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★【再掲】
「「戦陣訓」追記し再申請 検定審「指針」で1社 (12/9 9:55)
【東京】高校歴史教科書の「集団自決」(強制集団死)検定問題で、訂正申請を出した教科書出版社6社に対し、教科用図書検定調査審議会が「集団自決」の背景にある複合的要素を詳しく記述するよう求める「指針」を示した件で、1社が軍人や住民に対し捕虜となることを禁じた「戦陣訓」を追記し、再申請する方針であることが分かった。
「戦陣訓」は1941年1月に東條英機陸軍大臣が全陸軍に通達した訓諭。この中で「生きて虜囚の辱めを受けず」として、軍人が捕虜となることを禁じた。沖縄戦において「戦陣訓」は住民にも浸透していた。戦前の皇民化教育や沖縄守備軍・第32軍の「軍官民共生共死」方針とともに、「集団自決」を引き起こした要因とされている。
教科書各社は検定審議会の「指針」を踏まえ、皇民化教育や軍から住民にもたらされた米軍に対する恐怖心などを新たに盛り込む形で訂正申請を出し直す方向で検討を進めている。
今後、再申請された訂正内容について、教科書各社と文科省教科書調査官との細かい調整が行われるものとみられるが、文科省は直接的な「命令」「強制」に関する断定的記述には難色を示していることから「軍の強制性」が教科書記述に明示できるかは微妙だ。
(琉球新報 12/9 9:55)
◇
先日、テレビドラマで松本清張の「点と線」を見た。
若い頃小説で読んだが、時代があまりにも変りすぎて、特にアリバイ崩しが売り物の小説をテレビドラマ化することの難しさを感じた。
「点と線」というタイトルは、点と点を結ぶと線になり、線が交差すると面になるが、松本清張は点と言う事実をつなぎ合わせてそこから導き出される刑事の推理の象徴として「点と線」という当時としても秀逸なタイトルを思いついたものと推測する。
「歴史事実」という一つの「点」を、解釈の余地を残さない一つのセグメントの事だと解釈すると、「歴史事実」を線でつなぎ合わせて、面を造り、そして「歴史認識」が生まれる。
「歴史認識」とは「歴史事実」を積み上げた「歴史に対する解釈」あるいは「事実と事実を結びつける解釈」だと考えられる。
当然、「解釈」には理解も有れば誤解もありうるし、中国の歴史認識と日本の歴史認識が違っても不思議ではない。
>「戦陣訓」は1941年1月に東條英機陸軍大臣が全陸軍に通達した訓諭。
1941年に東条英機が「戦陣訓」を陸軍に通達したことは、紛れも無い「歴史事実」であり歴史上の「点」である。
これに対して、「戦陣訓は兵隊に周知徹底されていた」と思い込んでしまうのが、「歴史認識」でしばしば後世の人の「誤解」を呼ぶ。
ところが、この「誤解」に更なる「誤解」が重なると、「戦陣訓は沖縄では兵隊のみならず民間住民にも周知徹底されていた」という大きな歴史の過ちに陥っていく。
そして、「誤解した歴史認識」を更なる誤解によって複数接続すると、「戦死者があんなに多く出たのは、戦陣訓のせいだ」とか、「集団自決は戦陣訓のせいだ」という“物語”が出来上がって来る。
*
◆「恥ずかしながら生きて帰りました」
終戦を知らずグアム島で28年間潜んでいた日本兵横井正一軍曹が日本に着いた時の第一声がこの言葉だった。
この言葉はその年の流行語にもなった。
「恥ずかしながら」という言葉は国民に向って発せられたが、深層心理学的に言うとグアムで戦死した戦友たちへ向っての「恥ずかしさ」と「申し訳なさ」だった推察出来る。
◆その2年後、今度はフィリピン・ルバング島から小野田寛郎少尉が30年振りに帰国した。
小野田少尉が天皇陛下との面談も断って彼が真っ先に行った行動は、
靖国神社への参拝であり戦死した部下・戦友の墓参りだった。
横井氏のような流行語は発しなかったが小野田も靖国参拝の時や、戦友の墓参りの時の心境は、同じく「恥ずかしながら」と「申し訳ない」の心境だったろうと想像できる。
◆「ビルマの竪琴」という映画を見た。
大戦末期のビルマ。ビルマからタイへ逃れようとしていた井上部隊は、 そこで戦争の終結を知り、 イギリス軍に降伏し、 捕虜収容所へと送られることになる。
疲れきった隊員達の心を唯一慰めるのは、 水島上等兵の奏でる美しい竪琴の音色。そんな中、 未だに徹底抗戦を続ける友軍を説得する任務を水島が任されることになった。
しかし、 彼の説得は受け入れられず、 友軍部隊は全滅する。
1人生き残った水島はおめおめと原隊に戻る事が出来ず、そのまま姿を消してしまう。
やがて収容所に着いた井上隊は、 そこで水島とよく似た僧侶に出会う。
「水島、一緒に日本に帰ろう」と柵の中から呼びかける戦友達の声に寂しそうに顔をそむけて立ち去る僧衣の水島の姿が印象的だった。
