ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

幸福 小休止

2012-11-25 | Weblog
 近ごろ、ブログ休筆宣言中のような状態になってしまいました。理由はいろいろあるのですが、ひとつは友人の自分史本の出版が近づき、最後の仕上げ作業に入ったためです。
 今日も打ち合わせに行って来ましたが、書名タイトルの決定も大問題です。語り手と聞き手のわたし、それともうひとりのご意見役。3人での話しあいですが、ご意見番は題名『飽きない 春夏冬』がいちばんいいという意見。この本のキーワードは「商」いですが、「秋がないのが面白い」。語り手は「それでは紅葉が可哀そうだ。いま京都にわんさか観光客が訪れていますが、秋のモミジがあればこその繁盛ですよ」。「いや、松下幸之助さんの物真似には断固反対する」。何の話しか途中から不明になってしまいました。
 こだわりの「商」の一字は裏表紙に大きく載せてはどうか。これはわたしの折衷案ですが、表紙は「飽き」ないで、秋のない「春夏冬」……。「本の表紙裏表で意味をなすのは面白いですよ」。しかし語り手は「紅葉が気落ちするのも寂しい」。結局のところタイトル決定は、次回の鳩首会談に持ち越すことになってしまいました。「あとがき」の文案も、ああでもないこうでもない。3人寄れば文殊の知恵のはずなのですが。

 それともうひとつ理由があります。京都伏見深草、黄檗山石峰寺は江戸時代の画家、伊藤若冲ゆかりの寺として知られています。還暦のころから入寂の85歳まで、若冲は晩年の4半世紀、この寺のために全力をそそぎました。住まいも門前に構え、境内は五百羅漢で埋めつくした釈尊一代記パノラマワールドが10年の歳月を費やして完成されました。いまはなくなっていますが、観音堂の格天井にはたくさんの花卉図が満天を飾っていました。若冲居士は同寺の墓地に、筆塚と五百羅漢に見守られながら眠っています。没年は西暦1800年、寛政12年のことでした。
 命日は9月10日ですが、石峰寺では毎年この日に若冲忌を開催しています。そして今秋の命日から、「石峰寺伊藤若冲顕彰会」が発会しました。目的は、五百羅漢と伊藤若冲そして石峰寺を学び理解し、貴重な国民的財産を保存ならびに後世に継承することです。
 顕彰会では年に数度、会報を発行するのですが、つい先日のこと石峰寺の阪田和尚が電話で「新年の会報第1号に若冲の詳しい年譜を掲載したい。ついては作成をお願いします」。年賀を兼ねての発行らしい。もう間もなく師走ですよ。締め切りは近いのです。また「詳細な年譜制作」という注文までついています……。暇人のはずのわたしですが、そんなわけで時間に追われ出しました。
「幸福」ブログは致し方なく小休止です。心づもりとしては、次回に「福沢諭吉と『学問のすゝめ』幸福論」を掲載したかったのですが。しばらくお預けです。

 ところで「若冲年譜」ですが、近世美術史研究者の友人から「ブログで勝手に公表しないように」と釘をさされました。理由は「興味深い詳細な年譜になるのですから、読みたい人には若冲顕彰会に入会してもらいましょう」。これまたたいへんなプレッシャーをかけられたものです。決してわたし程度の年譜で釣るわけではないのですが、ひとりでもたくさんの方が趣旨に賛同され入会してくださることを願っています。

 詳しくはホームページ公式サイト「石峰寺―京都伏見、黄檗宗百丈山 五百羅漢」をご覧のうえ、メールで入会をお申し込みください。年会費は三千円だったと思いますが、春秋開催の若冲特別展覧会(会場は同寺広間で会員限定)にも無料参加できます。当然、若冲忌にも特別優待。
http://www.sekihoji.com/event/y-y-4.html
<2012年11月25日>

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