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文科副大臣「120点」 検定意見撤回実行委の要請を拒否 (1/16 9:56)
<【東京】沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」検定問題で、検定意見の撤回を求める県民大会実行委員会の仲里利信委員長(県議会議長)ら代表は15日午後、文部科学省に池坊保子副大臣を訪ね、検定意見の撤回と歴史教科書に「日本軍による強制」を明記するよう求めた。(略)
冒頭、池坊副大臣は「県民の気持ちを真摯(しんし)に受け止め、本当に誠実に取り組んできた。皆さんはそれ以降どういうふうに思っているのか話を聞きたい」と話した。>
要請では、玉寄哲永県子ども会育成連絡協議会会長、小渡ハル子県婦人連合会会長、平良長政幹事(県議)がそれぞれ沖縄戦の体験談を話した。>
◇
■「三顧の礼」も度が過ぎると・・。■
「仏の顔も三度まで」ともいうが、仲里利信県民大会実行委員長と玉寄哲永、小渡ハル子両副委員長の「三人組は」今度の政府への要請行動は同じ四度目の上京である。
「教科書検定意見撤回要請」を同じように四度も突きつけたことになる。
この三人組、断られても断られても繰り返せば目的を達せられる、と勘違いしているようだ。
こちらの誠意を伝える場合は「三顧の礼」もあり得るだろうが、
度を超すと「四顧の無礼」になるのではないか。
「三人組」の共通項は、三人とも沖縄戦の体験者で地元新聞に夫々衝撃的な沖縄戦の体験記を発表していることである。
だが、もう一つの共通点もある。
それは、三人とも沖縄戦の体験者ではあっても、
慶良間島の「集団自決」の体験者ではないということである。
■仲里→「毒おにぎり証言■
①1仲里委員長は、当初仲井真県知事を担ぎ上げようとしたがこれに失敗すると、県議会が決議をした関係で否応なし?に実行委員長に祭り上げられた。
だが,仲里議長を一躍有名にしたのは「毒入りおにぎり」の証言であろう。 ⇒毒おむすび渡された 県議会議長、沖縄戦体験を語る
極度の食料不足でソテツの毒を抜いて食料にしていた時期に、
「毒入りおにぎり」を子どもに勧める残忍な日本兵の話は、
あまりにも衝撃的で日本全国は勿論、
海を超えてかのニューヨークタイムズにまで報道された。↓
■玉寄→軍刀によるおじや強奪、換わりに手りゅう弾■ |
②玉寄哲永副委員長は、県子ども会育成連絡協議会会長という肩書と年齢(73歳)から勝手に想像そうするとご子ども好きの隠居さんが、子ども達の世話でもしているとの印象だが、テレビ画面で見ると髪の毛を後ろでちょんまげ風に束ね、激しく政府を糾弾するアジを飛ばす姿はとても隠居老人の印象ではない。
ちなみに「沖縄県子ども会育成連絡協議会」は「子育ての環境を作る支援」が本来の業務のはずの県の外郭団体で、その会長がこのように政治運動に走ることは問題のはず。
この方の記事は連日地元紙をにぎわうが、経歴に関しては筆者は寡聞にして知らない。
だが、10月9日の四国新聞3面・時の人の紹介によると、玉寄哲永(73)沖縄県民大会呼びかけ人 戦後地元新聞記者、女性団体の広報担当から沖縄県こども会育成連絡協議会会長を30年、・・・だという。 戦後地元新聞記者、女性団体の広報担当、・・・なるほど臭ってきた。
玉寄氏は単なる子ども好きの隠居老人ではなく、「子ども会育成」と」言うより「プロ市民」というのが相応しいようだ。
玉寄氏は琉球新報の特集<史実封殺>③で次のように証言している。
<母親が子供のために取っておいた最後のおじやを、軍刀を振り上げ要求した日本兵。
避難のため父親らが一晩かけて掘った穴を自分たちが使うから出て行けと言った日本兵。
「貴様らこれを使え」と手りゅう弾を手渡す日本兵。
十一歳当時のことだが、玉寄さんの目には今もはっきり焼きついている。>
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同じ小さな島で起きた証言も語る人によって「事実」が異なる。
「なべ底のおじやを、軍刀で強奪する日本兵」は、当時の食料不足から判断して、一歩譲って理解したとしても、
別の証言者が、その貴重な食料の「おむすびに毒を入れて泣く子に食わそうとする日本兵」との証言を信じるのは困難だ。(毒おむすび渡された 県議会議長、沖縄戦体験を語る )
>「貴様らこれを使え」と手りゅう弾を手渡す日本兵。
ここでも日本兵が民間人に手りゅう弾をいとも簡単に手渡す証言だが、実は係争中の「沖縄集団自決冤罪訴訟」の被告側が、
「軍命令があった」とする唯一の証拠が「手りゅう弾が民間人の手に渡った」という事実である。
日本兵から手りゅう弾を手渡された多くの住民が生き残って証言している事実と「軍命」の矛盾をこのお方は気がついていない。
軍命違反は銃殺ものだし、何よりもご本人は生き延びておられるではないか。
殆どの日本兵は故郷に家族を残して沖縄に着任してきた平凡な父であり、兄であったはずだ。
それが、マスコミのイデオロギー報道に毒されて、新聞に報道される日本兵は悪鬼のように扱われるような証言で埋められるようになった。
連日、新聞に登場する「証言者」は口を揃えて日本軍の“悪事”糾弾の証言をしている。
これら証言者たちに言わせれば沖縄守備隊(32軍)116,400人の兵士たちは犯罪者集団か鬼畜集団だったことになる。
■小渡→メチル禍の惨劇、家族分断■
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「迷惑三人組」でもあります。