ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 大森荘蔵著 「知の構築とその呪縛」 ちくま学芸文庫 (1994年7月 )

2014年05月02日 | 書評
近代科学文明の誤謬は人間をも死物化したこと 人と自然の一体性回復の哲学 第2回

序(2)
 ではガリレオとデカルトの近代科学の系譜が大森氏の言うように、「古来の略画的世界観より、科学革命の推し進めた密画的世界観」という本道から、どこをどう間違えて「自然と身体の死物化」という誤謬に落ちいったのだろうか。ここから大森氏の論理の道筋を追ってゆこう。略画的世界観とは近代科学成立以前の物の見方(宗教的・世俗的・民俗的・倫理的・・・・)のことで、非科学的・擬人的・アニミズム的という言葉でいわれる世界観のことである。それは「目的―因果の混合として出来事を見る」態度であろう。奈良時代の仏教が天皇と藤原家の呪術祈祷師であった時代や平安時代の陰陽学が日常生活を支配していた時代のことである。これは戦国時代の軍師というものがほとんど占い師であった時代まで続いた。歴史を呪術の古代と合理主義の近世とおおまかに2分すると、日本の近世は天皇制が完全に力を失った南北朝以降のことである。天皇制は古代呪術(仏教もそれに含まれる)を精神的バックボーンとし、徳川時代は儒教(朱子学)を背景とするとみられる。大森氏はなぜかこの略画的古代世界観を「彼らは現代の我々にはもはや失われた感性をと存在感覚を持っていた」という。「人間と自然との連続性・同体性」を基盤とする略画的世界観は、西欧ではルネッサンス後の16-17世紀の科学革命で不要なもの(役に立たないもの)として、密画的世界観(科学的)に置き換えられた。略画的世界観から密画的世界観への行程は「文明の過程」として不可避なものであったと大森氏はいう。これはタラレバなしの歴然とした歴史である。科学革命はまさに人体から最も遠い天文学から始まった。望遠鏡の発明とガリレオ、ケプラーの登場となった。ギリシャ時代万学の祖といわれるアリストテレス(前384年 - 前322年)の描いた宇宙像とは同心円状の階層構造として論じられている。世界の中心に地球があり、その外側に月、水星、金星、太陽、その他の惑星等が、それぞれ各層を構成している。これらの天体は、前述の4元素とは異なる完全元素である第5元素「アイテール(エーテル)」から構成される。そして、「アイテール」から成るがゆえに、これらの天体は天球上を永遠に円運動しているとした。さらに、最外層には「不動の動者」である世界全体の「第一動者」が存在し、すべての運動の究極の原因であるとした。イブン・スィーナーら中世のイスラム哲学者・神学者や、トマス・アクィナス等の中世のキリスト教神学者は、この「第一動者」こそが「神」であるとした。これらの考えは、中世のキリスト教に取り入れられ、ブルーノやガリレオの焚殺や弾圧につながったといわれる。長く人々を確信させたアリストテレス宇宙像はガリレオの実証的科学によって崩壊した。哲学者は数学や実験で実証するのではなく、人々を論理とたとえ話で説得する。たとえ話の話術に取り込まれると、比喩に過ぎないはずなのにいつの間にか真実の話の論理(イメージ操作)となって展開するという詐欺的説得術(死物化というマイナスイメージを植え付けるのもその典型)を駆使するのでご用心。話が脇道にそれたのでもとに戻すと大森氏は「密画化のプロセスは、自然の数量化ないしは数学化として特徴づけられる」という。「密画化プロセスは4次元時空間の座標を持つ物体の細密描写がその手段となるが、それ自体は目的ではない」として数量化自体は間違いではないとする。科学革命の決定的な過ちは、ガリレオとデカルトによって対象的世界から感覚的世界が剥離されたことである。ここに「現代の世界観の基底となる根本的な誤解が生まれた」と大森氏は見抜いたという。この大森氏の論点に私は納得できない。

(つづく)