ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

同志社と継体天皇

2010-02-22 | Weblog
 同志社大学のキャンパスは、京都市上京区今出川が有名です。御所と相国寺のあいだ、赤レンガの建物が並ぶ地は、いかにも歴史ある同志社を感じさせます。
 しかしこの校地は手狭で、同志社は京都府南部の京田辺市にあたらしく、広大な京田辺キャンパスを開きました。田辺には同志社女子大、同志社国際中高校なども集結し、田舎の山中に広々とした「同志社」村が連なっています。
 ところが学校法人同志社は最近になって、この地区の地名を「同志社」に変更するように京田辺市に求めています。先週20日土曜日の京都新聞朝刊の報道です。
 現地名は、多々羅・興戸・三山木・普賢寺の四地区ですが、それらを新地名「同志社」に統合し、同志社1丁目・2丁目などとしたいという市への要望です。
 しかしこの地はかつて継体天皇が筒城宮(つつきのみや)を置いた地そのものです。都谷などの字名はその名残といわれています。多々羅都谷近辺に継体天皇は、511年から518年まで都を構えました。
 継体は厩戸皇子・聖徳太子誕生の40年ほど前に亡くなったひと。当時の都は狭かったとは思いますが、そのためか遺跡はいまだに発掘されていません。一日も早い発見が待たれます。継体こそ、その後の歴代天皇のルーツそのものと、わたしは確信しています。
 京都新聞記事のコメントで、京都地名研究会の吉田金彦会長は「地名には、その土地の歴史や文化が息づいている。安易な変更は、地域に固有の歴史を抹殺することになり、あまりにも乱暴な話だ」

 わたしも吉田先生の意見に賛同します。たとえば京都市の中心部、小さな町が数えきれないほどあります。それらの町名は、長い歴史を背負い、住民とともにいまも息づいています。安易な町名変更など、京都市中ではまず考えられません。
 同志社にお願いしたいのは、筒城宮跡を発掘し、町名を「筒城宮」町にでも変更し、全国有数の歴史遺産地名をもつことが肝要なのではないでしょうか。遺構遺跡は発掘されれば開発が制限され、同志社には一見不利に感じられるかもしれません。しかし校区のまわりには、ありあまるほどの雑木林が広がっています。いくらでも周辺部に拡張することが、可能なはずです。
 かつて中山修一先生による長岡京発見のとき、地名字名や地形などが、発掘時の大きな推定材料になったと聞きます。同志社大には考古学や古代学の優秀な人材が、辰巳和弘先生はじめ揃っておられる。
 陽日のもと、1500年ぶりの筒城宮出現を期待します。
<2010年・平成22年2月22日 ところで昭和22年2月22日生まれの方は今日、63歳になられたのですね。おめでとうございます。>
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