ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 権左武志著 「ヘーゲルとその時代」 岩波新書

2014年12月20日 | 書評
フランス革命とドイツ統一を前にしたドイツ観念論の完成者 第8回

2) 新秩序ドイツと「法哲学綱要」(その1)

 「精神現象学」の執筆を終えたヘーゲルは、1807年バンベルグへ移り1年半「バンベルグ新聞」の編集に携わった。その後ニュルンベルグでギムナジウムの校長を8年間務め、1812年から「論理学」2巻を公刊した。そして1816年ハイデルベルグ大学教授職に就き、1817年「エンチクロペディ」を公刊した。1818年ベルリン大学に招聘され、1820年「法哲学綱要」を著した。この時期はヘーゲルにとって人生の急上昇期にあたる。1807年以降フランスの占領下にあったドイツは、近代化改革を進め、1813年フランスに対する諸国民戦争はドイツのナショナリズム運動(新秩序ドイツ)を高め、ヘーゲルはプロイセン王国のベルリン大学から政治的見解を発表した。哲学体系形式を創造する知的活動と、時代の現実に答える実践的意欲という二つの動機から執筆された「法哲学綱要」は「エンチクロペディ」をもとにして書かれた。「法哲学綱要」に入る前に、ドイツの近代化改革とナショナリズムの高揚という時代背景を見てゆこう。ヘーゲルは帝国崩壊に続くナポレオンの侵攻によってドイツの封建諸侯勢力が衰退し、新秩序ドイツが形成されることを期待していた。帝国愛国主義者がボナパルト讃美者に転向していたのである。ヘーゲルは占領軍の行進を歓迎する群れの中にあった。1807年ナポレオンの衛星国ヴェストファーレン王国の誕生を祝し、新秩序ドイツについて記事を書いた。1808年近代法の模範となるナポレオン法典を支持した。ナポレオン法典の導入によりライン同盟諸国の近代化改革を支持することは、ヘーゲルの基本的立場であった。ヘーゲルは個別国家の主権を制限する連邦国家的な憲法を目指した。1817年以降のヘーゲルは帝国愛国主義から主権論者に転換した。1815年にライン同盟を継承する連合体としてドイツ連邦が発足した。ヘーゲルは前年のナポレオン失脚を悲しんだが、1817年「ヴェルテンブルグ王国連邦議会の討論の批評」という政治論文を公表し、封建王国の主権憲法をめぐるさまざま折衷案を提出し、改革を後戻りさせない意志を表明した。1818年ベルリン大学教授に就任した。学生のナショナリズム運動が盛り上がっていたが、ザント事件でプロイセン政府は学生運動を弾圧し、煽動思想取締りを行った。この取り締まりによって「法哲学綱要」の出版は遅れ、1820年10月に「自然法と国家学概要:法哲学綱要」が出版された。「法哲学綱要」に入る前に、1817年「哲学的諸学のエンチクロペディ概説」を見よう。「エンチクロペディ」とは専門教育に入る前の一般教養(日本の大学の教養学部に相当した)、もしくは百科全書の意味で、哲学による一般教養の基礎づけを意図したようだ。ヘーゲルによると真理は全体的な整合性を持たなければならないから、それを考える哲学は必然的に体系である。つまり哲学はすべての学を包括する「エンチクロペディ」の形をとる。そこで学の体系は①論理学、②自然哲学、③精神哲学の3つに区分される。第1部の論理学は、実態を把握する悟性的・抽象的側面、対立する弁証法的側面、統一する思弁的側面の3段階からなる。有名なヘーゲルの弁証法とは、二律背反を解決する弁証法が否定と肯定という両側面を持ち、アオフヘーヴェン(「廃棄」、「止揚」)することは高めるという意味を持たされる。また論理学は存在論、本質論、概念論の三部門に分かれる。第2部の自然哲学は、自然という他在の形式(外的客体性)を取る理念を対象とする。そして自然を段階的的発展をたどる理念の運動とみる。そこで自然哲学は数学、物理、生理学の3部門に分かれる。第3部の精神哲学は、自然から帰還した精神の理念を対象とする。概念が自己同一的になる世界の創造者である。精神哲学は主観的精神、客観的精神、絶対的精神の3部門に分かれる。精神は絶対者であり、絶対者の最高定義である。精神の本質は概念であり、概念において把握することが哲学の課題である。

 「法哲学綱要」は所有・契約・不法を扱う「抽象的法」、幸福・良心を扱う「道徳性」、家族・市民社会・国家を扱う「倫理」の3部門よりなる。論争的な序論において、これまで自然法と呼ばれてきた哲学的法学が、自由意志の概念から出発することをいう。「法学は哲学の一部」と宣言し、実定法学や歴史法学、ローマ法学と区別される哲学的法学を対象とする。ヘーゲルは「意志」の概念を、自我の自分自身との同一性と区別が統一されたものと定義し、自分が普遍的存在者だと自覚するとき、即自的だけでなく対自的にも自由な意志になるという。「意志は思考する知性としてのみ、真の自由な意志である」という主知主義に基礎付けた、ドイツ啓蒙主義の忠実な継承者であった。第1部の「抽象的法」では、ヘーゲルは人格は自己を対象として知る自由意志の特性を持つとし、自分の意思を外的事物の中に置き、自分のものとする占有の権利、すなわち所有の権利を持つという。「占有所得」の合理的根拠が、事物を加工、形成する「労働」である。ヘーゲルかここで労働により私的所有を基礎づけるロックの所有論を継承している。精神が身体としての自己を「占有所得」する「人格の自由」も根拠づけた。ここで人格は精神と身体が結合した心身一体論を採用し、人格はおよそ他人に譲渡できないと結論した。他人に指図されたり、他人に身体の自由を奪われることは「人格性の破棄」と言われ最も忌避すべきことである。そこから奴隷制、封建的農奴制、教会の支配を否定する人格の自由の思想が生まれた。この所有の問題は市場経済や財産にもつながり、後のマルクスは所有が「資産の不平等な分配」を招き、資本主義社会において新たな奴隷労働が生まれると批判した。第2部の「道徳性」はカントの道徳論を克服するのが目的で、高貴な理想のような客観的目的と同様に、個人の主観的欲求(自分の幸福を追求する)を「特殊性の原理」、「主体的自由の権利」と呼んで承認した。カントの「義務」から普遍的法則に従うべきという厳格主義、形式主義を批判した。また反対に、個人の主観的欲求から悪が生じる可能性があるので、ロマン主義的主体の独善性を批判した。第3部の「倫理」では、善の理念にあたる「倫理的実体」が主観的意思という主体に対し、区別されると同時に統一されると説明し、自由意志の活動を通じて、自由意志の概念と統一した「自由の理念」を倫理と定義した。道徳から倫理に移行するプロセスは、道徳主体が倫理実体へ向かう運動とみなされる。

(つづく)