ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

沢田研二「昔ジュリーでいまジジイ」

2012-12-15 | Weblog
東京8区から立候補した山本太郎さん。孤軍奮闘に近い選挙戦ですが、沢田研二さんが志でもって突然、応援に駆けつけたそうです。元ジュリーファンのジジ仲間として看過できず、あえて紹介します。

<スポニチ 12月15日>
 東京8区=杉並区=から立候補した俳優の山本太郎氏(38)が14日、JR荻窪駅前で街頭演説を行い、歌手の沢田研二(64)が応援に駆けつけた。
 沢田は「昔ジュリーで今ジジイ。選挙に出る勇気はないが、原発をやめるために、こんな立派な若者が立った」と聴衆1500に訴えた。「僕は別にしがらみはないから、応援に迷いはない」と話した。
 沢田はかねて反原発の思いを込めた曲をつくるなどしており、新聞のインタビューで山本氏についても語っている。たまたまその記事を見た山本氏が1日、立候補表明会見前に応援を要請した。
 山本氏は沢田のヒット曲「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」の歌詞を引き合いに「自民を脱ぎ捨て、民主を脱ぎ捨て、維新を脱ぎ捨てたらおいで、と有権者に訴えたい。立候補後、円形脱毛症になったが、自身もこの替え歌を励みにする」と感謝した。
 8区からはほかに、自民党の石原伸晃前党幹事長(55)、民主党の新人円より子氏(65)、共産党の新人上保匡勇氏(28)が立候補している。

<津村喬ブログ「津村喬の気功的生活」12月15日>        
山本太郎は石原の息子を落とすために、東京八区から立候補した。
3.11以来、ほとんど役者としての仕事を捨てて反原発の活動をしてきた。
フクシマの被災者たちにずっと心をつないできた。
未来の党から立候補してもよかったのだが、私は自分でもやれる、自分が公認されて未来の党の枠がへってしまったら申し訳ないと、ひとりで立った。嘉田さんも応援に来た。
でも一番うれしかったのは、昨夜来てくれた沢田研二だった。俳優の友人たちに声をかけたが、皆ためらった。その中で沢田だけが喜んでやってきた。沢田は64、山本は38だが、同年代のように、兄弟のように響きあった。
この勝負にたとえ負けたとしても、このことは日本芸能史上に残る出来事だと思う。
むろん、勝ってノブテルを打ち倒せれば、それに越したことはない。沢田研二の心の底からの言葉に触れて、よかった。

<山本太郎 12月14日演説 荻窪駅前>
荻窪駅周辺ご通行中の皆様こんばんは、山本太郎です、よろしくおねがいします。
衆議院選挙東京8区杉並から立候補しました。
「どうして役者のお前が立つんだ?」って言う話なんですよね、
16歳から芸能界にいて、いま38歳、22年間芸能界にいました。
でも、もう今メッセージを伝えなきゃ、伝わらないんですよね、いろんな人たちに。
テレビ、新聞から本当の事が流れないのであれば、だったら自分が沢山の人達の前に出て、今この状況を説明する必要があると。
とはいっても、僕もただの役者ですから、そんな何か特別な事が出来る訳じゃない。
でも、そのままボッと見ておくわけにはいかなかったんですよね。
表現者、役者だったり歌手だったり、そういう表現者は芸能界には沢山います。
でもその中で社会的な事、特にテレビや映画や舞台や、そういう所にスポーンサーとして参加する企業に対して、不利益な情報を皆様にお伝えするというのは、これ、職業的にはもうアウトなんですね。これだけの事態になっても。
日本が終わるのか、それとも未来を切り開けるのか、そのような場面になっても、そう多くの表現者は声をあげられないような状況なんですよね。
僕も悩みました、最初は。自分の仕事が無くなるんですからね。
母親も食べさせなきゃいけないし、自分も生きていかなきゃいけないし、その中で声を大きく上げるという事は本当に自分の中でも悩みました。
でも、僕が声をあげるずっとずっと前から、この世の中に起こるいろいろな事柄、社会的な問題に対して勇気を持って発言されて、そして歌をつくり、それを世の中の人達にメッセージとして伝えている先輩がいるんですよね。
本当に尊敬します。
殆どの表現者たちが口を閉ざしている今、この事故が起こる前から、この事故が起こるずっとずっと前から、みなさんに対してメッセージを発信し続ける、そんな素敵な先輩が、芸能界の中にいました。
僕が選挙に出るといった時、この芸能界に今までかかわってきたいろんな方に声を掛けさせていただきました。
演説していただけませんか?
応援に来てもらえませんか?
でもそれはすごく難しい事なんですね。
その人たちもレッテルを張られてしまう。
その人たちも仕事が減ってしまう。
子どもがいる、家族がいる、そういう事になれば難しい話なんです。
でも、その芸能界の中で覚悟を決めていろんなメッセージをみなさんに伝えている大先輩がいます。
沢田研二さんです。
本当にありがとうございます。
沢田研二さんです、よろしくお願いします。