彼は、 戦死した日本軍の霊を慰めるため故国への帰還を拒絶してビルマに残ったのだ。
彼が帰国を拒否してビルマに残った心境は何だったのか。
投降説得に失敗して友軍を全滅させてしまい、ただ1人生き残ってしまったことだった。
そう、「恥ずかしながら」生き残ってしまったのだ。
◆横井軍曹や小野田少尉そして水島上等兵は「仲間」が全滅し自分だけが生き残ったことに「恥ずかしながら」或いは「申し訳ない」という心境だったと推測できる。
だが、彼らが一つだけ救われるのは「仲間」が全滅したのは、敵であるアメリカ軍の攻撃による戦死だったことである。
ところが「全滅」から生き残りながらも救われない人々がいた。
◆沖縄慶良間島の「集団自決」を生き残った人達である。
彼らの「仲間」は敵米軍の攻撃による戦死ではなく、お互いの手で親兄弟、或いは知人縁者を「全滅」させたのだ。
「恥ずかしながら」や「申し訳ない」では済まされない、
「贖罪意識」を胸に秘めて戦後を生き抜かねばなら無かった。
例え戦時中で敵に取り囲まれ無差別攻撃を受けたパニック状態の出来事だとは言え、
自分の手にかかって「全滅」した「自決者」のことを考えると、理由はともあれ「集団自決体験者が「贖罪意識」に駆られるの当然のことだろう。
「集団自決体験者」の「贖罪意識」に巧妙に入り込んだのが左翼学者集団の「反日思想」である。
「残虐非道の日本軍」という左翼の扇動に集団自決の生き残りの人々が引き込まれていくのは自然の成り行きであり、結果として「軍の命令説」が形作られていく。
「体験者達」は「軍の命令で仕方なく」親兄弟、知人縁者を手にかけたと主張することで、心の奥に潜む「贖罪意識」は少しは緩和されたのだろう。
これに「援護法」の適用の問題が絡み、更に問題を複雑にしていく。
◇
横井さんが帰国した時、マスコミは「恥ずかしながら生きて帰った」と言う発言に対し、それまであまり聞かれなかった戦陣訓という「点」と「横井さんの帰還」という点を強引に線で結んで一つの「面」を創造し報道した。
それは「生きて虜囚の辱を受けず」の精神に横井は縛られていたかのような報道だった。
ところが、自らも陸軍にいた司馬遼太郎氏は戦陣訓について、
「戦陣訓という訓令があるとは知っていたが、どんな内容であるかは全く知らなかった。その程度のものだった」と、
自らが理解できない出来事(横井氏の帰還)に明確な原因と結果を求めたがるマスコミの姿勢を批判した。
同じく陸軍経験のある山本七平氏も戦陣訓については次のように明言し、戦陣訓の影響は戦争を知らない戦後の人々の後知恵であると喝破している。
<たとえば横井さんが出て来たとき、すぐにその原因は戦陣訓ということになり、私自身も取材を受けたが、私は戦陣訓など読んだことはないし、部隊で奉読されたこともないと言っても、その人は信用しない。私は自己の体験を語り、その人は戦後生まれで軍隊を知らないのに信用しない。>(「私の日本軍」より)
陸軍経験のある多くの作家が戦陣訓について、司馬遼太郎氏と同じようなことを書き残しているが、安岡章太郎氏は前記山本氏を補足して次のように解説している。
≪ 戦陣訓に戻っていえば、私自身も一年半の軍隊生活で戦陣訓を強制的に講義されたりしたことは一度もない。それは軍隊内で、いわば体よく無視されていたと言えるだろう。
しかるに現代のマスコミは、なぜ戦陣訓を重視したがるのか?それは山本氏も言うように、戦陣訓は実は当時のマスコミにかつぎ上げられてマスコミの中だけで拡まっていたものであり、それは現代のマスコミにも体質的に通い合うものがあるからではないか。」≫
◇
◆「沖縄慶良間島の集団自決は軍の命令或いは強制によるものだ」と、主張する勢力は、これまでの論争の中で「軍命があった」という客観的証拠や、証言が無いと分かると戦術を変更し、「軍命の有無は問題ではない」と論点をすり替え始めた。
その論点すり替えの論拠が、
「軍官民共生共死」、「皇民科教育」、そして「戦陣訓」という三つキーワードであった。
ところが今回文科省が出したとされる指針によると、
「日本軍だけが住民に「集団自決」を強制したと読み取れる表現を事実上、禁じている。 一方で「集団自決」が自発的な死ではなく、住民が「『集団自決』せざるを得ない状況に追い込まれた」ことは認め、その「背景・要因」を詳細に記述するよう促している。」(「軍だけが強制」禁止/文科省指針 全容判明 )
つまり、文科省指針は、これまで「軍命あり派」が「命令、強制」の根拠にしていた「軍官民共生共死」や「皇民化教育」といった左翼用語を使用しても(背景・要因)、日本軍だけが「集団自決」を強制したと読み取れる表現を禁じたのだ。
「軍命あり派」にとっては表現上非常に困難な立場に追い込まれたことになる。
これが町村官房長官や渡海文科大臣が繰り返してきた「工夫と努力と知恵」の見せ所だというのだろう。
