狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「同じ土俵」に立つか 大江氏の論点は?◆朝日社説

2007-11-09 12:13:37 | ★集団自決

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沖縄タイムス 連載「11・9「集団自決」訴訟尋問」(1)  
 
(11月5日朝刊社会面)
(1)隊長命令の有無・旧軍復権狙い提訴/「名誉回復」透ける思惑

 (略) 沖縄戦時の慶良間諸島における住民の「集団自決(強制集団死)」で、住民に命令を出したと書物に書かれて、旧日本軍の元戦隊長らが「すさまじい人格的な非難」を受け続けているという。被告はノーベル賞作家の大江健三郎さんと、著作「沖縄ノート」などを出版している岩波書店。

 「沖縄戦の問題は日本人として大変に重要で、世に語り継いでいかなければなりません。しかしながら、そういう重大な歴史を決定付ける事実がないがしろにされてきた。沖縄戦をめぐる戦後の言論空間を見直したい」

 訴訟の最大の争点は、戦隊長が住民に直接「集団自決」を命じた事実があるかどうかだという。代理人や支援者の中には「靖国応援団」を自称する人たちの姿も。元戦隊長ら個人の名誉回復を強調する背後に、皇軍復権の狙いがちらつく。

 軍による命令や強制と戦隊長命令とを明確に区別する論理に、沖縄平和ネットワークの津多則光・沖国大非常勤講師は、沖縄戦の実相をとらえる上でナンセンスと話す。

 住民に対する日本軍の加害行為だった住民虐殺や食料強奪、壕追い出しを含め、軍や戦隊長による「集団自決」への命令・強制はもともとあったと指摘。戦隊長は部隊の最高責任者として、それを止めずに行使したかどうかだととらえる。

 岩波側の支援者の一人は「隊長命令が重要ではないと強調するほど『結局、隊長による個別の命令はない』という原告の主張を勢いづかせる。どう支援すればいいのか初めは距離感がつかめなかった」と振り返る。

 津多さんは「それでも隊長命令が争点と言うなら放っておけない。同じ土俵に上がって勝負をつけ、こちらの土俵に引っ張り込まねば」。提訴から二年余、被告と同じ立場で原告側の主張に分析を重ね続けている。(略)

                     ◇ 

2005年8月の提訴から二年三ヶ月、今日の本人尋問で訴訟は愈々大詰を迎える。

当初出廷を拒否したといわれる被告大江健三郎氏も証人喚問という形で原告梅沢元隊長本人、そして元赤松隊長の実弟と法廷で対決をする。

ある意味では裁判の当事者である沖縄タイムスは、

今日の裁判を山場と見たのか、11月5日より連載で

「11・9「集団自決」訴訟尋問」を掲載し始めた。

当事者なら止むを得ない得ないだろうが、

記事内容は「被告側応援記事」に徹している。

これまで主張してきた、

「軍命の有無は問題でない」(林教授)

「軍官民共生共死一体化」(宮城晴美氏証言)

「軍命なしに集団自決はありえない」(金城重明氏証言)

といった抽象論では不利と見たのか作戦を変更を迫られているようだ。


>隊長命令が重要ではないと強調するほど『結局、隊長による個別の命令はない』という原告の主張を勢いづかせる。どう支援すればいいのか初めは距離感がつかめなかった」

>それでも隊長命令が争点と言うなら放っておけない。同じ土俵に上がって勝負をつけ、こちらの土俵に引っ張り込まねば」

いつまでも「論点ずらし」を続けても、

法廷という「論理の場」では被告が不利になることに今頃気がついたのだろうか。

早めに「同じ土俵」に上がって、論理で戦って欲しいものだ。

被告側支援団体の山口剛史琉球大学準教授も、

「同じ土俵」に気がついたのか、次のように述べている。

隊長の直接命令の有無という原告側が敷いた土俵に大江氏が乗るかどうか。 大江氏がどう準備しているかも注目だ。(琉球新報 11月9日)

                                             ◇

「集団自決裁判」では沖縄タイムスと共に当事者と言える朝日新聞(『鉄の暴風』の初版を発行)が大江氏出廷の日に「集団自決」辛味の社説を書いた。

だが、記事内容は大江健三郎氏の出廷については一言も触れず教科書検定に終始している。

そう、朝日新聞はこの裁判では既に敵前逃亡をしている。

朝日の敵前逃亡 沖縄の「集団自決」 

スルーしようかとも思ったが一応付き合っておこう。

それにしても粗雑な論旨だ。

朝日新聞 社説 2007年11月9日

集団自決検定―審議会も問われている

 沖縄戦の「集団自決」をめぐる教科書の検定で、教科書会社が「日本軍の強制」を復活させる訂正申請を文部科学省に出した。文科省は検定調査審議会に諮って年内に結論を出すという。

