ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 小熊英二・高賛侑・高秀美編 「在日二世の記憶」 集英社新書(2016年)

2018年11月11日 | 書評
戦後日本社会で差別とアイデンティティに苦しんで生きた在日二世の活躍のオーラルヒストリー 第4回

「在日二世 50人の記憶」(抜粋)(その1)

参考のため、小熊英二・姜尚中 編 「在日一世の記憶」 集英社新書より、在日1世と在日二世が体験した歴史を下に年譜としてまとめる。
1909年10月 朝鮮の民族主義者安重根が韓国統監府初代統監(暗殺当時枢密院議長)伊藤博文を暗殺した。
1910年8月  韓国併合  日本人による土地収用・徴発をのがれ、多数の朝鮮人は生活のため、あるいは炭鉱・軍需産業などへの強制連行・徴用などによって日本へ移住する 日本政府は朝鮮人のハングル語使用禁止 皇民化政策により朝鮮民族抹消を図る
1945年8月  日本は太平洋戦争で連合軍に降服  終戦時に在日朝鮮人は二百数十万人に達していた。
1945年10月 在日朝鮮人連盟(朝連)が結成され、速やかな帰国活動を行う。全国に国語講習所を設置して民族教育事業を開始した。
1945年11月 左翼的な朝連メンバーは朝鮮建国促進青年同盟を発足させた。
1946年10月 在日朝鮮居留民団結成 同年12月日本駐留連合軍は朝鮮人の帰国事業は終了とした。日本に残留していた50数万人の朝鮮人は在日として生きる運命となった。
1947年5月  外国人登録令が公布され、朝鮮人への管理政策に転換した。
1948年1月  GHQの指示で文部省は朝鮮人学校の閉鎖令をだした。 同年4月「4.24阪神教育闘争」で死亡者が出た。 国連が朝鮮南半分だけの単独選挙を実施すると発表。全国で反対闘争がおきたが、済州島では共産党による武装蜂起(4.3事件)がおき鎮圧で多くの島民が虐殺された。同年8月南に大韓民国樹立、9月北に朝鮮民主主義人民共和国が樹立され南北分断が固定された。在日大韓民国居留民団(民団)結成
1949年9月 日本政府は朝連を解散、10月には学校閉鎖令を出した。
1950年6月 朝鮮戦争勃発 在日朝鮮人統一民主戦線(民戦)が結成され、日本共産党の指導の下で過激な革命闘争を展開した。 
1951年9月 日本はサンフランシスコ講和条約により独立した。朝鮮人の法的地位は「日本国籍を離脱するもの」とし差別的な管理体制を強化した。
1953年7月 朝鮮戦争休戦 38度線が固定された。
1955年5月 民戦が解散し、朝鮮総連が結成された。総連は北朝鮮支持、祖国統一、民族教育をスローガンとした。
1959年   日朝赤十字の調印に基づいて北朝鮮への帰国事業が開始された。(1984年までの帰国者は9万3340人)
1965年10月 日韓条約締結 韓国を朝鮮唯一の合法政府とし、韓国へ補償が実施された。
1970年   日立製作所就職差別問題で裁判闘争(74年勝訴する)
1980年   指紋押捺拒否運動起る(1999年 すべての外国人に対する指紋押捺義務の廃止になった)
1981年   「出入国管理および難民認定法」の改正により在日外国人に対する差別制度が大幅に改善された。しかし地方参政権運動、公務員採用問題、民族教育権の問題については未解決である。
1995年   従軍慰安婦賠償訴訟が起きたので、日本政府は「女性のためのアジア平和国民基金」を設立し実質上の賠償に応じた。、韓国併合・強制連行論争・従軍慰安婦論争などに見られるような南北朝鮮への日本による植民地統治についての歴史認識について、閣僚の靖国神社参拝問題と教科書問題に対する韓国政府(盧武鉉大統領)の抗議が続いた。

明日から「在日二世 50人の記憶」(抜粋)を二人づつアップする。

(つづく)