狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

NHKの責任は?、偽ベートーベンにお墨付き

2014-03-10 07:30:01 | 県知事選

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 琉球新報が大浜候補の援護射撃のつもりで行った陸自の石垣市への配備という飛ばし記事で、破廉恥ペンギン前市長は、反日極左政治家としての本性が表れ、当初の自衛隊に関する「あいまい戦術」を急遽転向し、自衛隊配備反対を前面に打ち出した。

だが尖閣危機を目の当たりにして、石垣市民の良識が大浜候補を4000票の大差で歴史上2番目の敗北に追い込んだ。

琉球新報の飛ばし記事は結果的に大浜候補を直撃するブーメランとなったのだ。

自衛隊の石垣市の配備には好意的な中山市長の再選を祝賀するように八重山出身の若き防人が10人も自衛隊に採用された。

市長選で大敗した直後に八重山の若者が10人も自衛隊に採用された慶事は大浜氏にとってまさに脳天に鉄槌の出来事。

これで大浜氏の復権を目指した応援団の「ゾンビ集団」もあきらめて、元の墓地へ舞い戻ることだろう。

「ゾンビ集団」が彷徨い始め「ゾンビの会」を結成したのは一昨年の玉津石垣市教育長による教育改革が契機だったと記憶する。

今回の石垣市長選で完膚なきまで打ちのめされたので、彷徨えるゾンビの群れは復活の夢破れ今度こそ墓石の下で安眠できるだろう。

10人の壮途祝う 採用予定者を激励 自衛隊 (八重山日報 3月9日)

 
激励会に出席した自衛隊採用予定者たち(8日午前)
激励会に出席した自衛隊採用予定者たち(8日午前)

 自衛隊採用予定者激励会(主催・八重山防衛協会、八重山支部自衛隊父兄会、八重山支部隊友会)が8日、石垣市内のホテルで開かれ、八重山出身の10人の壮途を祝った。
 八重山防衛協会の三木巌会長は「自衛隊でたくさんの仲間を作り、国の安全保障のために頑張ってほしい」とあいさつ。中山義隆市長、砂川利勝県議、松村智秀沖縄地方協力本部副本部長ら関係者が祝辞を述べた。八重山支部自衛隊父兄会の上原忠会長の音頭で乾杯した。
 小野寺五典防衛相らの激励メッセージがビデオ放映された。採用予定者を代表して玉城勇樹さんが謝辞を述べた

                                        ☆

佐村河内氏 「感音性難聴」で「聴覚障害者には該当しない」(スポニチ 3月7日)

会見前に配布された障害者手帳を交付した横浜市の求めで受けた聴力の再検査の診断書によれば「感音性難聴」と記され「身体障害者福祉法に基づく聴覚障害者には該当しない」とされていた。
診断書によれば、聴力は右が48・8dB、左が51・3dBで、語音による検査では、最良語音明瞭度は右が71%、左29%と記されていた。


                       ☆

金曜日の偽ベートーベンこと佐村河内氏の会見を見て、大方の視聴者は「やっぱり」と思ったことだろう。

会場に詰め掛けたマスコミを相手の謝罪会見は途中から自己弁護の会見に変わり、ゴーストライター新垣死の聴力に関する発言は全て嘘であり、新垣氏を名誉毀損で訴えると言い出したのには驚いた。

手話を通じての質疑応答のはずが、記者の質問にすぐ返答する場面が何度もあり、会場から「聞こえるじゃないか」という意味の失笑が何度もあった。 

だが、佐村河内氏に「全聾の天才作曲家」というお墨付きを与えたのNHKの責任を追及するシーンは見られなかった。

NHKの責任については、次の記事が最後に付け足し程度に書いているのみ。

 

佐村河内氏に音楽関係者ため息「新垣さんを訴えるとは…」2014.03.09

 


