ふろむ播州山麓

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天狗談義 №5 天鼓<テンコ>

2011-02-08 | Weblog
前回の「天狐」に続き、今日は「天鼓」テンコをみてみましょう。
 2100年ほど前に記された司馬遷『史記』では「天鼓、有音如雷非雷、音在地而下及地」「天狗ノ状ハ大奔星ノ如ク、声アリ下リテ地ニ止レバ狗ニ類ス。堕ツル所ヲ望メバ火光ノ如ク、炎々トシテ天ヲ衝ク」」
 その100年ほど後の『漢書』には「天鼓有音、如雷非雷、天狗、状如大流星」。唐代の『雲仙雑記』では「雷曰天鼓、雷神曰雷公」とあります。
 古代中国では、天狗は流星のごとくであり、地に墜ちれば天を衝くように燃え上がる。また雷に似た大音、天鼓を響かせる。
 そして天狐テンコと同音の天鼓テンコは、雷に近いものとみなされた。天鼓の鳴り響く音は、雷鳴に似てはいるが同じではないともいう。

 奈良時代の『日本書紀』に記された「音有リテ雷ニ似タリ。…僧旻曰ク。流星ニ非ズ。是レ天狗ナリ。其ノ吠ユル声、雷ニ似レルノミ」。
 なお天狗は、平安時代中期に記された『聖徳太子伝歴』には「天狐」と記され、<テンコ><あまぎつね><あまつきつね>とも読まれたようです。
 おそらく僧旻法師は30年近い隋唐での滞在で、『史記』や『漢書』などを十二分に読み解いたであろう。<流星―雷神―天狗―天鼓―天狐>、それぞれはイコールではないが、そのような関連性で彼は天空を理解していたのであろうか。

 わたしの勝手な推論で言えば、7世紀の倭国においては、天の流星のごとき大音響を発する得体の知れない物体は、中国の伝承をもとに「天狗」テンコウとよばれたのではないか? 『日本書紀』にあきらかな通り、やはり「天狗」であろう。
 ところが平安時代の中期、狐を妖しい獣とする観念が発達し出し、また古代中国の「天狐」記述と習合した。そのため、「天狗」と書くべきところを、伝歴は誤って、あるいは意図的に「天狐」と表記したのではないか?
 大化の改新の前、僧旻法師が言った日本書紀637年の「天狗」は天狗<テンコウ>であり、天狐<テンコ・あまつきつね>ではなかった。平安時代のなかば『聖徳太子伝歴』の著者が、天狗と記すべきところを故意か誤りか、「天狐」と書いてしまったのではなかろうか。ただ古代中国に「天狐」<テンコ>は存在する。

 平安時代の初期、天狗の記載がみえない。書紀以降、天狗が忘れられた空白期に、天狐という中国古典の一片の知識がにわかに浮上してしまった。その結果が『聖徳太子伝歴』917年の<天狐>記載であろうというのが、独断の私見です。国内古典にはその前にも後にも、天狐はあらわれないように思います。天狐の古い記述をご存じの方があれば、ご教示いただきたいと思います。
<2011年2月8日 南浦邦仁>
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