落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

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2007年07月28日 | movie
『リトル・チルドレン』
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おもしろかったー。ぐりは好きですね。これ。かなり。
昨年度の賞レースでも健闘してただけのことはあって、なるほど確かにいい映画です。
テーマやトーンが『サムサッカー』にすごく似てる。ストーリーも設定も全然違うけど、どちらも地方都市の住宅街を舞台にしたホームドラマ。誰もとくにそんなに不幸じゃない。けど幸せでもない。みんながあるはずのない答えを探して、“思春期”という名の迷路を彷徨っている。
『リトル〜』の登場人物たちは年齢的にはみんないいオトナだけど、精神的にはリッパに“思春期”。こんなはずじゃない、自分の人生は本来もっと違うものであるべきなのにという幻想から逃れられず、素直に現実に向き合うことができない。

じゃあオトナの定義ってなんだろう?
たぶん人それぞれだろうけど、ぐり的には、オトナってなんでも自分で責任がとれる人のことじゃないかと思う。思い通りにいかないことがあっても、気に入らないことがあっても、そもそもは自分の責任として受けとめ、自分の力で解決策をみつけ、どうにかして切り抜けていける、それがオトナなんじゃないかと思う。
というか、オトナになってしまえば、大抵の悩みや不満のもとは結局自分のせいだってことくらいは誰にでもわかるんじゃないかなあ?よっぽど特異な状況でもない限り。
でも、『リトル〜』の主人公たちはそうは考えない。
サラ(ケイト・ウィンスレット)は自分はそのへんの主婦とは違うと勝手に思いこんで妙に気取ってるけど、客観的にみれば欲求不満でいつでも不機嫌なただの主婦だ。ブラッド(パトリック・ウィルソン)は美人でしっかり者の妻(ジェニファー・コネリー)にコンプレックスを感じているが、一方的に卑屈になるのもわがままではないか。過去にも将来にも後ろ向きなロニー(ジャッキー・アール・ヘイリー)も、結局は前科を言い訳にして自分の殻に閉じこもっているだけ。元警官のラリー(ノア・エメリッヒ)にしても、ロニーは個人的な鬱屈を押しつける格好のターゲットでしかない。

愚かなのは彼らだけじゃない。人間誰にでも愚かな部分はある。
むしろ愚かさを否定せず、愚かさのままに答えを探しに出た彼らは、ある意味では勇敢かもしれない。それくらいのことはしないと、人生退屈だもんね。
稼ぎのいい夫と遺産の大邸宅に住んでいるサラと、超美人の妻に養ってもらいながら勉強しているブラッドは、ごく当り前にみれば「果報者」だ。好きだった警官の職を失って元犯罪者にストーキングするラリーや、前科もちで近所中から警戒されているひとりぼっちのロニーとはワケが違う。この映画ではあえてその4人を同列に描いて、人の幸せ/不幸せに大小はないことを表現している。さりげないがとてもいい対比だと思う。
ところどころに細かなひっかかりもないことはないけど、いろんな示唆にみちたいい映画です。オススメ。

個人的には、平凡で退屈な俗物主婦代表みたいなメリー・アン役のメアリー・B・マッキャンが、どーしてもジェニファー・アニストンに見えてしまうのがおかしかった。
似てますよね?なんかね、もろにジェンを平凡で退屈な俗物主婦にしたみたいな雰囲気の人なの。ナイスキャスティング。ははははは。