ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 斉藤貴男著 「安心のファッシズムー支配されたがる人々」 岩波新書

2012年05月04日 | 書評
巨大なテクノロジーとメデイアを駆使する新自由主義ファッシズム 第2回

序(2)
 2004年4月8日ボランティア活動家の高遠菜穂子さん、フリーカメラマンの郡山聡一郎さん、フリーライターのいまい紀明さんがヨルダンのアンマンからイラクのバクダットに向かう途中で三人の日本人が誘拐され、イスラム戦士軍団を名乗る犯行グループは日本政府に対して自衛隊の撤退を要求し、従わなければ3人をころづという声明を出した。同じく2004年5月27日、フリージャーナリストの橋田信介さんはイラク戦争取材中にバグダッド付近のマハムディヤで襲撃を受け、同行していた甥の小川功太郎とともに殺害された。問題はこの2つの事件を巡る日本政府の態度と新聞の論調である。前者の誘拐された3人に対しては、政府は「自作自演説」を官邸が流し(左翼グループが日本政府を困らせるためわざと捕まった)、暫くたつと「自己責任論」(日本政府は知りません)を展開し、日本のマスコミは被害者家族に対する個人攻撃・誹謗中傷の記事連日流して被害者パッシングに終始した。後者の橋田さんらに対してはマスコミは礼賛一色で「武人」とさえ読売新聞は讃えた。この2つの事件の取り扱いはどうしてこうも180度違うのだろう。それは日本政府の立場によるからだ。政府が困るのは前者であった。1941年1月東条英機陸相は「戦陣訓」で「生きて俘虜の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」を出した。戦争遂行の妨げにならなければよい、死んだら後腐れなく英雄にしてあげるということだ。橋田さんと小川さんの場合は死亡したから国を挙げて讃えられた。この2つのグループはどちらかといえばイラク戦争反対の立場での取材である。もはや思想信条も関係なく、政府や権力者の迷惑になる奴は誰でも叩かれるのだ。橋田さんは自衛隊がイラクで水の供給をしていることについて取材し、実際にはサマワ近辺では水の入手はさほど困難でないこと、フランスのNPOが自衛隊の何倍もの量の水を供給していることをテレビで報告した。自衛隊のイラク派遣に対しても隊員たちの努力は評価しながらも、アメリカ追随とも言える派遣の判断を下した日本政府に対しては批判的にならざるを得ない、と苦しい胸のうちを明かしていたという。
(つづく)

文芸散歩 4人の小説家による「文章読本」

2012年05月04日 | 書評
小説家の書く文章の心得とは  第4回

1)丸谷才一著 「文章読本」 (中公文庫 1980年) (3)
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第2章 名文を読め
森鴎外は文章上達法を問われて、「春秋左氏伝」を読めといったようだ。とかく文章上達の秘訣はただひとつ、名文を読むことだ。名文がわれわれに教えてくれるものは第1に言葉使いである。文章は過去の言葉使いの合成で、つまり歴史を背負っているのだ。世阿弥の「砧」も過去の名文の集録で、石川淳の「小林如泥」、佐藤春夫の「好き友」、斉藤緑雨の「おぼえ帳」、荻生徂徠の「経子史要覧」などから名文の例をあげて学べという。

第3章 ちょっと気取って書け
文章は文章の型にのっとって書くもので、それが作文の基本である。「思った通りに書け」といってそれで読むに耐える文章が出来上がるわけでなない。伝統がなければわれわれの文化は存在しない。型とは伝統のことである。文章の型を学び、身につけ、その型にあわせて思うことである。だから「ちょっと気取って書け」という。也有の「知雨亭記」、鴨長明の「方丈記」、永井荷風の「日和下駄」などの格調ある名文を紹介し、あわせて尾崎一雄「虫のいろいろ」の的確写実の名文も例に挙げている。

