ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

京言葉の寝言

2008-04-23 | Weblog
川端康成と真下五一、京ことばを巡るふたりの交流のことは書いたが、真下の京ことば観を紹介してみよう。

 大阪弁で書かれた小説は数多い。谷崎潤一郎、織田作之助はじめ、たいていはみな成功している。ところが京言葉で書かれたものは少いし、またほとんどが失敗している。なぜだろうか。
 京言葉を文字にすると失敗になりがちなのは、作家の責任によるというばかりではない。もともと京言葉は、そのアクセントのやわらか味で生きている。それがアクセントの効きがたい文字となっては、思うようにいかないのも当然である。

 真下が昭和三十一年に書いた『ねごと随筆』から「京言葉の寝言」原文を紹介してみよう。

 ついタライマまでオーデーダシキでさわいでいたコロマラチが、ソドソド飽きがきたのか、カデが止み、ハデれてきたのをみると、いきなりカロへ飛出して、シド地にアカーのハターをなびかせ、ダッパを吹いて、それ、ハシデハシデと、駈出していく。

 なんとも難解な文章だが、標準語に直すとこうなる。
 つい唯今まで大勢座敷で騒いでいた子供達が、そろそろ飽きがきたものか、風が止み、晴れてきたのをみると、いきなり門へ飛び出して、白地に赤の旗をなびかせ、喇叭(ラッパ)を吹いて、それ、走れ走れと、駆け出していく。

 真下はこのような話し言葉を、何枚ものレコードに録音して残したかった。京ことばは、一種ひとつではない。室町を中心とした商家ことば、職人の西陣ことば、花街の色町ことば、大宮ことば(御所・女房・公家ことば)、北白川や高尾そして大原などの農家ことばなど多様である。
 レコード化するなら、それらの言葉は「時代に分かれて正確に整理され、上流中流下流と、各層に会話も厳選されて、男同士、女同士、男女の対話、又老人や子供もまじえての、系統立った本格的なものに仕上げなければならないだろう。随分、発音矯正や台本の作成、と相当長期にわたる訓練も必要だろうが、大がかりにやれば人材が得られぬこともなかろう。唯、相当な経費も入用のことだろうから、京都市自体が、音頭とりになってくれれば結構だが、あるいは、大学とか放送局あたりが主になって、やってみても面白いのではないか」
 そして真下は語る。微力なわたしには、京言葉のレコード化事業など手のつけようもなく、文字通り寝言の夢に等しく、そのまま寝言を録音ならぬ文字に記して、夢でもみることにいたすより、いまのところいたし方がない。
 その寝言の夢文が、先に紹介した子どもを描いた「京言葉の寝言」である。真下いわく、「まことに、こまった夢の中の遊びである」
 しかし何年も後、彼の夢の一端がかなう。ただの一枚だが、執念の京ことばレコードは完成する。1975年、真下没の三年前、まもなく七十歳に届こうとする年であった。
<2008年4月23日 夢の一滴 南浦邦仁>
コメント    この記事についてブログを書く
« 『古都』の京言葉 | トップ | アメリカヤマボウシ、別名ハ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事