Living in this land of plenty ?
Justin:Mmm...
Brian:Roll over.
Justin:No... Every time Michael and Ben have sex, think about what they have to deal with.
Brian:It's Michael's choice.
--omission--
Justin:No matter how long they are together, even if it's forever, they can never do it raw.
Brian:Uhmm... neither have we.
Justin:But we could, if we wanted. I mean, we're both negative.
Brian:Do you want me to fuck you bareback ?
Justin:Yes...
Brian:Come inside your tight little ass ?
Justin:Do it... Fuck me...
Brian:Fuck yourself.
Justin:What ?
Brian:You stupid little twat. Never let anyone fuck you without condoms.
Justin:You're not just anyone.
Brian:Yeah, I'm sure that's what Ben thought about the guy who infected him. Put it on me. I want you safe. I want you around for a long time...

ジャスティン:オレらラッキーだね。
ブライアン:何が? この豊かな地に生きてることがか?
ジャスティン:うーん。
ブライアン:うつぶせになれよ。
ジャスティン:ヤダ。マイケルとベンはするときいつも考えなきゃいけないことがあるんだよ。
ブライアン:マイケルの問題だろ。
--中略--
ジャスティン:どんだけ長く、一生つきあってても、絶対ゴムなしでやれないんだよ。
ブライアン:うーん。オレらもやってねえ。
ジャスティン:でもやりたきゃやれるじゃん。どっちもネガティブじゃん。
ブライアン:ナマでやりたいのか?
ジャスティン:うん…
ブライアン:中に出してほしいか?
ジャスティン:やって… して…
ブライアン:勝手にしろ。
ジャスティン:は?
ブライアン:おまえはアホか。誰ともゴムなしでやるんじゃねーぞ。
ジャスティン:あんたはそのへんの誰かじゃねえ。
ブライアン:ああ、ベンも相手のことをそう思ってたろう。(コンドームを渡し)つけろ。おまえには安全でいてほしい。長生きしてほしい…
(ぐり訳:意訳 ちなみに動画はココにありますが、全裸の男×2がでてくるのでそーゆーのが苦手な人はクリックしちゃダメですよ)

番組を観ていない人のために説明すると、ブライアンとジャスティンは恋人同士、マイケルはブライアンの親友でベンというボーイフレンドと交際を始めたばかり。ベンはHIVに感染している。
ブライアンとジャスティンはそれぞれ遊びで他の相手ともセックスするが、常に必ずコンドームをつけている。
この会話で重要なのは最後の「あんたはそのへんの誰かじゃねえ」「ああ、ベンも相手のことをそう思ってただろう」というやりとり。ふたりは互いに相手を信じあい、大切に思っているが、ほんとうに愛する相手を守るためにはそれだけでは足りないという事実を的確に示す会話である。
ほんとうに愛する相手を守り、かつ自分も守るために、コンドームは絶対に必要なのだ。そしてそれこそが、真の愛なのだ。

この本では、HIVがいかに身近で、誰もが感染する恐れのあるウィルスであるかがはっきりと書かれている。
どんなにパートナーを愛し信じていても、そのパートナーの前の相手までは信じることはできないし、その前の相手の昔のパートナーとなれば完全に他人である。そのうちの誰かが過去に東南アジアの売春窟で遊んでたり、ドラッグの回しうちをしていても、ぐりにも、あなたにも、そんなことはまったくわからない。だって赤の他人だから。
本田医師の担当患者のなかには、あとにも先にも性行為は一度しかしていないという人や、感染しているのに風俗でナマでやりまくっているという人もいるし、ゲイであることを妻に隠して二重生活をしていて感染したという既婚者もいる。
そんな感染者が、日本には現在1万2千人いる。これは国が把握している感染者数で、実際にはこの3倍以上は確実にいるとみられている。つまり推計3万6千人以上ということになる。
さあ、これでも「わたしは/オレは関係ない」といいきれますか。

それと、最近はよい治療薬ができてHIVに感染しても発病を遅らせ、症状を抑える治療が可能になったことはよく知られてるけど、現在でもエイズで死ぬ人は皆無ではないこともしっかり書いてある。
かんたんにいえば、クスリでの治療が有効なのは、感染していてもまだ発症していない段階までだ。発症したことで感染が発覚した場合は、残念ながら望みはかなり乏しくなる。そうなってしまうと、クスリでの治療でも効果は期待できない。さまざまな感染症にかかり、苦しんで亡くなるという運命から逃れるのは難しい。
だからこそ、性経験のある大人ならみんな検査を受けるべきだし、誰とする時も常にコンドームを使用するべきなのだ。感染していても自分でそのことを知らない人が日本だけで2万人以上いるのだから。

とはいえ、実はぐりはまだ検査を受けたことはない。今まで必要性を感じたことがなかったから。
でも、この本を読んだら、やっぱり検査するべきだなと思ったです。
大人のエチケットとして、常識として、そういう意識を持つという、スタイルが大事なんだなと、思いましたです。