佐村河内守氏会見  謝罪会見を行う佐村河内氏 =7日午前、東京都港区(矢島康弘撮影)【拡大】

 「耳の聞こえない作曲家」として知られながら18年にわたり別人に作曲を依頼していた、佐村河内(さむらごうち)守氏(50)の謝罪会見から一夜明けた8日、同氏のCDを出荷するレコード会社などは、週明けから本格的な対応を検討すると明かした。

 日本コロムビアでは、155分間に及んだ7日の会見をテレビなどで確認。ある関係者は「(代作した)新垣隆さんを訴えるとのコメントには正直、がくぜんとした」とため息を漏らした。佐村河内氏は損害賠償について「訴えられたら払います」と表明したが、同社では「今のところ本人から連絡はなく、今後は内定している佐村河内氏の弁護士とやりとりする」と説明。楽譜などを出版する「東京ハッスルコピー」も「週明けから対応を考えたい」と話した。

 一方、佐村河内氏を特集した「NHKスペシャル」を放送した同局では、番組関係者の事情聴取を継続。関係者は「彼は会見で『ディレクターをだまして過剰に演出した』と話した。現時点ではその言葉どおりに受け取るだけ」と語った。

                          ☆

テレビディアと新聞などの活字メディアとの違いは、両者とも「言論の自由」は主張する点では同じでも、公共の電波を使用するという点でテレビは新聞と違い電波法の遵守を義務付けられている。

テレビ業界ではおれまで、ドキュメンタリー番組と称しながら「やらせ」をした捏造番組が常識として通用してきた。

テレビ各局はドキュメンタリー番組の「やらせ」は電波法に抵触すると承知しながら「やらせ」が横行するのは、監督官庁のマスコミに対する甘さと、業界内にはびこる「赤信号皆で渡れば・・・」のなぁなぁ気分が順法精神を麻痺させていた。

手話通訳者を待機させての2時間足らずの謝罪会見で、耳が聞こえる証拠をボロボロ露呈させ、何度も失笑を買ったというのに、天下のNHKが一年間に渡密着取材をしておきながら、「偽ベートーベンを見抜けなかった」とのひと言で免責してよいものだろうか。

折りしもNHK会長や幹部が「不適切発言」(筆者は適切だと思うのだが)の追求で、野党側はNHK幹部は監督省庁から「電波法の遵守」という言質を何度もとっている。

ならば、今回音楽の専門家を多数有するNHKが本当に偽ベートーベンの正体を見抜けなかったのか、当時の担当者を第三者委員会でも作って徹底的に検証するべきである。

そして偽ベートーベン事件を契機に電波法の遵守を徹底させるべきである。

捏造記事や捏造番組ではお互いに脛に傷を持つ仲間意識の強いマスコミが「現代のベートーベン」をオーソライズしたNHKの責任大きい。

だがマスコミ各社がNHK糾弾に腰が引けているのに対し、テレビ局に勤務の経験もある水島宏明氏がNHKの責任に迫っているので紹介する。

 

 

 

 

 

 

冒頭だけ聞こうと思って見始めたニコニコ生放送の中継に引き込まれ、最後まで視聴した。

彼が犯した「社会的な罪」をわきにおいて、この会見を冷静に眺めて気がついたことがある。

この人物の「自己プロデュース力」はやはり並々ならぬものだということだ。

まず、長い髪をばっさり切り、サングラスも外して、以前の「いかにも芸術家風の風貌」とはまったく「別人」の「ごく普通の謝罪する男」に生まれ変わった姿で報道陣の前に登場したことだ。

あまりの印象の変わりように記者たちがどよめくなかで会見が始まった瞬間から、会見は佐村河内氏のペースで進んだように見えた。

記者たちが厳しい質問で攻めたてても、「実直そうに見える」佐村河内氏は全体的には真面目な口調で回答を繰り返し、2時間半、「実直そうに見える」表情を崩すことはほとんどなかった。

