落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

We are all the same

2007年07月08日 | book
『ぼくもあなたとおなじ人間です。 エイズと闘った小さな活動家、ンコシ少年の生涯』ジム・ウーテン著 酒井泰介訳
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ぐりがエイズという病気について初めて耳にしたのは1988年、高校2年の生物の授業でのことである。
教師が教壇で1冊の科学雑誌を広げ、グラビアページを開いて教室全体に見えるように掲げたあと、回覧した。
グラビアにはアメリカ人のごく平凡な家族写真が一枚、大きく印刷されていた。ハンサムだけど印象的なほどではない父親と、はつらつとした母親、かわいい女の子と金髪の幼い男の子の4人が、緑あざやかな芝生に座って身を寄せあい、カメラに向かって笑いかけている。
名前も知らない一家だが、ぐりはこの家族写真のことをとてもよく覚えている。
教師は、写真に写っている4人家族のうち生きているのは上の娘ひとりで、あとの3人はみなエイズで死んだといった。感染源は父親。不注意な婚外交渉によってウィルスは家庭に持ちこまれ、妻に感染し、息子に母子感染した。そして一家は崩壊してしまった。
このとき教師は、エイズがHIVというウィルスによって免疫機能が破壊される病気であること、80年代に入ってアメリカで猛威を振るい日本でも既に感染者(キャリア)が確認されていること、HIVは性交渉や注射の回しうちなど体液を媒介して感染すること、ただしそれ以外の日常生活では感染しないのでキャリアを隔離する必要はないこと、潜伏期間が10年以上に及ぶケースもあり自覚症状のないままパートナーに感染させてしまう危険性が高いことなどを説明した。

当時の彼の説明は、今のエイズ予防の常識とまったく変わりない。
それなのに、たかだかこれだけの常識が、80年代の地方の高校で一介の生物教師が子どもに教えられた程度のことが、未だに世界中できちんと浸透していない。
一体どういうことなのか。
人間はなんでこんなにアホなのか。

この本の主人公はゾラニ・ンコシ・ジョンソン。
1989年に南アフリカで胎内感染によって生まれつきHIVウィルスをもって生まれた。出生時の体重は2000g前後、乳児期に発症したがゲイル・ジョンソンという活動家の女性にひきとられ、手厚い看護をうけたっぷりと愛情を注いで育てられた結果、奇跡的に就学年齢まで成長することができた(アフリカの胎内感染児のほとんどが3歳前に死亡する)。ふつうの子どもと同じに学校に通いたいンコシ少年だったが、エイズを発症した子どもの受入れに反発する他の父兄と激しい衝突になり、このときのゲイルとンコシの奮闘がきっかけで、彼らは南アフリカでエイズと闘う弱者のヒーローになった。
2000年第8回国際エイズ会議でスピーチ(原文と画像)して国際的にも有名になり、活動家として2度渡米したが2001年、ついに志半ばにして世を去った。12歳だった。
ゲイルは彼の名を冠したエイズ母子のためのホスピス(ンコシズ・ヘブン)を今も南アフリカで運営している。
ンコシの生涯は映画化が決まっており、ゲイル役にはナオミ・ワッツの名が挙がっている。

HIV感染児をひきとって育て、ホスピスをつくり、差別や無理解と真正面から闘いつづけたゲイルだが、本人は決して完璧な女性ではない。
彼女は人間としてすべきこと、やって当り前のことをしただけだと思っている。単に誰もやろうとしていないだけのことだと。
困っている人が目の前にいて、自分にその窮状を助ける手段があるなら、手を差し伸べるのが当り前ではないかと。
彼女自身はもともとエイズに詳しかったわけではない。偶然、末期のエイズ患者である友人の兄に出会い、なんとかせねばと思いついたのがきっかけでホスピスを開設した。ホスピスの存在をたまたま知ったンコシの母親が赤ん坊を預けにきたから受け入れた。経済的な事情でホスピスを閉じたとき、ンコシに行き場がなかったから家にひきとった。ひきとったからには全力を傾けて育てた。
べつにヒーローになろうとしたわけでもなんでもない。やるべきことがあったからやっただけ。ルーツやらナショナリズムやら信仰やらそんなものは関係ない。いちばん大事なもの、いちばん必要なものをまず求めただけ。
だがその道のなんと険しかったことか。逃げも隠れもせずにエイズに立ち向かった彼女の姿勢はやはり美しいし感動的だ。誰もが彼女のように、やるべきことを完遂できたらどんなにいいだろう。それができないのが人間の弱さであり愚かさだ。

ンコシ少年は12年しか生きられなかったが、胎内感染児としてはもっとも長寿のひとりでもある。
とはいえたった12年の生涯では本にはなかなかならない。なのでこの本には、南アフリカの近代史、アパルトヘイト、アパルトヘイトがもたらした社会の荒廃、荒廃の中で拡散するエイズと無策な新政府への批判など、南アのエイズの悲惨極まりない現状が広範囲に解説されている。
ただボリュームそのものは重くはなくかなり読みやすい量にまとまっているし、かといってお涙頂戴の難病メロドラマにもなってはいない。誰にでも気軽にさくっと読めて、全体がからっと理解できる、いい本です。オススメ。

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