<沢田研二>
みなさん…沢田研二です。
杉並区のみなさん、そしてこの荻窪の駅前に集まって下さいましたみなさん、
本当にありがとうございます。
僕は…誰にも頼まれていないんですが、「九条を守ろう」という歌とか、
今回の「3.11の歌」とかを勝手に書いて歌っております。
そういう気持ちといういのは、気持ちが大事なんであって、それがどうなるか、っていうのは僕には大した問題ではないんです。
ただ自分がそうしたいからそうするんだ、という事でしかなかったんです。
で、今回、僕なんかもう64にもなって、こういう選挙に打って出ようなんていう勇気なんてありません。
もう、ただのジュリーです。
正確に言うと、昔ジュリー 今ジジイです。
でも、山本太郎のように、勇気のある38歳の若者が、ちゃんと打って出てくれました。
そして、その話を聞く以前から、僕は、あの、「テレビで仕事がなくなった」と言っていた時点で、言われた時点で、
僕は「何か力になれる事はないだろうか」といつも思っていました。
そしたら、今回声をかけていただいて、僕も思う事はいっぱいあるんで、とにかく今、選挙に出ている人はみんな「国難や」なんやと言っています。
でも、ほとんどの人は原発を止める事を、その事自体が一番大事なことなんだ。
それをやらない限りは他の経済の事もいろんな事も何もかもが始まらないのだ。
今日だって、地震が起こるかもしれないんですよ。
そういう国に私は住んでいるんです。
だから、騙された訳じゃあないだろうけれども、ちゃんと教えてもらえなかった、その結果が、今のこれだけ沢山こんなに地震の起こる国に原発が山ほどあるわけですよ、本当に。
これは、何とかしないといけない!
そう思ってみなさんも来ていただいたのだと思います。       
もちろんここに集まって頂いた方は、山本太郎に1票を入れようと思ってくれていると思いますが、悩んでいる方もいらっしゃると思います。
悩んでいる方はよーく考えて下さい。
そしてやっぱり原発NO!や!!という、山本太郎に、1票を入れて下さい。
お願いします。
ありがとうございます。
本当に選挙に出るなんて、大変な事をしでかしてくれたと思っていますが、ホントに応援したいと思っております。僕は杉並区民じゃなくて残念です。
1票でも僕は入れられたかもしれない。
だけど昨日、西荻窪の、夕方の演説をひそかに聞いていて、「どんなふうにやってるのか」と思ったら、ちゃんとチラシも渡されました、受け取りました。
封筒も渡されました。
すぐにコンビニに入って切手を買いました。
電話帳で杉並の知人友人全部送りました。
送るように封筒に入れて投函しました。
そして今日、こうしてこの場で、応援の言葉をちょっとしか言えないのが本当に残念です。
僕は2時間半ならしゃべってられます。
でも、聞く方が大変でしょうから、ともかく
くれぐれも、くれぐれも、山本太郎に1票を入れていただくように、
みなさん、区民のみなさん、どうかよろしくおねがいします。
ありがとうございました。

<山本太郎>
沢田研二さんに、沢田研二さんにもう一度大きな拍手をお願いいたします。
本当にありがとうございました
<投票前日 2012年12月15日 南浦邦仁記 津村喬さんほかの記載を引用しました>

コメント (4)
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