ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

幸福雑記 (17) 福沢諭吉

2012-11-20 | Weblog
これまで延々と、「幸福」という字を、はじめて使った日本人はだれかをみてきました。判明したのは上田秋成『雨月物語』(1776年)がどうも初出であろうということ。読みは「こうふく」ではなく「さいわい」。また秋成の遺稿『胆大小心録』(1808/9)にも「幸福」が出ます。
 そして長崎オランダ通詞の本木庄左衛門が中心になり、幕命で作成した英学書『諳厄利亜興学小筌』(1811)に、「Fortune」訳「幸福」が載ります。そして英単語集『諳厄利亜国語林大成』(1814)では、「Fortune」と「Happiness」の訳に「幸福」が当てられ、読みはいずれも「さいわい」。しかし両書は幕府の命令でつくられた秘書で、江戸時代にこの本をみたのはごく限られたひとのみでした。

 そして「幸福」と記した三人目、江戸時代最後の第三の男は福澤諭吉のようです。慶応2年(1866)『西洋事情』初編卷之二。「Happiness」に「幸福」が当てられました。そしてこの直後、明治になると突然、「幸福」が辞書にあふれ出します。読みは「かうふく」。「こうふく<幸福>」の本格的誕生です。
 明治の二大ベストセラーは福沢諭吉『学問のすゝめ』(1872~)と中村正直『西国立志編』(1870)ですが、前著はこれまでに300万部以上が発行されました。ふたりはほかの著作もベストセラーになっています。たとえば福沢の『西洋事情』、中村の『自由之利』(1872)などです。これらすべての著作に「幸福」が登場します。
 幕末まで非常にマイナーな言葉だった「幸福」が、日本で一気に普及したのは、嚆矢の福沢諭吉と中村正直の著作からだといえそうです。ふたりは明治6年に結成した「明六社」のメンバーです。

 「明六社は、福沢諭吉、西周(あまね)、加藤弘之、森有礼、中村正直など、当時の代表的知識人を集め、集会を開き、『明六雑誌』を発行して西欧新思想の啓蒙に努めるなど、時代の最先端にある華々しい存在だった」(柳父章著『翻訳語成立事情』岩波新書)
 海外の言語や事情に精通した彼ら知識人たちが、外来語を訳語創作し、また旧来の漢語を利用しつつも意味を改変して行ったのです。

 ところで福沢はなぜ「Happiness」を「幸福」と訳したのでしょう。前に中浜万次郎のHAPPYをみてみましたが、福地桜痴が記したように、福沢の英米語師匠はジョンマンと森山栄之助でした。1859年、開港なった横浜に出かけた福沢は得意のオランダ語がさっぱり通じず、大ショックを受けます。26歳のこのとき、彼は英語学習を決意した。「夫れから以来は一切万事英語と覚語を極めた」
 長崎オランダ通詞だった森山栄之助多吉郎に弟子入りを申し込んだ福沢ですが、幕府役人をつとめる師匠は忙し過ぎた。『福翁自傳』を意訳します。
 
 森山多吉郎というひとが英語に通じているという噂を聞き、鉄砲洲から先生の水道町に出向いた。英語教授を頼み込むと「森山の云うに、昨今御用が多くて大変に忙しい。けれども折角習おうと云うならば教えて進ぜよう。ついては毎朝出勤前、朝早く来なさい」
 片道二里余を早朝に行くと、今日は呼び出しがあり、もう出勤しなければならない。翌日に行くと、来客のために会えない。
 「如何しても教えて呉れる暇がない。ソレは森山の不親切と云う譯ではない。絛約を結ぼうと云う時だからなかなか忙しくて實際に教える暇がありはしない」
 朝は時間がとれないので、晩に来てくれということになった。「所が此夜稽古も矢張り同じ事で、今晩は客がある、イヤ急に外國方(外務省)から呼びに來たから出て行かなければならぬと云うような譯けで、頓と仕方がない。凡そ其處に二月か三月通うたけれども、どうにも暇がない」

 森山宅に通う内に、福沢は「幸福」に出会ったはずである。森山は1848年に漂着したアメリカ人のラナウド・マクドナルドを教師に、半年間ほど米語学習に励んだ。教材は本木庄左衛門の『諳厄利亜』二書くらいしかなかった。そして両書には訳語「幸福」が載っている。
 毎日毎日肩すかしをくらった福沢に、「幸福」の載った英単語集を森山は筆写させたのは間違いない。そのテキストは本木の本を修正追加した「ラナウド版」、森山の手控えを元にした私家本の簡略版であったろうと、わたしは考えています。幕府の公許版は福沢ごときに見せることはできません。そのような行為は法令違反、御法度でした。
 宋代1060年刊の史書『新唐書』<幸福>-上田秋成―本木―森山・ラナウドー森山―福沢―中村正直――。この流れで字「幸福」は引き継がれていったであろうと推測します。本木庄左衛門は、上田秋成「雨月物語」を読んでいたという証拠なき確信から、そのように考えています。いうまでもなく、この伝播論はわたしの勝手な仮説です。

 最後に、アメリカ合衆国独立宣言(1776年)訳を、福沢諭吉『西洋事情』と現代語訳で、「幸福」の登場する2カ所をみてみます。

「千七百七十六年第七月四日亜米利加十三州獨立の檄文」……(西洋事情)
 天の人を生ずるは億兆皆同一轍にて、之に付與するに動かす可からざるの通義を以てす。卽ち其通義とは人の自ら生命を保し自由を求め幸福ぬを祈るの類にて、他より之を如何ともす可らざるものなり。……政府の處置、此趣旨に戻るときは、則ち之を変革し或は之を倒して、更に此大趣旨に基き、人の安全幸福を保つべき新政府を立るも亦人民の通義なり。是れ余輩の辦論を俟たずして明了なるべし。……(岩波書店『福澤諭吉全集第1巻』※祈・変は旧字)

「一七七六年七月四日、コングレスにおいて一三のアメリカ連合諸邦の全員一致の宣言」……(現代語訳)
 われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる。……そしていかなる政治の形体といえども、もしこれらの目的を毀損するものとなった場合には、人民はそれを改廃し、かれらの安全と幸福とをもたらすべしとみとめられる主義を基礎とし、また権限の機構をもつ、新たな政府を組織する権利を有することを信ずる。……(岩波文庫『人権宣言集』)

 原文では「生命、自由および幸福の追求」 Life , Liberty, and the Pursuit of Happiness.
 「かれらの安全と幸福」 their Safety and Happiness.

 前にも書きましたが、日本国憲法(1946)も独立宣言を流用しています。第13条です。
 「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
<2012年11月20日 南浦邦仁>
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