ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文藝散歩 西郷信綱著 「古事記の世界」 (岩波新書1967年9月)

2017年09月03日 | 書評
律令制度に組み込まれる前のぎりぎり遺された、神々の声が響き合う倭の神話の世界  第3回

1) 神話の言語と範疇 (その1)

古事記においてはもちろんのことであるが、その言葉を理解するには、それがいかなる主体によっていかに語られているかが大切である。特に神話の言語は簡単に現代語訳ができない独特の範疇と性格を持っているので、註釈の誤読には気を付けなければならない。古事記における一つの例として「葦原中国」がこれまでいかに誤読されてきたを吟味する。頻繁に使われてきたが古事記の本質を理解する戦略的価値を持たされている。①宣長の解釈は天より見るとと葦原の中にある国という意味で天上から見る視線である。②次田潤一氏は「五穀豊穣の地」という。③松岡静雄氏は開墾されていない地を天上人が見た命名で、ある特定の地を指していたようだという。④白鳥庫吉氏は繁殖力の大きい天国のような豊かな地であるという。⑤古典文学大系「古事記・祝詞」では高天原と黄泉国の対するもう一つの世界を指す。人の生きる現実の国という意味である。⑥古典全書「古事記」では生命力の象徴と読む。以上がすべてではないが、いろいろに解釈されてきたことが分かる。宣長の説を除いて他はすべて的外れだと著者は評している。葦原を荒原野とみるか、「豊葦原の水穂国」とみるかのイメージ論争である。そして中にいる者の自然状態の表現か、ある者の視線から見るかという「方位」の問題である。「葦原中国とは高天原よりいえる号」とした宣長の卓見を除いては逸脱と歪曲だらけの解釈であるという。高天原からの方位という、徹底した宣長の経験主義の勝利と言えるが、それは歴史上の位置ではなく一つの神話的世界を意味していた。事実の次元を超えた想像力の世界では宣長は無力であった。葦原とは葦の茂った未開野蛮の地という規定が高天原から名づけられた。それ故に天孫によって征服と統治の対象となった。原始社会で名をつけることで所有することを意味する。これは自然状態における私的所有の発生に似ている。そこにおける付加価値とは墾田と治水である。葦原中国は「ちはやぶる荒ぶる神ども」の多くいる国とされている。天照大神が「いたくさやぎてありなん」と言って、葦原中国が争いの多い混乱した国というイメージを植え付けた。「醜めき国」の王である大国主神を「葦原醜男」と呼ぶ。つまり具体的には{葦原中国」は大国主神が治めている出雲の国のことであった。古代では葦原という言葉は、荒、穢、醜とかいうマイナスのイメージで差別される蔑称領域のことであった。葦原中国という表現は、出雲を志向するというこの神話的構造が支配的である。高天原、葦原の中つ国、黄泉の国という上・中・下の三重構造の神話的世界像に他ならない。出雲は黄泉の国の至る入口であると考えられた。高天原は、日本の主権の正統性が由来する天上の世界であった。高甘原をいわゆる「天孫族」の故郷と短絡すると、それはあしき歴史主義に流れてゆくのである。国に対する天はイデーの神話的世界である。神代の物語(古事記上巻)はこの天上の他界としての高天原を座標として語られている。決して大和を座標とは限定していない。二つの座標が等速運動をしているなら、相対性原理から二つの座標で成立する法則は等価である。これが歴史主義という近代知性の主張であるが、しかしいまのところイデーとしての神話的世界はこの世の時間軸に制約されるものではないとしておこう。大国主神のいる出雲は、古事記神話の舞台で並々ならぬ比重を以て、決定的な役割を果たしている。征服されるべき対象というより、並び立つ相補関係にある。出雲と大和、そして卑弥呼が君臨したという邪馬台国との関係はどうなっているのだろうかと歴史好きにはロマンを掻き立てられる。歴史時代に入った記紀神話では邪馬台国は一切無視されている。村井康彦著「出雲と大和」(岩波新書 2013)は、出雲王国の考古学遺跡から始まって邪馬台国、出雲国の建設、大和王朝へ国譲り、出雲国造と風土記の関係を論じる見通しのいい学説である。古事記は失われてゆく神話を語るのもであり、歴史への束縛は趣旨に反するので紹介するにとどめる。

(つづく)