これほど自分が他人の目にどう映るかを計算しつしたように「自分」を演じられる人間はかなり特殊だと言える。

会見を聞いていると、かつてテレビに登場し、その時代の視聴者たちがその言葉の裏に一末の疑念を抱きつつも関心をかきたてられ、テレビに釘付けにさせられた人間だちの顔が浮かんできた。

ロス疑惑での故三浦和義氏、オウム事件での上祐史浩氏など・・・。

佐村河内氏の会見で披露した「語り」はかつての時代を象徴した「人物」像に匹敵するほど、人間という存在の奥の深さを私たちに見せつけた。

佐村河内守という人間は、善悪は別にして、今の時代を象徴する「人物」になったということが言える。

さて、2時間40分にも及んだ記者会見は、彼とゴーストライター新垣隆氏との関係の詳細など多岐にわたった。

私が唯一関心を持っていたのが、彼がこれまで出演したドキュメンタリー番組の制作者たちとの「関係」や「取材のあり方」についてだ。

制作者たちは彼が「作曲家」を演じていたことを知っていたのかどうか。「重い聴覚障害者」を演じていたことを知っていたのかどうか。

原爆で命や健康を失った人たち。大震災で命を落とした人たち。その遺族。

それらの人たちへの「共感」や「鎮魂」を音楽の力で果たそうとする「求道者」を演じていたことを知っていたのかどうか。

知らなかったとしても「おかしい」と感じる瞬間はなかったのかどうか。

そういう疑念よりも、佐村河内氏の作り出す「物語」を強くアピールすることの方にばかり注意が回ってしまう構図がなかったのかどうか、ということだ。

様々なテレビドキュメンタリーで彼は、「杖をつきながら岩場の海岸を杖をついてよろよろと歩いて」いたり、「家の中を這いずって動いて」いたり、思うような着想が浮かばず「いらだちのあまり壁に頭をぶつけて」いたりしている。

「全聾の天才作曲家」のイメージに合うように、サングラスをかけ、手に包帯をし、杖をついて歩いている。

佐村河内氏は記者会見で「すべて自分のせい」で「制作者たちをだましてきた」という表現をした。

「(自分による)過剰演出だった」「制作者は悪くない」とも。

佐村河内氏が登場したのはNHKスペシャル「魂の旋律~音を失った作曲家~」を始め、「ゆうどきネット」「あさイチ」「ニュースウォッチ9」などの番組群。民放もフジ「めざましテレビ」、TBS「金スマ」など。

どれもその才能を激賞し、障害を背負った人間ゆえの共感力で、被爆者や大震災の遺族などと「魂の交流」を果たすという物語を量産し「サムラゴウチ神話」づくりに加担した。

後で、あれは「過剰演出」でしたと言われると、いろいろなシーンが滑稽に見えてくる。

頭を壁にガンガンぶつける場面、わざわざ歩きにくい海辺の岩場を杖ついて歩く場面、苦痛のあまり部屋の中を這って歩く場面など、カメラマンが一体どうやって撮影したのだろうか。岩場を歩く、というシーンの撮影でテレビ局側が「海辺を歩いてほしい」とお願いしたことなどがなかったのか、あくまで佐村河内氏がそこを(杖なのに)歩きたいと言い出したのか、など、1つ1つのシーンの撮影にいろいろな疑問が浮かんでくる。

佐村河内氏の言うように、彼がテレビ局をだましていたという言葉が真実だとしても、テレビ局の側は「なぜだまされたのか」「なぜ」気がつかなかったのか」「なぜ彼の自己プロデュースを手助けする結果を引き起こしたのか」はそれぞれ、検証する責任があると思う。

