ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

チャイナという不可解な国 №3 「すみません…」

2010-10-12 | Weblog
 お人好しで気が弱く、すぐに謝る日本人のことを前に書きました。「中国という不可解な国」9月28日。なかでも代表的な謝り言葉が「すみません…」。これは英語の軽い言葉「Excuse me」なのか、気の毒や残念の「sorry」、あるいは謝罪「apology」なのか? 外国人の多くは、日本語の「すみません」を「apology」と判断するようです。
 日常生活のなかで日本人が「すみません」表現をどのように使っているのかが気になり、近ごろ日々、観察してみました。当然、わたしの使用例も含めてですが。

 居酒屋でビールのお代りを注文するのに「すみませーん」。友人が言うに「すみませんは止めて、『チョット!』にしたらどうや?」。このように、ひとに何かを依頼、お願いするときに「すみません」を呼びかけ語としても使いますね。当然、謝罪の気持ちのカケラもありません。「お手間ですが」と客が店員に気をつかっているのでしょうか?
 「済みません」が本来の表記です。気持ちのうえで納得できない、満足しないときにも使います。「飽きるほど何度もやって、気が済みましたか?」
 「そのような言い方をされたら、わたしの気持ちは済まないじゃありませんか。腹の虫が、収まりませんよ!」。これなど抗議・反発であって、謝罪の反対語のようです。相手に向かって、謝罪を要求しています。
 さらには、感謝の意味でも使いますね。狭い通路で対向者が道を譲ってくださる。「ありがとうございます」と言うべきですが、「すみません」。反射的につい口にしてしまいます。お礼の言葉です。
 当然、わたしたちは謝る、謝罪でも多用していますが、実に多様な意味をもつ言葉です。「どーも」は近ごろあまり耳にしませんが、曖昧語代表「どーも」と「すみません」は近い関係にあるのかもしれません。

 それから「ごめん」があります。「ごめんなさい…」は謝罪でしょうが、「天下御免」の強権発動も。治外法権、超法規的な言葉でしょうか。
 免官や免職、お役ご免でも使いますし、容赦する赦免することも言います。「ご免こうむる」は拒否です。来訪した乞食に「今日はお布施しません! ごめん! あなたは先週も来たでしょ!」。現代では使わない用例ですが、これも拒否です。
 どなたかの家を訪れると「ご免ください」、そして「お邪魔します」。自分の訪問は相手にとって邪魔である、と宣言しているように聞こえます。邪で魔ですよ。
 わたしの京の友人など、人混みをかき分けて突き進むとき、「ご免やっしゃ!!」。彼の発声には迫力がありますので、ほとんどの人が進路を譲ります。強引な脅し語かもしれません。「そこ!退け!」です。

 日本人が多用する「すみません」や「ごめん」には、実にさまざまの意味が含まれています。他言語常用者には、ニュアンスの理解が困難ではないでしょうか。
 しかし「すみません。ごめんなさい。申し訳ございません。許してください。責任はわたしにあります」。このような表現に接近すれば、それは明らかに「謝罪」です。日本語は一語一語があまりにも内容豊か?です。そのためにあいまい過ぎるのかも知れませんね。アクセントやイントネーション、音の強弱長短でも意味が大幅に変化してしまいます。
 先日のことですが、拙宅を「ろうおく」と言いましたら、「牢屋のような住まいですか?」と本気で質問されてしまいました。確かにその傾向はありますが、拙宅よりひどい住居ろうおく「陋屋」、狭くてむさ苦しいアバラ屋という謙遜語です。日本人の美徳であるケンジョウ、ケンソンやケンキョ、ヒカエメは世界では理解困難。いや国内でも衰退しつつあります。
 「日本語という不可解な言語」、そして不可解な日本人というのが、本日の結論のようです。チャイニーズだけが不可解なのではない。
<2010年10月12日>
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