HIV/エイズに関する最近のニュースと情報リンク。

インドの女性、性行動で夫を信用すべきでない=担当相
厳しいご意見ですが事実です。世の男性は心してもらいたいです。

HIV急増、とくに30―40代で深刻
先月の記事ですが。

エイズ検査・症状・HIV感染
かなりストレートな情報が簡潔にまとめられたサイト。

HIV検査・相談マップ:エイズ検査・性感染症検査の情報検索ページ
いつどこで検査をすればいいのかすぐわかるマップ。

HIV/AIDS先端医療開発センター
大阪のHIV/エイズの専門病院。わかりやすく情報をあつめたサイト。

日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス
治療や福祉、人権や生活環境の保護など主に社会的側面から感染者を支える団体

Living Together計画
HIVと共存して暮すためのイベントなどを企画している団体

どうしてですか

2007年07月16日 | movie
『ルーシー・リューの「3本の針」』

HIVの感染爆発について中国・カナダ・南アフリカでそれぞれ1話ずつ語ったオムニバス映画。
もんんのすごーく、淡々としてます。台詞も少ないし、全体に非常に静かな映画。余計な説明もないし、登場人物も必要最低限。シンプル。それだけに、いいたいことがすごく伝わる。
3ヶ国それぞれにエイズの現実は違っている。中国雲南省のハニ族はエイズやHIVという言葉さえしらない。彼らの住む村にはTVや新聞どころか電気も水道もないのだ。たった5ドルの現金収入のため─それも手に入ったらすぐに農機具や種もみや遊興費に代ってしまう─に、彼らは血を売る。それが違法であることさえ彼らは知らない。
カナダのポルノ俳優は800ドルの出演料欲しさに義務づけられたHIV検査を誤摩化しつづける。息子の感染を知った母親は200万ドルの生命保険をかけてからわざと感染し、その検査結果を元に保険を売る。保険は債券として売買することができるのだ。濡れ手に粟で母子は大金を手に入れる。HIVは感染しても必ず発病するわけではないし、きちんとした投薬治療を受ければ死ぬことはない。
南アフリカの農園では雇い人の4分の1が感染している。修道女たちはばたばたと死んでいく農民たちを救うために奔走するが、無知と貧困の壁が彼女たちのゆくてをかたく阻みつづける。現金収入欲しさに危険も顧みず廃棄物を漁り売りさばく現地人たち。命欲しさに幼女をレイプするキャリアの男。果たして彼らを裁くことはできるのか。

この映画を観ていると、やはり無知は罪なのだと思う。
歴史も民族も文化も関係ない。HIVが人類共通の敵であることに間違いはない。それなのに、世界中で猛威をふるうこの病気をコントロールできる人たちと、なすすべもなくただ死を待つだけの人たちがいるのはなぜなのか。
なけなしの現金のために売られた血を買うのはどこの国の誰なのか。貧しい病人をこき使って栽培されたお茶やコーヒーを飲んでいるのは誰なのか。不注意で感染した病を道具に、あぶく銭を手に入れられる社会システムを考えだしたのは誰なのか。
それを思えば、決して、誰にも、「そんなことは我々には関係ない」「遠いよその国の不幸な出来事」とは口が裂けてもいえない筈だ。これもグローバリズムの影の一風景なのだ。

ちなみに中国国内には現在100〜150万人のHIV感染者がいるといわれている。3年後にはこれが10倍になるそうだ。既に村ごと全員がエイズかそれに伴う飢餓で死滅した地域も確認されている。
国民の10%(成人では20%)がキャリアで平均寿命が40歳をきろうとしているにも関わらず、南アフリカ政府はHIVウィルスの存在そのものを認めておらず有効な治療薬の多くが認可されていない。麻薬中毒者の多さも感染爆発の原因のひとつとして問題視されている。
それと同じHIVを、北米では商品として高額で売ることができるという。同じ人間なのに、同じ病気なのに。
貧しいのは中国人たちのせいでもなければ南アフリカ人のせいでもない。せめて知識や情報はタダでいくらでも共有できるはずなのに、それが現実にできていないのはなぜなのか。

さっきから同じことばっかいってますね?わたし?

でも、現代の無知や貧しさを生み出しているものは、実は富める国に住む我々なのかもしれないという恐れから目を反らすのが、最もひどい罪なのではないかと、ぐりは思い始めている。
でなければ、我々が世界中から運ばれる安くて美味しい食べ物をおなかいっぱい食べられて、どんな病気でも安心して治療が受けられるのに、その食べ物をつくっている人たちの口にはそのかけらも入らず、同じ病気でも彼らは死ぬしかないという現実に、説明がつかないではないか。

