ドイツの若者に、権力の行為者である政治家の職業倫理を説く 第1回
先にマックス・ウエーバー著/尾高邦雄訳 「職業としての学問」(岩波文庫)を読んだ。本書「職業としての政治」も同じ1919年1月にミュンヘンにおいて学生を相手に書店で行なった講演会の一つである。前者の講演会「職業としての学問」が1月16日に行われ、後者の講演会「職業としての政治」は1月28日に行われた。聴講者はドイツ革命の気分に興奮している学生約150人程度であったという。マックス・ウエーバーはここでも学生に厳しい現実を突きつけている。「あせるな、目の前の仕事を遂行せよ」と説教を垂れている。「職業としての学問」の方が学生相手の講演会としての適当な内容であるが、本書の「職業としての政治」は一転してよく準備された政治史の論文の構造をもつ充実した内容である。しかし政治家と倫理という油と水の関係にある複雑な構成を講演会形式で果たして理解できるのかという疑問が湧くのは私だけだろうか。文章形式としてじっくり読まないと本当の理解レベルに達しないような内容である。まさに2つの講演会の出来には雲泥の差がある。マックス・ウエーバーの講演会の狙いは本書にあって、「職業としての学問」は前座程度にやったのではないだろうか。
1919年1月といえば、第1次世界大戦がドイツの敗北で終り、カイザー制が倒れドイツ全土が騒然たる革命の只中にあった時期である。ウエーバーは政治的には熱烈な国家主義者・ナショナリストで、共産主義革命運動に反対もしくは侮蔑していた。ウエーバーにとって祖国の敗北はショックであったろうが、それ以上に残念だったのは臥薪嘗胆を忘れ、反動的に「血腥い謝肉祭」の革命騒ぎに陶酔している1部の学生や知識人の姿である。ここミュンヘンは「知識人革命」の色彩の濃い「レーテ運動」の中心であった。さてウエーバーは、政治の本質的属性は「権力」であると理解している。「政治とは国家相互の関係であれ国家内部においてであれ,権力に参加し、権力の配分関係に影響を与えようとする努力の事である」という。政治を行う人は、権力のためであれ他の目的の手段であれ、権力を追及せざるを得ない。政治はどこまでも政治であって倫理ではない。政治一般に対する倫理的批判は意味を持たない。「政治が権力という暴力機構を備えた手段を用いる限り、政治の実践者に対して特殊な倫理的要求を課するのである」とはけだし名言であるが、哲人ローマ皇帝マルクスによるストイックな政治道徳精神にも通じる政治家の倫理を説く書である。マルクス・アウレーリウス著 「自省録」(岩波文庫)は、皇帝の政治倫理や生活信条をまとめたものであり、これを読んだJ・Sミルは「古代精神の最も高い倫理的産物」と評した。政治は倫理と無縁であるとまで言い切ったウエーバーは,次のような政治家の覚悟を求めるのである。「予測した上で予測できないことも含めて一切の結果に対する責任を一身に引き受け、道徳的に挫けない人間、政治の倫理がしょせん悪をなす倫理であることを痛切に感じながら、"それにもかかわらず"と言い切る自信のある人間だけが,政治への天職をもつ」と結んでいる。ドイツ人はニーチェに見るように出来るかどうか別にして「超人」志向の強い人が多い。愚暗な民主政治に安閑としているより、ストイックな英雄崇拝につながる危険な思想である。ストイックにかっこいい姿勢であるが、偽善につながりやすい姿勢ではないか。説くその人の政治的立場を明らかにしないでいえば嘘になる。親鸞の言葉(歎異抄)に「悪人なおもて往生を遂ぐ、いわんや善人おや」という反語に満ちたものの言い方に過ぎないのではないかと心配する。悪を自覚して悪を行なうなら倫理的に許されるのだろうか。
(つづく)
先にマックス・ウエーバー著/尾高邦雄訳 「職業としての学問」(岩波文庫)を読んだ。本書「職業としての政治」も同じ1919年1月にミュンヘンにおいて学生を相手に書店で行なった講演会の一つである。前者の講演会「職業としての学問」が1月16日に行われ、後者の講演会「職業としての政治」は1月28日に行われた。聴講者はドイツ革命の気分に興奮している学生約150人程度であったという。マックス・ウエーバーはここでも学生に厳しい現実を突きつけている。「あせるな、目の前の仕事を遂行せよ」と説教を垂れている。「職業としての学問」の方が学生相手の講演会としての適当な内容であるが、本書の「職業としての政治」は一転してよく準備された政治史の論文の構造をもつ充実した内容である。しかし政治家と倫理という油と水の関係にある複雑な構成を講演会形式で果たして理解できるのかという疑問が湧くのは私だけだろうか。文章形式としてじっくり読まないと本当の理解レベルに達しないような内容である。まさに2つの講演会の出来には雲泥の差がある。マックス・ウエーバーの講演会の狙いは本書にあって、「職業としての学問」は前座程度にやったのではないだろうか。
1919年1月といえば、第1次世界大戦がドイツの敗北で終り、カイザー制が倒れドイツ全土が騒然たる革命の只中にあった時期である。ウエーバーは政治的には熱烈な国家主義者・ナショナリストで、共産主義革命運動に反対もしくは侮蔑していた。ウエーバーにとって祖国の敗北はショックであったろうが、それ以上に残念だったのは臥薪嘗胆を忘れ、反動的に「血腥い謝肉祭」の革命騒ぎに陶酔している1部の学生や知識人の姿である。ここミュンヘンは「知識人革命」の色彩の濃い「レーテ運動」の中心であった。さてウエーバーは、政治の本質的属性は「権力」であると理解している。「政治とは国家相互の関係であれ国家内部においてであれ,権力に参加し、権力の配分関係に影響を与えようとする努力の事である」という。政治を行う人は、権力のためであれ他の目的の手段であれ、権力を追及せざるを得ない。政治はどこまでも政治であって倫理ではない。政治一般に対する倫理的批判は意味を持たない。「政治が権力という暴力機構を備えた手段を用いる限り、政治の実践者に対して特殊な倫理的要求を課するのである」とはけだし名言であるが、哲人ローマ皇帝マルクスによるストイックな政治道徳精神にも通じる政治家の倫理を説く書である。マルクス・アウレーリウス著 「自省録」(岩波文庫)は、皇帝の政治倫理や生活信条をまとめたものであり、これを読んだJ・Sミルは「古代精神の最も高い倫理的産物」と評した。政治は倫理と無縁であるとまで言い切ったウエーバーは,次のような政治家の覚悟を求めるのである。「予測した上で予測できないことも含めて一切の結果に対する責任を一身に引き受け、道徳的に挫けない人間、政治の倫理がしょせん悪をなす倫理であることを痛切に感じながら、"それにもかかわらず"と言い切る自信のある人間だけが,政治への天職をもつ」と結んでいる。ドイツ人はニーチェに見るように出来るかどうか別にして「超人」志向の強い人が多い。愚暗な民主政治に安閑としているより、ストイックな英雄崇拝につながる危険な思想である。ストイックにかっこいい姿勢であるが、偽善につながりやすい姿勢ではないか。説くその人の政治的立場を明らかにしないでいえば嘘になる。親鸞の言葉(歎異抄)に「悪人なおもて往生を遂ぐ、いわんや善人おや」という反語に満ちたものの言い方に過ぎないのではないかと心配する。悪を自覚して悪を行なうなら倫理的に許されるのだろうか。
(つづく)
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