ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

山中越 やまなかごえ

2007-10-08 | Weblog
 京の荒神口(河原町通荒神口)、荒神橋が鴨川に掛かっているが、ここからいまの京都大学の敷地内に道路が北白川に走っていた。そして東山山中に入り、白川に沿って山中村を抜け分水嶺、比叡山を越えて近江国志賀郡(大津市)にいたる。この道を、山中越とか志賀越という。
 山中村という集落名からついた名で、山の中を抜ける道という意味から出た名ではないようだ。山中村は壬申の乱で破れた兵たちが開いた村という。1300年以上前のこと。古い村である。
 この道をはじめて整備したのが織田信長。永禄十三年(1570)の記録には、近江を平定した信長が、山中という所を通り、白川へ出、東山の辺りを通る「新路」を建設させた、とある。
 そして安土城が完成した後、織田信長公、江州安土城の御座し時、京より通る人、この道を出て、志賀の山越を過ぎ、東坂本より湖水を渡り、安土行しとなり。
 山中越を車で走るとき、織田の軍団がともに駆け抜けて行くような気配を感じる。また比叡山は信長が壮絶な焼き討ち惨殺を行なった山である。歴史は山の中にも凝縮している。
<2007年10月8日>
 
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