『第2次世界大戦の激戦地となったフィリピンで収集された約1万5000柱の遺骨が行き場を失い、厚生労働省が庁舎内で保管を続けている。日本人戦没者以外の遺骨が混ざっている疑いが浮上し、戦没者が眠る墓苑に納骨できないためだ。
厚労省が入る東京都千代田区の中央合同庁舎5号館。入り口に課名などが掲げられず、普段は施錠された部屋が5階にある。海外から持ち帰った遺骨を置く「霊安室」。フィリピンで2008~10年度に収集した1万5219柱の遺骨が並ぶ。
フィリピンでの遺骨収集をめぐり、厚労省は09年度から情報収集をNPO法人に委託したが、10年に日本人以外の遺骨が混入している疑いが浮上。同省は11年、子どもや女性、年代の違う遺骨が一部含まれていたとする検証結果をまとめ、収集も中断した。
身元不明の遺骨は毎年5月、千鳥ケ淵の戦没者墓苑に納められる。フィリピンから持ち帰った遺骨のうち約4500柱も墓苑に安置されたが、問題発覚を受け、11年に再び霊安室へ戻された。
これらの遺骨は焼骨されており、DNA鑑定は不可能という。厚労省幹部は「保管を続け、日本人か判別できる技術を待ちたい」と話すが、今のところ確立した技術はなく、安息の場所が定まる見通しは立っていない。
フィリピンでは約51万8000人が戦死し、約37万人の遺骨が未帰還となっている。厚労省は収集の再開に向け、フィリピン政府と遺骨の鑑定方法などを盛り込んだ覚書の年内締結を目指し、協議を続けている。 時事通信(2015/05/25-12:55)
私の亡き父の弟は、旧大日本帝国陸軍の砲兵隊上等兵で、二度目の召集令状で本人は戦地に行きたく無いと言った通り昭和20年7月25日にアメリカ軍の砲弾に当たり、フィリピン・レイテ島で戦死しました。白木の箱には、遺骨は入っていず関西で言う「はくせんこう」、落雁が入っていたそうです。以前戦争体験も楽しい思い出になると言った兵庫県の英語専門家もいますが、その父親も戦争の実戦経験が有りません。自分の子供や孫戦死したり、戦争で大怪我をし身体障害者になって帰って来れば、痛みも理解できるでしょうね。7年間最前戦で闘い家がを師生死を彷徨った亡き父は、そういう人間が戦争に行けばよく分かると生前言っていました。戦争は、ゲームでも遊びでも有りません。平和呆けしている日本人もう一度苦しくて悲惨な戦争を実体験しないと目が覚めず、激戦地に行かなくて良く、戦前戦死者もいなかった日本の政治家です。徴兵制実施を今や声高く叫ぶ今日の与野党の政治家が、存在しているおかしな平和国家の今の日本です。
厚生労働省は、臨時遺骨安置室になっていますが、日本国の為に戦い長年戦地に放置した英霊を粗末にしたつけ、国の責任では有りませんか。戦後70年間じかで、年を取られた遺族は、ほとんどが草葉の下で、家に帰れぬ英霊のみなさま方に日本国民として最期の最敬礼です。
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