ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

幸福雑記 (16) 明治の漢和辞典

2012-11-15 | Weblog
現代の辞典事典にみる語「幸福」を前回に載せました。なお事典は解説が長いので抄録にしています。興味ある方はぜひ原文を読んでいただきたいと思っています。結構おもしろい読物です。
 興味のおもむくままに幸福街道を乱進しているこのブログですが、シリーズ題名がそぐわなくなってきました。今回から「幸福雑記」に変更します。ただ通番は残します。

 近ごろ明治期の漢語字典、現代でいう漢和辞典ですが、あれこれと字「幸福」を調べてみました。まず驚くのが、膨大な点数の辞典が出版されていることです。明治の半世紀ほどの間に、おそらく数百点の漢語字典が出たであろうと思います。古書店の相場をみましても、明治2年刊『漢語字類』5000円。明治3年『新撰字類』4000円、『増補新令字解』2500円。5年刊『新撰字解』2500円。どれも二足三文のような価格です。数多くの部数が出版され、また現代では読もうというひとが極端に減っているのでしょうね。
 なぜ明治期にこれほど多くの漢語字典が発行されたのか? ひとつには身分制が解体し、国民はみな努力や勉学次第で成功できるという風潮でしょう。大ベストセラーの中村正直著『西国立志編』が象徴的です。「天は自ら助くる者を助く」で有名な成功伝集(明治4年刊)。漢字の学習は成功のための前提条件でした。この本にも「幸福サイハヒ」が登場します。「名声及ビ幸福ヲ得タル」「不幸ヲ転ジテ幸福ト為スベシ」

 それから新語の乱造でしょう。偶然本日11月15日は坂本龍馬受難の日ですが、自由国民社『現代用語の基礎知識2013年版』の発売日です。かつてわたしはスマートフォンの意味がわかりませんでした。「どこがスリムで細身なのか?」。同書旧版をみましたら「賢いケータイ」の意味で、「高機能携帯電話端末」とあり納得しました。現代では外来新語は和製漢語に置き換えず、スマホのようにカタカナ表記されます。しかし明治期、舶来新語は漢字で翻訳されました。文明開化の嵐のなか、どんどん量産される和製漢語を理解するためにも、新しい漢和辞典が必要だったのです。どれもこれもが現代用語字典だったといえます。もちろん旧語も載っていますが。

 明治期の漢語字典を百冊近く調べてみましたら、「幸福」がゴールドラッシュのごとく登場しました。読みはすべて「かうふく」すなわち「こうふく」。意味は金太郎飴で「しあわせ」か「さいわい」ばかりですが、現代漢和辞典をみても同様です。熟語の字が読めて簡単な意味がわかればよい、というのが漢和辞典編集の伝統のようです。
 ところで調査の方法ですが、ひとつは国立国会図書館のデジタル化資料です。実に便利な「電子端末遠隔古書検索閲覧奉仕制度?」ですが、意外と所蔵されていない古書が多い。古書店で安く手に入る資料が多いのですから、蔵書の充実を望みます。また館に出向かないとデジタル閲覧できないという表示は、なぜ?と不思議です。すでにデジタル化されているのですから、電子網ネットで公開しても問題はないように思います。
 それと参考にしたのが大空社『明治期漢語辞書大系』。全136巻の刊行予定が現在、既刊36卷で中断しています。国会図書館にない本も多数収録予定ですので、これも続刊完成を期待します。

 確認できた語「幸福」収録字典は下記の40冊ほどですが、「しあわせ」表記と「さいわい」の記載とほぼ半々です。興味深いのは「いいしあわせ」「ねがうさいわい」です。幸せには、いい仕合も悪い仕合もあるという本来の言葉の名残りでしょうね。また「幸福」が中国で例外的に記された最初、『新唐書』にはじめて記されたようですが、「幸」は「ねがう」であって、幸福は「福を願う」。「ねがうさいわい」という明治9年の福寿信編『開化節用集』は正確な辞書です。
 それともう一点気付いたのが、「幸然」カウゼンを「サイハヒ」とし「幸福」を「シアハセ」と書き分けている字典も多かったことも感動的でした。幸然のみを載せて、幸福がみあたらない字典もありました。準新語「幸福」誕生は、辞典編集者を混乱させたようです。

 さてなぜ明治2年以降になって、これほど豊穣に語「幸福」が頻出するのか? 幕末まではほとんどみることのなかった幸福字です。結論をいえば、福沢諭吉『西洋事情』の慶応2年(1866)刊行です。福沢の使ったhapiness翻訳語「幸福」が明治早々からのラッシュになったといえそうです。福沢のことは次回かその次で記そうと思っています。
 以下は明治期漢語字典の「幸福」記述です。

1869年(明治2年)『漢語字類』 字「幸」 読み「カウフク」 意味「シアワセ」
1870年(3)『新撰字類』 意味:シアハセ
『増補新令字解』 シアハセ
『漢語便覧』 シアハセ
『掌中早字引集・布令日誌必用』 サイハヒ
1872年(5)『新撰字解』 シアハセ
1873年(6)『世界節用無尽蔵』しあわせ
 『漢語類苑大成』 シアワセ
1874年(7)『新撰字解』シアハセ
 『漢語字解』 シアワセ
 『大増補漢語解大全』 サイハヒ
 『訳書字解・漢語新選』 シアハセ
 『増補新撰字類』 しあはせ
1875年(8)『大全漢語字彙』 シアハセ
『普通漢語字引大全・布令新聞新撰校正』 シアハセ
1876年(9)『小学読物熟字解』 さいはひ・イイシアハセ
 『開化節用集・音画両引』 ネガフサイハヒ・サヒハヒ
 『万通字類大全』 シアハセ
1877年(10)『漢語日用弁』 シアハセ
 『御布令新聞漢語必要文明いろは字引』 サイワイ
1878年(11)『布令必用普通漢語解・掌中両引』 サイハヒ
1879年(12)『新撰伊呂波字引』 サイハイ
 『必携熟字集』 サイハヒ
1880年(13)『布令新聞日誌必用新撰校正普通漢語字引大全』 シアハセ
1881年(14)『漢語字引集』 シアハセ
1882年(15)『明治いろは字引大全』 サイハヒ
1884年(17)『新撰漢語字引大全』 シアハセ
 『新撰普通漢語字引大全』 サイハヒ
1887年(20)『漢語新画引大全』 サイハヒ
 『漢語いろは字典』 サイワイ
1888年(21)『新撰漢語字引』 シアハセ
 『新撰漢語字引』 シアハセ
1889年(22)『広益漢語伊呂波字引』 ヨキサイワイ
1892年(25)『漢語大字典・熟字伊呂波引』 サイワイ
1894年(27)『新撰漢語字引・改訂音訓』 シアハセ
1896年(29)『明治漢語字典』 シアハセ
1904年(37)『新編漢語辞林』 サイハヒ
1906年(39)『作文新辞典・漢語国語』 しあはせ。さいはひ。
<2012年11月15日 南浦邦仁>
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