ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

字「幸福」の誕生 (14) 中浜万次郎

2012-11-05 | Weblog
 福沢諭吉(1835~1901)が亡くなったとき、福地桜痴源一郎(1841~1906)が追悼文「旧友福沢諭吉君を哭す」を寄せました。明治34年のことです。抜粋意訳します。
 「福沢君はかつて大阪で緒方洪庵塾に入って蘭学を修め、学成りて江戸に来たり、中津藩奥平邸に寓し、英語を中浜万次郎に学んだ。当時江戸では英書を読むものは森山栄之助先生、英語を話すものは中浜翁のふたリだけであった」。福地は毎日のように、遠く離れた森山と中浜宅に通い、英語を学んだ。福沢も短期間ではあったが、森山宅にも通っている。

 中浜万次郎(1827~1898)、アメリカ名ジョン・マン。土佐中ノ浜に生まれた漁師の子倅である。数え14歳になったばかりの天保12年正月5日(1841)、はじめて沖に出たカツオ漁で海難にあう。船は7日7夜漂流し、先輩仲間4人とともに太平洋をさまよった。そして漂着したのは無人の孤島、アホウドリで有名な鳥島です。
 島に流れ着いて4ヶ月の後、彼らはアメリカの捕鯨船に救助される。ウィリアム・ホイットフィールド船長率いるジョン・ハウランド号。万次郎のジョン名はこの船にちなみます。長い航海のあいだ、ジョン・マンは好奇心と向学心から言葉を習い、船中作業も期待以上にこなし、船長からも信頼されるひとかどの船員に成長します。
 あくまで帰国を望む仲間たちとハワイで別れ、ジョンはマサチューセッツ州ニューベッドフォードのフェアヘブンに向かいます。ホイットフィールド船長の家庭に温かく迎えられ、彼は家族からはまるで実の子のように扱われました。船長は、広大な「海で拾ってきた、それこそ黒人まがいの少年」に、人間は対等で平等であると教えた。
 まず地元の小学校に通います。土佐では寺子屋に行ったこともない貧民の万次郎がはじめて受けた教育は英語だったのです。1年ほどで卒業した後、航海専門学校で高等数学・測量術・航海術を修了しました。
 国を離れて10年後の1851年、万次郎は帰国を決意します。船長一家に別れを告げ、ハワイ、グアム経由で琉球に着きます。土佐の凡庸な漁師だった少年が、幕府直参旗本として、通訳に航海術に、海外事情の教師として徳川幕府と各藩や国民に対しました。ペリー来航の前後の時期、唯一達者な英語を話せるのが万次郎ひとりだけだった。万次郎は偉大な貢献をこの国のために開拓者として残しました。

 ジョン・マン著の有名な英会話教本が残っています。『英米対話捷径』(しょうけい)安政6年(1859)刊ですが、1カ所に HAPPY が載っています。わたしの大好きな英和文です。「ハペ」が幸福や幸い、幸せではなく、「よろこぶ」なのが好きです。

 I am happy to see you to good health.
 アイ アム ハペ ツ シー ユー イン グーリ ヘルス
 わたくし おまんの よき 得意(うまきこと)に おけるを みる ことを よろこぶ


 再度の捕鯨業でグアムに寄港した万次郎がフェアヘブンに残った恩人、ホイットフィールド船長にあてて投函した手紙が残っています。ジョン・マンの英語力は飛躍的に成長しました。日本に近づいた万次郎ですが、これまでホイットフィールド船長らとともに、大西洋そしてインド洋、たびたびの太平洋と世界中を巡ってきました。彼は日本の置かれた状況をだれよりも理解していた。「捕鯨船が寄港できるように開港の努力をします」と船長に便りしている。捕鯨船には薪水と食糧の補給が重大事だったからです。万次郎は帰国のあかつきには、開港・開国に尽力するのが自分の使命であると確信していました。
 なお英文の手紙ですので本人による日本語訳はありません。乾隆氏訳で一部を転載します。

 Hope most sincerely that these few lines will find you and your friends enjoying the health and happiness.
 (この数行をお読みいただいている貴方様が、そしてお友達が、お元気でお幸せであることを心より望んでおります。)

 万延元年(1860)、咸臨丸で大平洋を横断した万次郎は、帰路ハワイに寄港したとき、東海岸フェアヘブンに手紙を送りました。かつての教師役だったJane Allen の姉Charityにあてた返信です。サンフランシスコに上陸した日本人一行の中に万次郎がおるのがアメリカの新聞に載った。アレンたちが記事を見、ハワイの友人経由で帰国する万次郎に手紙を送った。その返信です。上記同様に乾隆訳『ジョン万次郎の英会話』Jリサーチ出版・2010年からの引用です。
 なお福沢諭吉も咸臨丸に乗船しており、サンフランシスコではふたり連れだって、ウェブスター辞書を求めて本屋に向かいました。その本屋は二重に驚いた。未開の国から来た異人ふたりが「Webster's Dictionary」を買いたいという。またジョン・マンの話す英語は完璧だった。地元紙は「excellent English!」だったと書きました。以下はCharityあて、万次郎のハワイからの手紙抜粋です。
 
 I take pen with pleasure this day to inform you that I am in good health and spirits, and hope most sincerely that these few lines will find you and all your friends enjoying health and happiness.
 (今日自分が元気であることをお伝えするため喜びと共にペンをとっております。そして貴女様とお友達がご壮健でご多幸でいらっしゃることを衷心より願っております。)

 よく似た文ですが、ふたつの手紙には「enjoying health and happiness」が登場します。「壮健と多幸を喜ぶ」のがどうも中浜万次郎のサイワイのようです。元気とよき仕合を喜ぶことが、ジョン・マンの幸福なのでしょう。
<2012年11月5日>

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