 問題の発端は、今春の検定で「集団自決は軍に強いられた」という趣旨の記述が軒並み削られたことだ。訂正を申請した各社の執筆者らによると、新たな記述は、多少表現を変えてはいるものの、元の記述と同じ趣旨を盛り込んだという。

 私たちはこれまで社説で、検定を撤回すべきだと主張してきた。文科省は従来、「日本軍の強制」を認めてきた。それを覆さなければならないような理由が見当たらないからだ。

 文科省は、軍の命令を否定する証言が新たに出てきたと言う。

 しかし、軍の強制を証言する住民は現に数多くいる執筆者らは「すべての集団自決に軍の強制があった」と書いているわけではない。それにもかかわらず、「軍の強制」という表現をすべて削らせたのは乱暴極まりない。

 検定は、文科省職員である教科書調査官が「調査意見書」をつくり、それをもとに審議会が結論を出す仕組みだ。

 文科省は今回、検定の撤回には応じず、教科書会社に訂正申請を出してもらい、改めて審議会にかける道をとった。

 本来は検定を撤回するのが筋だが、せめて審議会はきちんと間違いを認め、記述を元に戻させなければならない。

 それにしても不可解なのは、なぜ審議会が「軍の強制」を消し去る調査意見書をそのまま通したのか、ということだ。調査官の姿勢はもちろん問題だが、その意見書について特に異論がなかったというのだから、驚いてしまう。

 審議会は学者や専門家で構成されている。教科書の記述が現在の研究実績から外れていないか論議する。今回のように文科省側から問題のある意見書が出てきた場合はブレーキ役となる。それが審議会に求められる役割だろう。

 いまの審議会には沖縄戦の研究者はいないという。しかし、それは意見書を黙認した言い訳にはなるまい。訂正申請の審議では、沖縄戦の専門家から意見を聞くという。なぜ、最初からそれができなかったのか。

 気になるのは検定当時の政治状況である。「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍政権という時代の空気が、歴史の見直しというかたちで、文科省だけでなく、お目付け役の審議会にも影を落としていなかったか。

 とんでもない検定がまかり通ったことについて、文科省だけでなく、審議会もいきさつを明らかにする責任がある。

 渡海文科相は審議会のあり方について再検討すべきだと言い、「もう少し透明性を上げる必要はある」と述べた。

 検定の公正さを保つ機関というのなら、どんな論議をしたのかをきちんと公表していくのは当然のことだ。

                    ◇

>しかし、軍の強制を証言する住民は現に数多くいる

確かに悲惨な「集団自決」の証言者はいる。

だが「軍の強制」を客観的に証言する住民は1人もいない。

証言もしていないのに沖縄タイムスが「隊長が舌を噛み切って死ね」と言ったという誤報を流し、それを9月30日の社説にそのまま引用したのは朝日ではなかったのか。朝日の“捏造記事”タライ回し  沖縄タイムスが“捏造写真”

それに教科書会社の記述訂正申請も「伝聞による証言」と但し書きをつけたのも朝日ではなかったのか。

教科書執筆者が自爆テロ! 朝日も認める「軍命は伝聞」 

依然として現在のところ「軍の強制」を客観的に証言する住民は1人もいない。

>執筆者らは「すべての集団自決に軍の強制があった」と書いているわけではない。それにもかかわらず、「軍の強制」という表現をすべて削らせたのは乱暴極まりない。

だから、「誤解を受ける表現」に相当するのではないか。

教科書にわざわざ誤解を受ける記述をすれば、左翼教師がこれを根拠にどんなデタラメな思想を生徒に吹き込むかは明らかだろう。

教科書に誤解を受ける記述は不要である。

>せめて審議会はきちんと間違いを認め、記述を元に戻させなければならない。

審議会はこれまでの記述の間違いを認めたからこそ、検定意見通り記述変更したわけであり、これを元の間違いに戻す必要はない。

>その意見書について特に異論がなかったというのだから、驚いてしまう。

正当な意見書だから異論がないのは当然で、

当然の行為に驚く朝日の社説にこそ驚いてしまう。

この社説、事情を良く知らない人が書いたのじゃないの。

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