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ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

津波の歴史 2 「大津波記念碑」

2011-04-18 | Weblog
 大津波に呑みこまれながらも助かった、岩手県大船渡の方へのインタビューを記します。放心状態の男性にテレビ局の記者が「ご家族は?」
 「わかんねぇ。水中に飲み込まれたときは、左手と右手で女房と子どもの手を握っていたんだが……離れ離れになってしまって……」<後藤正治「週刊ポスト」4月1日号> むごい。あまりの非業に言葉を失います。

 「千年に一度の巨大地震と大津波」と今回の大災をいう方が数多くありますが、果たしてそうでしょうか。「だから想定外」でしょうか。
 津波史連載の前回でもみましたが、千百余年も昔の貞観11(869)年「三陸地震津波」を持ち出すのは、間違いのもとだと思います。その後、何度も何度も三陸太平洋岸は大津波に襲われてきました。
 観測記録が残る百余年の津波史をみても、明治29(1896)年「明治三陸地震津波」、昭和8(1933)年「昭和三陸地震津波」、いずれも波高は20mを超えていました。
 また6mの波高記録ですが、昭和35(1960)年「チリ地震津波」も起きました。6mなど低いように錯覚しがちですが、成人身長の3倍以上です。巨大な津波です。
 三陸沿岸部の古老たち、昭和初年以前に生まれた方が言い聞かす諺に「ひとは人生の内で二度、大きな津波に襲われる」。80余歳を過ぎたひとたちは、昭和8年と昭和35年、そして平成23年(2011)3月11日、実に3度も大津波の被害を受けたのです。

 東北大災で記録された各地の津波の高さをみてみます。なお<※>は、陸地をさかのぼって到達した遡上高です。数字はメートル。

 青森県 八戸市     8.6m
 岩手県 宮古市    16.0
       ※姉吉    38.9
       ※田老     37.9
      釜石市       9.0 
      釜石湾口    30   
      大船渡市      9.5 
       ※綾里     23.6
 宮城県  気仙沼大島  16 
女川町    18.3
      女川原発   14.0    (想定波高 9.1 主要建物は海面より14.8)
      仙台塩釜港  14.4
名取市     9
      石巻市     15.4
      平潟港      8.2
 福島県 相馬市      6.8
      福島第1原発  14~15   (想定波高5.7 主要建物は同10)
      福島第2原発  6.5~14   (想定波高5.2 主要施設は同12 14は非常時電源に届かず)
 千葉県 旭市       7.6 

 つぎに各地の震度をみてみます。ところで、マグニチュードという専門用語もひとり歩きしているように思えて仕方ありません。M 9.0という数字はとてつもない規模なのでしょうが、距離が遠くなれば震度は減ります。3月11日、京都の大地も少しですが揺れました。何人かから「目まいかと思いました」。わたしは同時刻に滋賀県におりましたが、目まいもしませんでした。
 まったくの素人判断ですが、東電のいう「想定外」の判断には、海進の高さと揺れ度から考えればよいのではないか、そのように思っています。なおプラスは強、マイナスは弱です。

 岩手県  釜石市  6-
       大船渡市 6-
       気仙沼市 6-
 宮城県  栗原市  7 (内陸部ですが、最高震度にもかかわらず、死者行方不明者は皆無です)
       仙台市  6+ (宮城野区)
 福島県  いわき市 6-
 茨城県  日立市  6+

 福島両原発での震度は、おそらく6±>であろうと推測します。
 かつて阪神淡路大震災のとき、わたしの住む京都市の西京区大原野大枝あたりでも震度は<6±>でした。南北に走る活断層の西山断層が原因です。揺れは大きかったのですが、被害は決して大騒ぎするほどではなかった。

 ところで、宮古市重茂半島の姉吉地区はこれまで度々、大津波に襲われています。今回も遡上高38.9㍍という観測史上最高の数字を記録しました。かつて昭和8年の海進では、生存者がわずか二人。同地には石碑が残されています。刻文を現代語に改めてみました。<上西勇・月刊「中央公論」5月号>

「大津浪記念碑」
 高き住居は
 子孫への和楽
 思え 災禍の大津浪
 ここより下に
 家を建てるな
 明治29年にも
 昭和8年にも
 津浪はここまで来て
 は全滅し
 生存者わずか二人
 後に余人のみ幾年
 経るとも要心何従

<2011年4月18日>
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