ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

藩と方言

2011-11-18 | Weblog
方言について、津村喬さんの興味深い記述に出会いました。
 「江戸時代には藩ごとに庶民の話す言葉は違っていた。全国的なマスコミがなかったから当然のことだし、一生自分の土地から離れない人も多かったから、ほかの地域の人と意思を通じるのは簡単ではなかった」
 放浪の旅芸人や遊行僧たちは、言葉よりも芸、経文や念仏によって、ある種の普遍言語でもって脱領域的に行動した。
 藩ごとの方言を大事に護ろうとした隠された背景には、幕府のスパイが入ってきたら、すぐにわかるようにという動機もあった。「とくに薩摩藩は、いつか徳川体制を転覆しようという明確な意図があったから、薩摩弁を手厚く保護した」
 幕末の志士たちは藩閥を越えて交流団結したわけだが、この異なる言語のためコミュニケーションには苦労した。しかし彼らには共通の教養があった。「それは“謡”である。仕方なく謡曲の節に合わせて御一新について語り合った、という笑い話のような話がある」
 そして維新後、「標準語」がつくられていく。明治40年代には国家官僚によって「国語」に押し上げられ、ひとつの強制装置になった。かつて「沖縄の学校で方言を一言でも口にした子は口から札をかけられて立たされた」
 津村喬著『健身気功入門』(P165~)の記載です。気功の本ですが、さまざまのエピソードにも触れた興味深い新著です。春秋社刊。

 いま読んでいる最中ですが、『訣別―大前研一の新・国家戦略論』にも藩の記載がありました。「いまだに残る幕藩体制」。これも新刊で朝日新聞出版刊。
 「日本が訣別すべき過去は三つある。一つは江戸時代の幕藩体制からの訣別である」
 たとえば東北をみると、自治体こそ集約されて東北6県になっているが、秋田県には2空港、山形県にもふたつ、青森県には津軽藩に青森空港、南部藩には三沢空港と、幕藩体制そのままに同一県にふたつの空港が設置されている。
 「それでいて東北には世界に飛び立てるハブ(拠点)空港は一つもない。つまりヘソがないまま四〇〇年前のメンタリティー(精神構造)で自己主張を繰り返しているだけである」
 福岡県など北部九州をみても、便利な福岡空港があるのに、北九州市や佐賀ほかに空港ができるのは、筑前、肥前、豊前という枠組みが根強く残っているからなのだ」。
 全国98空港のうち、需要予測を実績値が上回るのは8空港しかない。熊本、長崎、庄内、岡山、那覇、旭川、名古屋、羽田である。
 また各自治体は、いまも参勤交代を繰り返している。中央省庁への陳情である。

 わたしたちは同郷意識でもって、不必要なあるいは、なくても我慢できる施設や箱モノにこだわり過ぎたのではないか。大切な長期の展望や、郷村をこえた広域の発想を置き忘れて来たのではないか。
 たとえば図書館行政でも思う。わたしの住まいは京都市西京区だが、隣りの向日市や長岡京市、亀岡市の図書館に行っても、市が異なるので本を貸してくれない。住民税を納める市民だけへのサービスの一環という理屈で、他市の市民は館内閲覧しかできない。なぜ隣町村、近くの市民を排除するのか? 開放されれば、人口の少ない行政町村には図書館がなくてもいいと思う。住居から遠く離れた場所に貧弱な館をつくるくらいなら、自転車で行けるほどの距離にある隣りの市町の図書館の貸出利用をオープンにしてくだされば十分である。

 ところで気功の津村喬さんですが、12月3日土曜夕刻にお招きして話を聞く会を開きます。テーマは「蘇東坡」。会場は京都市中京区の中国料理店。お問い合わせは、
 (日が過ぎましたので、連絡先を消去しました。11月26日 事務局)
<2011年11月18日 南浦邦仁>
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