>沖縄戦において「戦陣訓」は住民にも浸透していた。
沖縄在住の戦史研究家・奥茂治氏は「沖縄では戦時中といえども戦陣訓の『生きて虜囚の云々』は殆ど知られていなかった」と証言している。
「生きて虜囚の・・・」が初めて沖縄で知られるようになったのは、
昭和19年頃沖縄で放映された戦意高揚のニュース映画のアナウンサーの声で、初めてそんなものがあるのだと知られるようになったと言う。
そういえば、物故した筆者の父も生前、晩酌等などで御機嫌の時、戦時中に「教育勅語」を暗記した例は話していたが「戦陣訓」の話を聞かされた記憶は無い。
◇
戦陣訓の「生きて虜囚の・・・」が亡霊のように甦ってきたのは戦後30年近くたって日本国民を驚かした横井さんや小野田さんの帰還により、主として朝日新聞を筆頭にした左翼マスコミによって作り上げられた「誤解」である。
そしてひとたびマスコミを通じて一人歩きを始めた「誤解」は、一つの「歴史認識」として左翼学者の「歴史解釈」に多大な影響を与えた。
それが後戻り出来ないのは陸軍体験者山本七平氏の次の言葉が全てを表している。
「(取材を受けて)私は戦陣訓など読んだことはないし、部隊で奉読されたこともないと言っても、その人は信用しない。私は自己の体験を語り、その人は戦後生まれで軍隊を知らないのに信用しない。」
沖縄でも戦陣訓の「生きて虜囚の・・・」が頻繁にマスコミに出てくるようになったのは左翼学者が主張する「日本軍の残虐さ」を議論し始めた戦後かなり経過してからである。(これについては稿を改めて書いて見たい)
左翼学者は横井さんや小野田さんの例と同じく、
「歴史事実」である「集団自決」(点)と「戦陣訓」(点)の間を強引に線で結び、「沖縄戦において戦陣訓は住民にも浸透していた」という戦後の誤った解釈で次の結論をひねり出した。
「軍命による集団自決」、
つまり「歴史の誤解」をでっち上げたのである。
「付記」
戦陣訓の本訓その二 第八「名を惜しむ」項
恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。
【意味】
「恥を知る者は強いものだ。ふるさとの親類や家族の対面を考えて、(軍規に反して略奪や暴行などを行い)(憲兵に)捉えられてて収監されたり、死んでまでも罪人として扱われるような行動をしてはならない。」
【追記】2008年4月21日
「虜囚」は囚人であり、犯罪者の意味を持つ。
「俘虜」は捕虜の意味を持つが犯罪者の意味はない。
虜囚と俘虜という似た意味を持つ言葉を等式で結び、「犯罪を犯すな」、と「捕虜になるな」とを同じ意味に捉えるのは捏造である、と下記ブログで論証しています。
確かに、「生きて虜囚・・・」と言っても「生きて俘虜・・・」とは言っては居ない。
戦陣訓虜囚の辱の意味戦陣訓本意囚人を捕虜と63年間捏造(つまみ食い)報道
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情報ありがとうございます。
戦陣訓に何か問題があるのでしょうかね。
戦陣訓がそんなに住民に浸透していたとしたら誰が広めたのか?
マスコミはいつも自分たちの(都合の)悪い事はひた隠しですね。
私は企業の一エンジニアです。
製品や生産工程に不良が発生したとき
徹底的に原因を分析します。
そうでないと不良は繰り返します。
沖縄問題を考えたとき歴史の根本が、真実に基づいていない。
だから何時までも同じ間違いを繰り返すし、人材の育成も
ままならない。企業でいえばとっくに倒産です。
国からの潤沢な補助金で、辛うじて生き延びていますが
本土でも赤字の自冶体は多くあります。
何時までも沖縄が優遇されるとは思いません。
反日に執念を燃やす沖縄の左翼団体は、沖縄を
滅ぼすつもりでしょうか。
本人達は大まじめですが、外から観ると非常に危ういですね。
今日の記事、拝読致しました。戦陣訓の紹介、ありがとうございます。私の思いこみも杞憂に過ぎず安心しました。もうとっくに戦陣訓については語られていたのですね。失礼しました。
本を探し出して書き込んだのですが、安岡章太郎のものが無く、安岡章太郎の名を出そうかどうか迷っていました。が今日の記事を見て安堵しました。大桝大尉の件、あれは変換が遅れたものと推察しています(笑)。
しかし、あのNHKのテレビ番組を見ても、軍命令があったとはとうてい考えられませんね。
当時の空気がなせる業だとはいえ、その積を一人梅澤隊長になすり付けるとは卑怯も甚だしい。ましてや島民のためにあえて汚名、罪過を着た梅澤隊長だけにその仕打ちは恩を仇で返すというようなものではない。人間の尊厳を踏みにじるものです。梅澤隊長からすれば死んでも死にきれないでしょう。
それではまた。
後程、このコメントの削除をお願いします。