第4章 達意ということ
散文の言語は具体的な事物や、精確な観念を指示し伝達しなければならない。それが文章の基本的な機能である。詩の言語は感情を喚起することが基本的な機能である。本書の目的は人に分かってもらえる文章を書くことにある。その対極にあるのが、大言壮語、曖昧なものの言い方の代表である明治憲法ではなかろうか。天皇の位置づけが不明で、統帥権を持つ絶対君主なのか、政府機能の一部(天皇法人説)なのかを巡って、その解釈自由の曖昧模糊性から後年「天皇機関説」と軍部独裁が争った。現在でも戦争の元凶たる昭和天皇か軍部に利用された天皇か論争は絶えない。それに比べると現行憲法は天皇の象徴性に曖昧なところがあるが、まがりなりにも民主制を宣言しており、文章のうまい下手はあるが伝達の機能は明瞭である。伊藤博文と井上毅の憲法論義、夏島草案をめぐってその悪文性と呪術性を丸谷氏は批判している。本書は憲法論では無いので詳細は記さないが、丸谷氏の政治的見識は明瞭に示されている。林達夫氏の「旅順陥落」という透明な名文を上げて口直しにしている。
(つづく)



読書ノート 坂本義和著 「人間と国家ーある政治学徒の回想」 岩波新書

2012年05月04日 | 書評
現代を生きる人間は国家とどう向き合い、国家をどう乗りこえるか 第12回

6)国際共同研究 WOMPと国連大学 (2)
 1976年神奈川県知事の長洲一二氏と相談し、「自治体外交」をテーマに、「アジアと日本の国際交流に関するシンポジューム」を、飛鳥田一雄横浜市長、正木鎌倉市長、葉山藤沢市長の参加を得て、テレビ神奈川共催で開催した。当時日本経済の発展は「エコノミックアニマル」とか「醜い日本人」という批判が相次いでいたなか、地方の時代には外交は地方でという考え方であった。この試みは1982年23都道府県、65市町村が参加して「自治体の国際交流」会議が神戸で開かれた。長洲一二氏は民際外交に支援を惜しまず、「国際平和研究学会IPRA」の事務局長に坂本氏が選出された事を契機にして、1980年「世界的視野でのアジアの平和研究」会議を開催でき、この会議の主要論文は1982年「暴力と平和」(朝日新聞)という書物となった。1980年代の10年間は毎年長洲氏と国連大学の武者小路氏の支援を得て横浜で国際会議を開催することが出来た。テーマは「軍事化と経済発展」であった。冷戦構造の中で途上国の奪い合いがおこり途上国の軍事化が深まり、先進国による途上国の資源と労働の収奪がその経済構造をゆがめて、そのことで南北格差が一層拡大し、飢餓が進行しているという連鎖であった。会議には途上国から反体制派の研究者を招くのは当然であった。冷戦の終焉を迎えて1990年に「地球民主主義の条件」をテーマに議論をした。この時期に東欧で「市民社会」という思想が生まれ、西側でも「市民社会」の再考察が生まれた。1987年北朝鮮の黄長氏(後に韓国に亡命)を横浜に招くことが出来た。1986年横浜で「世界平和と正義のための委員会」を開いた。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「江村暮春」

2012年05月04日 | 漢詩・自由詩
初夏花衰薬草肥     初夏花衰え 薬草肥え

陰雲着雨燕双飛     陰雲雨を着け 燕双飛ぶ

江邊麦秀鶯猶在     江邊麦秀で 鶯猶を在り
 
園裡春深蝶已稀     園裡春深く 蝶已に稀なり


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(韻:五微 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD 今日の一枚 中島みゆきアルバム 「あ・り・が・と・う」

2012年05月04日 | 音楽
中島みゆきアルバム 「あ・り・が・と・う」
25)遍 路 26)店の名はライフ 27)まつりばやし 28)女なんてものに 29)朝焼け 30)ホームにて 31)勝手にしゃがれ 32)サーチライト 33)時は流れて(アルバム中の番号は通し番号です)
歌・作詞作曲:中島みゆき
ADD YAMAHA MUSIC 1977