ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年11月05日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第30回
巻 12
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271) 朝去きて 夕は来ます 君ゆゑに ゆゆしくも吾は 歎きつるかも   柿本人麿歌集(巻12・2893)
・ 「ゆゆしくも」がこの歌の最重要点である。「ゆゆしくも」は慎みなく、憚らず、忌々しい、厭わしいという意味である。あまりいい意味ではない。夫が朝に帰って、夕方にやってくるというのに、あさましいくらいあなたのことが待ちきれない、恋しいといいう。女の欲望が丸出しで自分でも忌々しくなるのだろう。
272) 玉勝間 逢はむといふは 誰なるか 逢へる時さへ 面隠しする   作者不詳(巻12・2916)
・ 「玉勝間」は「逢う」の枕詞。「玉勝間」は蔓を入れる箱で蓋と籠が合うことから、逢うの枕詞になった。「逢おうと言ったのは誰だろう。折角逢っても顔を隠したりして」という男と女の会話である。恥ずかしいという姿態は本来淫靡なものであるが、それを表現しない(できない)のが万葉古語のいいところ。
273) 幼婦は 同じ情に 須臾も 止む時もなく 見むとぞ念ふ   作者不詳(巻12・2921)
・ 同じ内容を男がいってきたので、乙女はそれにこたえる様に「同じ情に」といった。歌の内容は「須臾も止む時もなく見むとぞ念ふ」で、ひと時も止むことなく、あなたを見続けたいというお熱いメッセ―ジである。
274) 今は吾は 死なむよ我背子 恋すれば 一夜一日も 安けくもなし   作者不詳(巻12・2936)
・ 「今私は死にそうだ、あなたに恋すれば、一日一夜も心の休まるときがない」という女の歌。「よ」は詠嘆の助詞。この歌の直接性が万葉歌である。
275) 吾が齢し 衰えぬれば 白細布の 袖の狎れにし 君をしぞ念ふ   作者不詳(巻12・2952)
・ 「年を取って体も衰えたので〈昔のようにしげしげかようこともないが)、長年狎れ親しんだお前のことが思い出される」 「白細布の」は袖に係る枕詞。老いらくの恋の一つである。
276) ひさかたの 天つみ空に 照れる日の 失せなむ日こそ 吾が恋止まめ   作者不詳(巻12・3004)
・ 「ひさかたの 天つみ」は空に続く序詞。「空に照る日が無くなる日まで、私はあなたを恋する」というオーバーな愛の表現。
277) 能登の海に 釣りする海人の 漁火の 光にい往く 月待ちがてり   作者不詳(巻12・3169)
・ 「能登の海人の漁火の光りを頼りにあなたに逢いに行く、月が出るのを待てないので」という意味である。
278) あしひきの 片山雉 立ちゆかむ 君におくれて 顕しけめやも   作者不詳(巻12・3210)
・ 旅立ってゆく男に向かって女が言ううたである。「あしひきの片山雉」は立つに続く序詞でほとんど意味はない。「顕(うつ)しけめやも」は、心乱れて、正気でいられようかという

巻 13
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279) 相坂を うち出でて見れば 淡海の海 白木綿花に 浪たちわたる   作者不詳(巻13・3238)
・ 山科から近江に出る坂を「相坂(逢坂)」と呼んだ。近江の恋人に会いに行く歌である。「逢坂を越えると、近江の湖水に白木綿花に似た白浪が立つのが見える」 源実朝がこの歌を模した歌を作った。「白木綿花」は幣の代用とした。
280) 敷島の 大和の国に 人二人 ありとし念はば 何か嗟かむ   作者不詳(巻13・3249)
・ 「敷島の」は大和に係る枕詞。「この国にあなたが二人おられると思うなら、どうして嘆く必要がありましょうか。貴方は一人しかおられないから悲しいのです」という意味。

(つづく)