ふろむ播州山麓

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ブータンの幸福 2 「GNP・GDPとGNH」

2011-11-25 | Weblog
 ブータンがGNP国民総生産に対する言葉「GNH」国民総幸福量を、世界に向けて提唱したのは、若干31歳の現国王の父、ワンチュク王朝第4代国王である。GNHは「Gross National Happiness」。金銭的、物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すとした。
 前ワンチュク王はわずか16歳にして、急死した父3代国王のあとを受け1972年に即位した。GNH提唱は、即位後まもないころの発表である。「重要なのはGNPではなくGNHの増大である。ブータン人ひとりひとりが自分の人生に充足感をもつことが大切」。少年は世界に向かって、まったく異なる価値観を提示した。
 GNHは4代目から使われているキーワードだが、考えは先王から踏襲している。第3代国王は生前に「開発の目的は人々を豊かにし、幸福にすることである」と述べている。ブータンの指導者たちには古くから根強い考え「国民の幸福のため」がある。
 GNHという言葉に思想と政策を集約したのは第4代ワンチュク王、つい先日に来日した5代目の父である。引退された第4代はお元気で、1955年生まれの66歳。40年前の提唱である。

 国民総幸福量の施策がブータンにおいて具体化し、世界に認知されるようになったのは、10年少し前からだそうだ。
 GNHの柱は4本ある。
①持続可能で公平な社会的、経済的開発。
②自然環境の保護。
③伝統文化の保護と発展。
④よりよい統治の促進。
 経済がいかに発展しようとも、自然環境が荒廃したり、伝統文化が失われてしまったり、政治や行政が汚職や非効率にあふれていたら、人々の幸福はありえないとする。経済成長も国内の貧富の差を拡大しない性質のものでなくてはならない。経済成長の質を問うとともに、経済発展だけでは国民は幸福にならないと主張する。

 国立ブータン研究所は4本の柱を念頭に、幸福を9分野にわけた。
①経済的な生活水準
②健康
③教育
④生態系の多様性
⑤コミュニティの活性と回復力
⑥精神の健康
⑦よい統治
⑧文化的な回復力と許容能力
⑨日常のさまざまな活動への時間配分

 ブータンは一歩一歩、まったく新しい価値に向かって挑戦している。指標化がむずかしい「幸福指数」だが、GNHの増大は「1周遅れの1位」という。これまでの古い世界ルールでは、走っていたら1周遅れだが、ルールを変更したら1位だった…。ブータンは経済成長、GNPやGDPではなく、幸福の追求というまったく異なる価値観を、世界に提示したのである。
 そして2005年、はじめて実施されたブータン国勢調査での質問「あなたはいま、幸せですか?」に、国民の 97%が「とても幸福」あるいは「幸福」と答えた。
 同国は発信している。「経済成長率が高い国や、医療が高度な国、消費や所得が多い国の人々は、本当に幸せだろうか。先進国でウツ病に悩むひとが多いのはなぜか。地球環境を破壊しながら成長を遂げて、豊かな社会は訪れるのか。他者とのつながり、自由な時間、自然とのふれあいは人間が安心に暮らすなかで、欠かせない要素だ。GDPの巨大な幻想に気づく時が来ているのではないか」(上田晶子記述)

 西欧のある経済学者が「一体“幸せ”を数値でどう表すんだ」とあざ笑った。ブータンの高官が静かに答えた。「ひとの“幸せ”は、数値に置き換えられないところにあるんじゃないですか?」

 ところでブータンが幸福を追求しだした同じころ、アメリカでも同様の考えを語った人物がいる。ジョン・F・ケネディの弟、ロバート・ケネディである。
 彼は1968年のスピーチで、GNPという絶対指標の価値観、使われたお金が多いほどいい、という経済成長の考え方を痛烈に批判した。
 「アメリカは世界1のGNPを誇っている。でもそのGNPの中にはタバコや酒やクスリ、離婚や交通事故や犯罪や環境汚染や環境破壊、それらなどにかかわるもの一切が含まれている。戦争で使われるナパーム弾も核弾頭、警察の装甲車や銃弾も、子どもたちにおもちゃを売りつけるために暴力を礼賛するテレビ番組にも…」
 そしてGNPにカウントされないのは「子どもたちの健康、教育の質の高さ、遊びの楽しさは含まれない。詩の美しさも、市民の知恵も、勇気も、誠実さも、慈悲深さも。要するに、国の富を測るはずのGNPからは、わたしたちの生きがいのすべてが、すっぽり抜け落ちている」
 次期大統領と目されていたロバート・ケネディがこのように話した少し後、彼は兄同様に暗殺された。

 豊かさという幻想が、わたしたちの欲望という火に油を注ぎ、幸せどころか不幸や苦しみ、憎悪や嫉妬や犯罪の原因になってしまったりする。経済優先は「幻想」である。幻想からは幸福は得られない。
 先代国王妃が2004年に京都を訪れ、佛教大学で講演された。「人々を際限のない消費に駆り立てる近年の傾向に、仏教徒としてその倫理性を問わずにいられない」と述べている。終わることのない物欲を満たそうとする行為に、違和感を覚える一般のブータン国民は数多い。彼らは物欲には際限がないことを、よく知っている。「物欲を追求することによっては、決して満足感すなわち幸福感は得られない」と王妃は語った。日本でいう「足るを知る」であろうか。彼女のこの講演はつい先日に京都を訪れた息子、現国王訪日の7年前のことである。

 しかしブータンが多くの課題を抱えているのも事実である。同国南部に多いネパール系住民との不和そして不安定な治安の問題、10万人をこえるネパール系ブータン難民、医療施設の不足、乳幼児や高齢者の高い死亡率(平均寿命はブータン 66.1歳、日本 82.7歳、OECD平均 79歳)、慢性的な食糧不足、道路や電気などインフラの未整備、テレビ映像とインターネットがもたらす先進各国の物質的に高い生活水準情報による消費欲望刺激…。ブータンの幸福追求はまだまだこれからが正念場だともいわれている。
<2011年11月25日 上田晶子(大阪大学特任准教授)、辻信一(明治学院大学教授)、両氏の記述を参考引用しました>

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