現時点での私の感想は、佐村河内氏をウソをテレビが見抜けなかった背景は、現在のテレビ取材の「現状」に深くかかわっている、ということだ。

なぜ、天下のNHKスペシャルを始め、揃いも揃って、だまされてしまったのか。

「障害を持つ天才が苦しみを背負う人々を音楽で癒す」というストーリーがテレビにとって理想形の"感動物語"だったからだろう。

これ以上ないという感動物語だったからこそ、誰も疑わなかった。

問題のありかをじっくり伝えるドキュメンタリーにさえも安易な「物語性」を要求するような、そんな風潮が制作現場にはある。

だが「物語」を求める必要がどこまであるのかという点を問い直す必要がある。

また、テレビ制作者は、自分のネタや素材をより貴重な番組、より重大な社会問題、より視聴者に訴えるべき問題などとして付加価値をつけようとするのが業務上の性でもある。誰しも自分のネタをより魅力的な形で放送したいという欲求がある。良い番組枠で。多くの人に見てもらえる放送時間で。もっと長い放送時間で、と。

こうした背景が「ひょっとしたら偽物?」という目を曇らせ、各番組をあげての「サムラゴウチ神話への加担」に拍車をかけていなかったのか?と振り返るプロセスが必要だ。

NHKスペシャルについて言うと、佐村河内氏が「曲」を産み出す苦悩を撮影しようとしたものの結局、断られたという説明が入って、曲が生まれる瞬間は撮影されていない。

週刊文春の記事によると、撮影していない間に新垣氏からの新譜が密かに届けられ、翌日、「曲ができた」として披露される。

NHKの取材班は肝心の「作曲」の場面を撮影せずに引き下がったのだ。これが妥当だったのだろうか。

作曲家のドキュメンタリーで「作曲」の場面はいわば番組の「核心」だ。

一番のキモになる場面だ。 

キモが撮れていなければ、番組の放送を見送る必要さえ出てくる。

キモを撮影しないで取材を終えながら、なぜ放送するという決定が下されたのか。

そこは検証すべき、最大のポイントだと思う。

一般的にドキュメンタリーの制作現場で先輩が若手社員に教える「注意点」がある。

「良い話」「良い物語」「感動的な話」は、どんなに自分が入れこんでも、そのまま「プラスばかり」で描くな。


どんなに素晴らしい主人公でも葛藤があり、人間的にダメなところもある。

「プラスばかり」で描いてしまうと、結果的にウソっぽい、表面的な作品になる。

その人物の「マイナス」部分、欠点や悩み、苦しみもちゃんと描いてこそ、初めて人物の輪郭が描ける。

だから、「マイナス」もちゃんと描け。

それができないと、その人物の魅力や功績が視聴者に伝わらず、取材に応じてくれた相手にも失礼な結果になる。

 

これは、制作者が取材対象を盲信し、あがめてしまうようなスタンスになると、ロクな作品にならない、というドキュメンタリー現場の経験則だ。取材経験の少ない、比較的若い制作者は一般的に、相手を盲信し、あがめるような作品づくりをしてしまいがちだ。

だからこそ「全聾の天才作曲家」の佐村河内守氏のドキュメンタリーを作るにあたっては、そうした視点はどうだったのかが問われる。

制作者が、本人の「マイナス」の場面、作曲の苦悩の場面を放棄したということは、実は致命的な問題だ。

この作品をドキュメンタリー番組、つまり、少なくとも事実を記録した番組、という前提で放送するうえでも、本来は不可欠なはずの要素が欠落したままで放送するに至ったことはなぜなのか。

それは視聴者にちゃんと分かるように説明してほしい。

佐村河内氏が記者会見をしたからといって、これで問題が終わりになるわけではない。

本人がどこまで真実を語っているのかは分からない。

本人に事情聴取できるようになったわけだから、各テレビ局は詳細な検証がこれから可能になってくる。

これから各テレビ局や各番組は、それぞれの番組の取材の交渉から撮影、編集にいたるプロセスを明らかにするべきだ。

できるだけ詳しく、後から検証可能な形で、検証番組や検証報告書を作り、発表すべきだ。

「物語」や「感動」を欲する制作者たちの薄っぺらさ。それは視聴者の薄っぺらさにつながっている。それをどうするべきかが問われている。

'''
佐村河内問題に、このままフタをしてしまうのか。'''
'''
各番組で検証するのか。'''