この映画は2005年の作品だそうだ。なぜ今まで日本で上映されなかったのか、そのことさえ残念に思うし、今回観られたことには感謝している。

関連レビュー
『ぼくもあなたとおなじ人間です。 エイズと闘った小さな活動家、ンコシ少年の生涯』 ジム・ウーテン著
『中国の血』 ピエール・アスキ著

子ども映画まつり

2007年07月15日 | movie
『スカイマスター、空飛ぶ一家のおとぎ話』

日本では滅多に観ることのできないデンマーク映画。
10歳のカレのうちに生まれた妹のリルの背中には、生まれつき翼がある。医師はただの皮膚だといって切除手術を勧めるが、一家はそのまま彼女を育てようとする。ところがカレがリルは飛べると主張して練習をはじめ、成長して伸びて来た翼がもとで事故になる危険性が出て来たため、両親は手術を決意。カレは自転車で130キロ離れた病院へ妹救出の旅に出る。
これはもうハッキリと子ども向けの映画ですね。大人も楽しめるけど。ファンタジーでありミュージカルでもありコメディでもありホームドラマでもあり、かつロードムービーにもなっていて、映像も音楽も華やかで家族みんなでせいいっぱい楽しんでね!という制作者の気持ちがとてもよく伝わってくる。
ファンタジーである以上に突っ込みどころはもう満載なんだけど、途中からいっさい気にならなくなる。いいじゃん映画なんだからさ!みたいな。
歌や踊りもおもしろいんだけど、この映画の最大の魅力は強烈なキャスティングとそれを強調した派手なヘアメイク。70年代風のポップでキッチュでカラフルな美術装飾と衣装も目に楽しいんだけど、それ以上にどの出演者も一度見たら忘れられない個性的な容貌で笑わせてくれる。ぐりはベビー用品店の店長役の人がコワかった。アレは特殊メイク?なのかなあ??赤ん坊がそのままおっさんになったみたいな顔・体型・髪型なんだよ。コワかったよ。
てゆーかね、やっぱいちばん印象深いのは主人公カレ役のヤヌス・ディシン・ラトケくんですよ。もおおおお、メチャクチャかわいい。ふわふわした金髪に大きな空色の瞳、少女マンガか古代彫刻かっちゅーくらいキレイに整った顔だち。将来楽しみだね。フフフフフフ。リル役の赤ちゃんもちょーめんこかったです。
一見するとただのファミリー向け娯楽映画のようだが、美容整形やダイエットやアンチエイジングなど過激な容姿改造がもてはやされるこの時代に、生まれたままありのままの姿を受け入れてハッピーに暮すという人生観の素晴らしさがメインテーマにもなっている。脳天気かもしれないけど、こういうことは脳天気にいった方が却って伝わるものなのかもしれない。

子ども映画まつり

2007年07月15日 | movie
『月の子供たち』

『タイヨウのうた』などで知られるようになった難病・色素性乾皮症の子どもを描いた青春映画。
12歳のリザの6歳の弟パウルは、太陽光にあたると悪性黒色腫を発症するため、日中外に出て遊ぶことができない。リザは毎日パウルに「あなたは別の星からやってきた宇宙飛行士なのよ」と空想した物語を聞かせて遊ぶ。あるときリザは宇宙工学に詳しいジーモンというクラスメイトと親しくなり、徐々に家を空けることが多くなっていく。
ストーリーそのものは悲しいが、リザとパウルが共有している宇宙の物語がファンタジックなCGアニメで表現されており、全体の雰囲気はそれほど重くはない。先天性の不治の病を描いていても、物語にはちゃんと希望もある。決してお涙ちょうだいの難病メロドラマにはなっていない。一見ストーリーラインとは直接関係のなさそうなディテールが繊細に描かれていて、登場人物たちの環境や心情がごく自然に表現されている。
難病はモチーフのひとつであり、メインのテーマは思春期を迎えたリザの成長である。小さな弟の世話にかいがいしく明け暮れる姉といえばいじらしく聞こえるが、彼女はそんなしおらしいだけの娘ではない。家庭環境や不安定な年頃のために自分の殻に閉じこもりひとり「悲劇のヒロイン」ぶるのに、弟の世話はいい口実なのだ。彼女を100%信じ甘える弟の存在が彼女の支えにもなっている。互いに依存しあい閉じた関係に満足していた姉弟だが、姉には大人への準備=思春期がめぐってくる。弟ほどではないにせよ彼女を必要とするボーイフレンドの存在が、ふたりを人生の先の段階へと導いていく。
ところでこの色素性乾皮症、確か去年公開されたドイツ映画『みえない雲』にもこの病気の子どもが登場したので(そーだったと思う。違うかも?)ドイツでは有名な難病なのかと思いきや、ドイツにも患者が30人くらいしかいなくて全然知られてないらしい。監督は撮影にあたって数人の患者に取材をしたそうだが、何度も皮膚ガンを切除している患者の中には容姿が変わってしまっている人もいて、かなりつらかったという。
『名もなきアフリカの地で』や『ビヨンド・サイレンス』など子ども映画というジャンルでは定評のあるドイツ映画だが、映画産業そのものが発達していないため子役の数は少ないらしい。今作の出演者も14校の学校を3ヶ月かけてまわってみつけたそうだ。