テレビ局はBPO(放送倫理・番組向上寄稿)が問題視しない限り、局内での検証を熱心にやらない傾向がある。

あるテレビ局の幹部が佐村河内問題の発覚後、こう言っていた。

「結果的にすべての局がだまれたのだから、自分の局だけじゃない。たいした問題にならずに済んでホッとした」

これは違う。

すべての局がだまされたのだから、「たいした問題」なのだ。

なぜ、だまされたのか。

細かく検証しないとまた同じことが起きる。

その時には、すべての局などではなく、「おたくの局」だけがやり玉に上がるかもしれないのだ。

佐村河内氏のドキュメンタリーを制作したすべてのテレビ局が検証番組や検証報告書を作成し、視聴者の前に公開するべきだと思う。

コトはテレビが自力で信頼回復できるかという大きな問題にもつながっている。

ゆめゆめ「本人による過剰演出でした」「私たちはだまされただけです」などという逃げ口上を許してはならない。


(2014年3月8日「Yahoo!個人」より転載)

 

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3 コメント

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Unknown (東子)
2014-03-10 08:29:52
>天下のNHKが一年間に渡密着取材をしておきながら、「偽ベートーベンを見抜けなかった」とのひと言で免責してよいものだろうか。

お涙頂戴が、共感を呼ぶと思っている。
弱者、障害者を優先させることが進歩派の人間、人権派の人間と思っている。
彼のような障害者を装う者が出るのは、そのほうがうま味があるということだろう。
私のオーケストラの楽団員をしている友達は、「もう5、6年前から彼の耳が聞こえている」のは公然の秘密だったと教えてくれた。
「誰も猫の首に鈴をつけなかっただけ」と。
だから、NHKで特集があっと時、「驚いた」とも言っていた。

NHKが彼を取り上げるからには、音楽の専門の番組ももっているNHKだから音楽スタッフはごまんといたでしょうに、そういう情報を掴んでいないことが不思議だ。
娯楽番組と音楽の専門番組と系統が違うから互いの交流はなかったというのか?
「一年間の渡密着取材をしておきながら」見抜けなかったというなら、放送局としての取材能力に疑問がでる。
NHKの労組は籾井会長の不偏不党を問題にしている。
NHKが不偏不党を実行するには、偽情報を見破る能力が要る。
わかりやすい籾井会長を糾弾するのに、能力は要らない。
隠れた真実を探し出すのが、マスコミの使命ではないか。
NHKは「猫の首に鈴をつけなかっただけ」でなく、積極的に彼の聾を宣伝した。
こんな放送局に不偏不党を言われても、鼻先で哂ってしまう。


人間、誰しも完璧でない。
組織だって、そうだ。
大切なのは、なぜ間違ったかを検証できる勇気と仕組みをもっているかどうかだ。
「河野談話」の検証も、そういうこと。
「河野談話」を検証することを否定する人々がいるが、それは「自分は間違えない」と言っているのと同じということに気づいているだろうか。
Unknown (Unknown)
2014-03-10 10:01:07
>「私たちはだまされただけです」

北朝鮮が拉致を白状したときそれまで北を礼賛してきた社民党や極左知識人もそう言ってたな。

NHKはお涙頂戴感動ストーリーが企画の段階で決まるといくら現場サイドでおかしいと思っても変更は出来ないって、辞めた奴が言っていた。
Unknown (ナタリー)
2014-03-10 14:30:23
沖縄タイムス販売店が発行している、ほんわかタイムスというミニコミ紙が月一回配達されてくる。3月号では、一型糖尿病を患いながら、3人の子を出産し、子育てにがんばっている女性が紹介されていた。

こちらは、ニセ聾者とは違って、いい話だ。

タイムス本紙も、欺瞞、反日、媚中、売国のオンパレードではなく、こういう記事をもっと載せてほしいね。

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